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恐れるな、ただ信じなさい

2023年5月28日

川崎 公平
マルコによる福音書 第5章21-43節

聖霊降臨記念聖餐礼拝

■今朝は、聖霊降臨の記念の礼拝をしております。外国語で「ペンテコステ」と申しますが、もともとペンテコステという言葉自体に大した意味はありません。「50番目」という意味のギリシア語です。主イエス・キリストがお甦りになった日曜日から数えて50日目、つまり7週間後の日曜日に、弟子たちの群れに神の霊、聖霊が注がれるという出来事が起こりました。そこに教会の歴史が始まりました。そのことを記念して、今でも私どもは毎年イースター・復活の日曜日から数えて7週間後の日曜日に、このように聖霊降臨の記念の礼拝をしているのです。

主イエス・キリストがお甦りになって50日目。既に主イエスは天に昇られ、もう見える姿では地上におられません。それは一方では、心細いことであったかもしれません。けれども実際には、弟子たちにはさびしさをかこつ暇もありませんでした。キリストが甦られてから50日目、弟子たちが集まって祈りをしていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、一同は神の霊に満たされ、そこでようやく、弟子たちは本当に主イエスの弟子になることができました。神の霊を受けて、初めて教会はキリストの教会として生まれることができました。そしてそこで起こった決定的なことは、何と言っても、教会が新しい言葉を語り始めたということでした。教会が、イエス・キリストのことを語り始めたのです。

しかしこの話は、よく考えてみると少しおかしなところがあるかもしれません。少なくともそのとき集まっていた弟子たちは、何年も前から主イエスとのお付き合いがあったのです。それなら、自分たちが見たこと、聞いたことを、そのまま話せばいいじゃないか。神の霊を受けるとか受けないとか、新しい言葉を何とか、なぜそんなことを大げさに言わないといけないか。けれども事実として弟子たちは、神の霊を受けて初めて、ようやく主イエスのことがよく分かるようになりました。数年間寝食を共にしたはずの十二人の弟子たちが、本当のところは何も分かっていなかったのです。ところが神の霊を受けた今は、自分たちが経験した〈イエス・キリスト〉という出来事の意味を正しく理解することができるようになりました。「ああ、あれは、こういうことだったのか。あの出来事は、こういうことだったのか」。

そのようにして成立していったのが、今私どもが読んでおりますマルコによる福音書です。今朝は聖霊降臨記念という特別な礼拝ですが、いつも通り、マルコによる福音書の続きを読みました。少なくともこの箇所に、どこにも聖霊という言葉は出てきません。まるでペンテコステとは関係ないようですが、本当はそうではありません。私どもが読んでいる福音書の言葉のすべてが、神の霊の促しによって記されたのです。神の霊によって目を開かれ、耳を開かれ、心を開かれた人が、「ああ、そうか、こういうことだったのか。あのときイエスさまがこのことをなさったのは、イエスさまがこうおっしゃったのは、こういうことだったのか」。もちろん、病気の女が癒されたとか、死んだ娘が生き返ったとか、その出来事そのものは、すべての人の記憶に強烈に刻まれたことでしょう。けれども、そこで本当は何が起こっていたのか。このイエスというお方がいったい何者なのか、本当のところは、誰も分からなかったのです。教会が神の霊を受けて、そこで初めて、「ああ、こういうことだったのか」。その意味では、ペンテコステの礼拝にふさわしくない福音書の記事というのは、ひとつもない。一行もない。一文字もないのであります。

■今朝は、マルコによる福音書第5章の21節から43節までを読みました。既に前回私が説教したときに、その中間部分の25節から34節までの物語を読みましたので、今日はその外側の部分を読みたいと思います。会堂長ヤイロの娘が、病気か何かでしょうか、12歳という年齢で死んでしまったといいます。こういう聖書の記事は、人によっては、ことに似た経験を持つ親たちには、読むに堪えないものがあるかもしれません。わが子を喪うということは……とりわけこの12歳という年齢は、親にとっていちばんきついものがあったかもしれません。なぜかと言うと、女の子が12歳になったということは、当時の考え方からすれば、もうそろそろ結婚を考えてもよい年頃であったと言われます。ああ、こんなに大きくなって……。それは父親にとって、どんなに大きな喜びであったか。それだけに、38節に「人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て」と書いてありますが、決して大げさでも何でもなかったと思います。ところが主イエスは、「なぜ、泣き騒ぐのか。子どもは死んだのではない。眠っているのだ」。そう言われた言葉を裏付けるように、本当に寝ている子を起こすように、「タリタ、クム」。「少女よ、さあ、起きなさい」。そうしたら、死んだ娘が起き上がって歩きだしたと書いてあります。

