神は人を分け隔てなさらない
使徒言行録 第10章9-16節,34-36節
川崎 公平

主日礼拝
■今日は、ペトロという人のお話をします。イエスさまに招かれて、イエスさまの弟子になりました。ペトロはイエスさまのことが大好きで、本当に大好きで、死ぬまでイエスさまのために働くことができました。
けれどもペトロには、ひとつ苦い思い出がありました。そのつらい思い出を、死ぬまで忘れることはできませんでした。イエスさまが十字架につけられようとしていたとき、たまたま近くにいた女の人が、ペトロのことに気づいて言いました。「あれ、お前は、あのイエスってやつの仲間じゃないか。この間、一緒にいたのを見たよ」。けれどもペトロは言いました。「いや、何のことだかさっぱりわかりませんが。人違いじゃないですか」。するとまた少ししてから、別の人が言いました。「ほら、やっぱりこの人だよ。お前もあのイエスの仲間でしょ? 名前は確か……ペトロっていったっけ?」けれどもまたペトロは同じように言いました。「いやいや、違うって。俺の名前はシモン。ペトロなんて、そんな珍しい名前の人、聞いたこともないよ」。ところがまた三度目に、違う人がペトロに声をかけました。「いや、間違いないって、確かにこの人もイエスと一緒にいたよ」。けれどもペトロは三度目も同じように嘘をつきました。「イエスなんて、そんな人は知らない。口をきいたこともない。神に誓って」。
そのときです。イエスさまは振り返って、じっとペトロの目を見つめています。そのイエスさまの目は、いつもと変わらない、やさしい目で……。ペトロは、そのイエスさまのやさしいまなざしに耐え切れなくなって、誰も人のいないところに走って行きました。そして、わんわん大きな声で泣きました。
ペトロは、いつまで泣いていたでしょうか。もしかしたら、ペトロは、そのままいつまでも泣き続けなければならなかったかもしれません。だって、イエスさまは十字架につけられて殺されちゃったから。ペトロを見つめてくださったイエスさまのやさしい目は、もう二度と見ることができないから。イエスさま、あんなに大好きだったのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう……。
■ところが、イエスさまは、お甦りになりました。死んだはずのイエスさまが、もう一度ペトロの前に立っています。ペトロを見つめるイエスさまの目は、やっぱり変わらずやさしさそのもので、ペトロは本当にうれしくて、そして本当に申し訳なくて、心がいっぱいになりました。
そんなペトロに、イエスさまのほうから声をかけてくださいました。「ペトロよ、わたしを愛しているか」。「はい、イエスさま、大好きです。わたしがイエスさまを愛していることは、あなたがよくご存じです」。するとイエスさまは言いました。「そうだよね。それなら、あなたはわたしの羊を飼いなさい」。「わたしの羊」、イエスさまの羊って何のことでしょう。ペトロには、よくわかりませんでした。いったい、何のことだろう……。すると、イエスさまはもう一度ペトロを見つめて言いました。「ペトロよ、わたしを愛しているか」。イエスさまにじっと見つめられて、ペトロはまた同じことを言いました。「はい、イエスさま、大好きです。わたしがイエスさまを愛していることは、あなたがよく知っておられるはずです」。するとイエスさまは言いました。「そうだね。それなら、わたしの羊を飼いなさい」。イエスさまの羊って、何?