今日は特に聖霊降臨の記念日ですから、さらにその先のことをも考えてみたいと思うのです。こんな出来事が起こったとき、ヤイロは何を思ったでしょうか。その12歳の娘は、起き上がったあと、自分の命をどう受け止めたでしょうか。それこそ12歳という年齢を考えても、ヤイロの娘は大人としての責任をもって、自分に起こった出来事を受け止めようとしただろうと思うのですが、それでも、受け止めかねるほどのものがあったのではないでしょうか。この娘は起き上がって、そして主イエスに食事をするようにと促されたと書いてあります。もちろん主イエスは、食事をするヤイロの娘を優しく見守ってくださったと私は思います。どれ、わたしも一緒にごちそうになろうかな、と主イエスも一緒に食事を楽しんでくださったかもしれません。しかし、ヤイロの娘からしたら、何が何だかさっぱり分からないのです。「何が起こっているんだろう。死んだはずの自分が、いったいどうして食事なんかしているんだろう。いったい誰なんだろう、このおじさん……」。「イエスさま、あなたは、いったい何者なんですか」。この問いは、そう簡単に解けるものではなかったと思うのです。

そこでもうひとつ、皆さんにも考えていただきたいことは、ここにヤイロという人名が出てくることです。福音書にこういう具体的な人名が出てくることは、案外そんなに多くはありません。多くの人が推測することは、マルコ福音書が書かれた当時の教会で、ヤイロという人のことがよく知られていたに違いないということです。マルコによる福音書が書かれたのは主イエスの復活の40年後あたりですから、その時代の教会にも、会堂長ヤイロはぎりぎり生きていたかもしれない。当時12歳だった娘の方は、十分生きていた可能性がある。その時はもう少女ではなく、私と同年代くらいのおばさんであります。そういう女性が、教会の交わりの中で、喜んで自分の話をしたと思うのです。

考えてみれば、うらやましい話であります。このヤイロの娘は、主イエスに手を取っていただいた、その主イエスの手のぬくもりを、生涯忘れることはなかったと思うし、そのあと一緒に食事をした思い出があったからこそ、「また、少女に食べ物を与えるようにと言われた」などという細かい描写が残っているのだと思います。しかし何と言っても、「タリタ・クム」、「少女よ、さあ、起きなさい」という、この言葉であります。ヤイロの娘は、自分が聞いたこの主イエスの言葉を、その声色まで真似するように、教会の仲間にも喜んで語ったと思います。

けれども、もしも、もしもです。もしも、そのヤイロの娘の手を取ってくださったお方が、お甦りにならなかったら。そしてもしも、その後教会に神の霊が注がれるということがなかったら、結局は「わたし、臨死体験したのよ。不思議なおじさんがうちに現れてね」、なんてことにしかならなかったかもしれません。やがてヤイロの娘がもう一度、今度こそ本当に死を迎えたとき、「なんだ、わたし、結局死ぬんじゃん」ということにしかならなかったでしょう。けれども、このヤイロの娘は神の霊に満たされて、自分の手を取ってくださったお方が誰であるのかを知ることができました。「わたしは、神に手を取っていただいたのです。神がわたしを起こしてくださったのです。『タリタ・クム』と、わたしに声をかけてくださったあのイエスさまの声は、神ご自身の声」。

■ここに「タリタ・クム」という外国語が出てきます。「少女よ、起きなさい」という意味だと書いてありますが、これはアラム語という主イエスが実際に日常的にお使いになった言葉です。新約聖書はすべて、当時の国際共通語であったギリシア語で書かれましたが、ここだけは主イエスがお語りになった言葉を、その発音を、そのまま書き残しています。ほとんどほかに例を見ないことです。その主イエスの声があまりにも尊すぎて忘れがたく、「タリタ・クム、タリタ・クム」と、誰にでもこの言葉だけを伝え続けたのだと思います。その気持ちは私どもにもよく分かる気がします。

しかしこの「タリタ・クム」という言葉は、それ自体では、少しも崇高な意味を持っているわけではありません。むしろ非常に日常的な言葉です。「おーい、朝だぞ、もう起きなさい。わ、もう7時半、たいへん、遅刻しちゃうよー」などというときにも使う言葉です。「タリタ・クム」。考えてみると、ヤイロも、あるいは40節をよく読むと「子どもの父母」と書いてありますから、もちろん娘の母親も一緒にいるわけで、この夫婦は12歳になる娘のために、12年間、「朝だよ、起きなさい」「タリタ・クム」と声をかけ続けたに違いないのです。41節の文章の主語を、主イエスではなくヤイロとしても、日常の言葉としてそのまま通用します。「そして、子どもの手を取って、『タリタ、クム』『起きなさい』」。この夫婦は12年間、娘のために、この41節に書いてあるようなことをし続けたのです。「おはよう、もう起きなさい」。けれども問題は、どんなに大事な子どもであったとしても、「起きなさい」と言えなくなる時があるということです。どんなに大事な娘であっても、一度死んでしまったら、どんなに強く手を握っても、どんなに大きな声で「起きなさい、タリタ・クム、タリタ・クム」と叫んでも、それがどんなに虚しいことか、私どもはよく承知していますから、むしろまったく黙り込むことしかできなくなるのです。

ところがここでは、12年間娘のために「タリタ・クム」と呼びかけ続けた両親の代わりに、神ご自身に他ならないお方が、「子どもの手を取って、『タリタ・クム』」、そう声をかけてくださいました。まるで父親が、あるいは母親が子どもを起こすように、主イエスはこの女の子に声をかけられたのです。なぜならば、その背後に働いておられるのは父である神だからです。私どもの父なる神、ヤイロの父でもいてくださり、ヤイロの娘の父でもいてくださる神ご自身が、「おはよう。さあ、起きなさい」。この世界の誰も、こんな言葉を口にすることは許されないのです。神おひとりをほかにして、誰もこんなことは言えないのです。しかしこの娘は、事実、神ご自身に手を取っていただいて……。くどいようですが、このヤイロの娘は聖霊の注ぎを受けて、そこで初めて、自分の手を取って起こしてくださったのが誰であるかを知ることができました。「タリタ・クム」と呼びかけてくださったお方が誰であるかを、知ることができたのです。

こんな言葉を語ることができた人が地上に存在したということ自体が、とんでもない奇跡であったと言わなければなりませんし、しかしまた聖霊を注がれた今は、私どもの誰もがこの言葉を、自分自身に語られた神の声として聞き取ることができるようになりました。その命の言葉を、教会もまた担っていくことができるようになりました。その意味で、教会には使命が与えられています。死の力と戦う使命です。主イエス・キリストが死に勝つ言葉をお語りになったように、キリストの教会もまた、今神の霊の注ぎを受けながら、死に打ち勝つ言葉を聞き、また語るのです。

■ある説教者が、こういう考察をしています。ここに、ヤイロという会堂長が出てくる。前半部分ではやたらと饒舌だったヤイロが、後半部分ではひと言も言葉を発していない。なるほどと思わされます。23節には「しきりに願った」と書いてあります。「たくさんのことを言いながら懇願した」という文章です。人が止めても止まらないくらい饒舌になったかもしれません。「イエスさま、助けてください、娘が死にそうなんです、どうか急いでください、12歳なんです、きっとまだ間に合いますから」。ところがその会堂長の言葉がプツっと切れてしまった、そのきっかけになったのは何かというと、35節にこういう人びとの言葉が書いてあります。

イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」。

なんて説得力のある言葉だろう、とその説教者は言うのです。世界でこれ以上説得力のある言葉がほかにあるか。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」。もう、誰が来ても無駄。かくして死の発言権というのは、誰よりも強い。誰も言い逆らえない。そのことを間接的に証明するかのように、ヤイロは35節以降、ひと言も言葉を発していない。あれほど多弁であったヤイロが、すっかり死の力に説得されてしまって、説き伏せられてしまって、もうこれ以上ひと言もしゃべらなくなった。

けれども、その説教者は言うのです。けれども、見よ、ここにただひとり、死の力に説得されないお方が立っている。世界でいちばん説得力のある言葉。世界の誰もが口をつぐみ、誰も反論できないこの場面で、しかしこのお方はただひとり、言葉を持っておられる。「恐れることはない。ただ信じなさい」と、そう言われるのです。

なぜ恐れる必要がないのでしょうか。「わたしがここにいるではないか」と、主は言われるのです。「ただ信じなさい」と言われるのですが、何を信じるのでしょうか。それも同じで、「わたしがここにいるではないか。ただ、わたしを信じなさい」と主は言われるのです。

ヤイロはプツっと黙り込んでしまった、と申しましたが、それはひとつには今申しましたように、死の力に説き伏せられてしまって、ぐうの音も出なくなったということもあったでしょう。しかしまた、神の力に圧倒されて、言葉が出なくなったということもあっただろうと思います。42節には、「それを見るや、人々は卒倒するほど驚いた」と書いてあります。ヤイロは、あるいはその妻も、腰を抜かすほどであったかもしれません。何かを言おうと思っても、言葉にしようがないのです。けれどもそれは、永遠に黙っていたというのでもないだろうと思います。神の霊を注がれて、自分たちの家族に注がれた神の愛の何たるかを知ったとき、神の命の力の何たるかを悟ったとき、そのとき初めてヤイロも、あるいはヤイロの娘も、生き生きと神のみわざを語り始めることができたと思います。「恐れることはない。ただ信じなさい」という、この命の言葉を語り継いだことでしょう。神が、共にいてくださるのだから、もう恐れることはない。ただ、信じなさい。

今私どもも神の霊を受けて、死に勝つ言葉を聞き続け、また語り続けたいと願います。そこに造られる、私どもの教会の歴史であります。お祈りをいたします。

 

聖霊なる御神、今私どもの目を開き、耳を開き、心を開いてください。命の主、イエス・キリストが今も私どもと共にいてくださることを、確かな心で知ることができますように。たとえ死の陰の谷を歩むとも、「恐れることはない。ただ信じなさい」との御子イエスのみ声を、聞き取らせてくださいますように。今、聖餐の食卓を祝います。ここにも主のみ声が聞こえます。「タリタ・クム、起きなさい」と、そのみ声に呼び覚まされるようにして、命の食事を共にすることができますように。感謝し、主のみ名によって祈り願います。アーメン

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