そうしたら、イエスさまはまた三度目も同じことを言われました。「ペトロよ、お前は、本当にわたしを愛しているのか」。ペトロは、イエスさまにじっと見つめられて、三回も同じことを聞かれて、悲しくなりました。三回もイエスさまを知らないとうそをついた自分です。でも、今イエスさまの前に立って、イエスさまに見つめられて、ペトロはやっぱり三度目も同じように答えました。「はい、イエスさま、大好きです。あのときは忘れていました。でも本当は、やっぱりイエスさまのことが大好きなんです。イエスさまも、よくわかってくださっていると思います」。するとイエスさまは言いました。「よくわかっているよ。だから、あなたは、わたしの羊を飼いなさい」。
イエスさまの羊って何でしょう。それからしばらくして、エルサレムという都で教会が生まれました。ペトロは神さまの力を受けて、イエスさまのことを語り始めました。イエスさまのことだけを語りました。すると、不思議なことに、たくさんの人たちがイエスさまを信じて洗礼を受けました。それを見て、ペトロはよくわかりました。「ああ、この人たちが、イエスさまの羊なんだ」。そんなときに、ペトロが教会の人たちと一緒に歌ったに違いない讃美歌を、先ほど一緒に読みました。
全地よ、主に向かって喜びの声を上げよ。
喜びながら主に仕えよ。
喜び歌いつつその前に進み出よ。
主こそ神と知れ。
主が私たちを造られた。私たちは主のもの。
主の民、その牧場の羊。 (詩編第100篇1-3節)
わたしたちはイエスさまの羊。そんな歌を歌いながら、教会は歩み始めました。
■けれども、教会の最初の歩みは、幸せなことばかりではありませんでした。すぐに教会をいじめる人たちが現れて、ペトロも牢屋に入れられたり、鞭で打たれたり。けれども教会は、イエスさまの羊の群れですから、イエスさまが教会を守ってくださいました。ペトロもイエスさまの言いつけ通り、一所懸命イエスさまの羊の群れを守りました。
けれども、あるとき、決定的なことが起こってしまいました。教会の大事な仲間が、石で打たれて殺されてしまいました。それがきっかけとなって、エルサレムの町中で大騒ぎが起こりました。「イエス・キリストを信じているやつは、皆殺しだ!」「教会に行っているやつはいないか? そんなやつらは、みんなつかまえてやる!」そんなことを言われたら、皆さん、どうしましょう。「おい、お前、教会に行っているそうだな。なに、お父さんもお母さんもイエス・キリストを信じているだと。けしからん、家族もろとも皆殺しだ!」そんなことを言われたら……「いや、違いますよ。イエスなんて、そんな人、知りませんよ」、なんてことを言った人は、ひとりもいませんでした。
そんな教会の人たちの姿を見て、ペトロはびっくりしました。そして、とても恥ずかしくなりました。あのときの自分とは大違いだ。どうして、この人たちはこんなに強いんだろう。でも、ペトロにはよくわかりました。「この人たちは、イエスさまの羊なんだ」。
けれども、だからと言って、そのままエルサレムに居続けるわけにはいきません。このままだと、本当にみんな殺されちゃう。それで、教会の人たちはみんな、遠くの町へ逃げました。「ペトロ先生、一緒に逃げましょう」。「いや、わたしはエルサレムに残る。わたしは最後まで教会を守らないと。みんなは逃げなさい。でも、覚えておきなさい。どんなに離れ離れになっても、教会はいつもひとつだよ。『主が私たちを造られた。私たちは主のもの。/主の民、その牧場の羊』。わかったね」。
■さて、いろんなところにばらばらになって逃げて行った人たちの中に、サマリアというところに移り住んだ人たちがいました。その人たちは、サマリアの人たちのためにもイエスさまの話をしました。すると、サマリアの人たちもイエスさまを信じて、たくさんの人が洗礼を受けました。そのようにして、サマリアにも新しい教会が育っていきました。
そのことが、エルサレムに残ったペトロのところにも伝わりました。ペトロは、サマリアにも教会が生まれたことを聞いて、「そんなの、絶対うそだ」と思いました。なぜかと言うと、サマリアの人たちが嫌いだったからです。どうしてかって? 理由なんかありません。ただただ、嫌いだったから。(おそらく、だからこそ、それまで誰もサマリアの人たちにイエスさまのことを伝えようとしなかったのでしょう。)
それで、ペトロはサマリアに行きました。「サマリアにイエスさまの教会なんて、絶対うそだ。どうせろくなことやってないに決まっている。ここはひとつ、教会のリーダーである俺さまが、ビシッと言ってやらないとな」。ところが、ペトロがサマリアに行くと……サマリアにも、すばらしい教会が生まれていました。ペトロにもよくわかりました。「このサマリアの人たちも、イエスさまの羊なんだ。『わたしの羊を飼いなさい』とイエスさまが言ってくださった羊の群れは、こんな遠くにも広がっているんだ」。ペトロはびっくりしながら、神さまに感謝しながら、サマリアの人たちと一緒にお祈りをしました。
■そんなペトロが、あるときこんな夢を見ました。ペトロがお腹を空かせながら、お昼ごはんの時間が来るのを待っていると、突然……
天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に降りて来るのを見た。その中には、あらゆる四つ足の獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした(11~13節)。
突然、天からの声が聞こえました。「ペトロ、この動物の肉を食べなさい」。けれどもペトロは言いました。「いいえ、イエスさま、そんなことできません。豚とか、鳥とか、とかげとか、こんな汚いもの、食べられるわけがないじゃないですか」。するとまた天から声がしました。「ペトロよ、もう一度言うよ。二度目だよ。これを食べなさい。神が清めたものを、清くないなどと言ってはならない」。けれどもペトロは言いました。「いいえ、神さま、絶対に無理です。こんな汚れたもの」。三度目に天から声が聞こえました。「ペトロよ、何度言ったらわかるんだ。三度言ったら、わかるのかい? あなたは、これを食べるんだ。神が清めたものを、清くないなどと言うな」。けれどもペトロは三度目も、同じように言いました。「いいえ、冗談じゃない、こんな汚れたもの、何回言われたって、絶対にわたしは食べません」。そこで、ペトロの夢は終わりました。「いったい、何の夢だったんだろう……」。
すると、しばらくして、ペトロのところにコルネリウスという人が現れました。外国の兵隊です。言葉がきつくて申し訳ありませんが、ペトロがいちばん嫌いな人でした。いちばん一緒にいたくない人でした。けれども、神さまがもう一度ペトロに教えてくださいました。「この人のために、イエスさまのことを伝えなさい。神が清めたものを、清くないなどと言ってはならない。この人も、わたしの羊なんだよ」。ペトロはその言葉を信じて、コルネリウスにイエスさまの話をしました。コルネリウスは、ペトロがびっくりするほどよく話を聞いてくれて、イエスさまのことが本当によくわかって、洗礼を受けました。
■それを見てペトロは言いました。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました」。……いや、そんなこと、当たり前ですよね? 神さまが、人を分け隔てなさらないなんて。でもペトロは、心の底から神さまにお詫びをしながら、こう言ったのです。「神さま、ごめんなさい。神さまが人を分け隔てなさらないことが、やっとわかりました」。思えばあのときペトロが、「イエスさまなんて、そんな人、聞いたこともないよ」と、三度も言ってしまったときも、神さまは人を分け隔てなさらないから、だからこそイエスさまはペトロのことを見つめてくださったんです。ペトロには、その神さまの愛が痛いほどよくわかりました。「神さま、本当にそうなんですね。『わたしの羊を飼いなさい』とイエスさまが言われた、その羊というのは、こんな遠くにもいたんですね」。
そうして、イエスさまの教会はどんどん広がって、世界中に広がって、今ここにも、イエスさまの羊の群れが生きています。今、ここに立っていると、よくわかります。神は人を分け隔てなさらないことが。それでは、お祈りをいたします。
イエスさま、わたしも、わたしたちも、あなたを愛しています。わたしたちも、イエスさまの羊です。羊は、羊飼いの声を知っています。羊飼いを、愛しています。だからこそ、まだ遠くにいるあなたの羊を、大切にすることができますように。まだ羊飼いを知らない羊たちのために、新しい祈りをささげさせてください。今日行われる全体集会の始めから終わりまでのすべてを、イエスさまを愛する愛のもとで行うことができますように。イエスさまのみ名によって祈り願います。アーメン