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走り寄り、なだめる神

2013年12月22日

ルカによる福音書15章11-32節
川﨑 公平

主日礼拝

神の御子、主イエス・キリストのご降誕を喜びながら、その特別な祝いの礼拝のために、神が与えてくださったみ言葉であると信じて、主イエスの語られた、ひとつの譬え話を読みました。ふたりの息子の譬え話。もっと正確に言うならば、そのふたりの息子に注がれた、父の愛の物語です。このふたりの息子のうち、弟の方が、父の家を飛び出していき、「放蕩の限りを尽くして」、もらった財産をみな使い果たしてしまうところから話が始まる。そのことから、この主イエスの譬え話は、「放蕩息子の譬え」と呼ばれるようにもなりました。聖書の言葉の中でも、最も愛されているもののひとつではないかと思いますし、もしこの聖書の物語を、今日初めて読んだという方がおられたとしても、一読心に深く刻まれ、二度と忘れることのできない物語であると信じます。そして、何度聞いても、味わい深い話だと思います。

多くの芸術家たちもまた、この主イエスの創作なさった物語に心を動かされてまいりました。そのひとりに、17世紀オランダの画家であるレンブラントという人がいます。この主イエスのたとえを題材にして多くの絵を描きました。……という話をここまでお聞きになって、もしかしたらここにいらっしゃる方の中で、思い出してくださる方があるかもしれない。3年前、まだ私がこの教会に赴任したばかり、最初の夏を迎えるという時に、既に一度この主イエスの譬え話について説教をしたことがありました。その時には、ほとんど説教の始めから終わりまで、レンブラントのひとつの絵を紹介するような説教をいたしました。「放蕩息子の帰郷」と呼ばれる絵です。遂に家に帰って来た弟息子が、既に老いさらばえた父親のまえにひざまずいて、その顔を父親の胸の中にうずめるようにしている。泣いているのかなとも思います。その息子の背中に乗せられている父親の両手は、よく見ると、ちょっと不自然なほどに大きく描かれている。明らかに、その父親の両手、祝福の手と言ってもよいかもしれない、その両手に光の中心が当たっています。とにかく、圧倒的な感銘を与える作品です。

ただし、レンブラントが描いた放蕩息子の作品は、これだけではありませんで、他にも多くの絵が残っています。父親から譲り受けた財産を取りまとめて、意気揚々と家を出て行こうとする場面を描いたものがあります。父親は背中しか見えない。面白いのは、明らかに兄と思しき人物が、家の中から窓越しに、その様子を見下ろしている。「豚の世話をする息子」を描いたものもあります。餌を食べている豚に囲まれながら、がっくりと膝をついている、痩せ衰えた息子の姿を描きます。もうひとつたいへん興味深いのは、レンブラントが結婚して間もない頃の自画像を描いています。新妻を抱きながら、もう片方の手では杯を高く掲げて、そのうしろには、ごちそうのいっぱい乗った食卓が描かれている。孔雀の形のパイがあって、この孔雀は、高慢、うぬぼれを意味するという解説を読んだことがあります。妻をめとって、幸せいっぱいの自分の姿を描いている。しかもそれを、放蕩息子の絵として描いているのです。この作品を描いた時、レンブラントが何を思っていたのか、私にはよく分からないところがあります。しかしどこか悲しみを誘う絵だと思います。なぜかと言うと、何の陰りもないような、幸せそのものというような自分の家庭に見えながら、既に、この時点で、この息子は、「死んでいたのだ」と主イエスが言われた、この譬え話を知っているからです。

この幸せそうな男は、……しかし、死んでいるではないか。神から、断ち切られているではないか。自ら、その関わりを断ってしまったではないか。命の源である方との関わりを。これは、しかしまた、わたしのことではないか。けれども、そのわたしが、愛されているのです。この息子がどこに行こうとも、しかし父親は、この息子の顔を忘れることは一時たりともなかったのであります。そのように主イエスが物語ってくださった、神の愛を知っているから、この物語は、かけがえのない値打を持つのです。

少しおかしな話をするようですが、私の妻には、妹がいます。そしてもうひとり、兄がいました。いました、というのは、生後80日で、心臓病が原因で死んだのです。先日、妻の実家を訪ねる機会がありました。妻の実家は別にキリスト者の家庭ではありませんから、当然のごとく仏壇がある。もう40年以上、兄の写真が置いてあります。私もその写真は何度か見たことがあったはずですが、先日改めてその写真を見た時、あっと声を挙げるほどに驚いた。うちの生まれたばかりの息子に、そっくり。それで、われわれ夫婦と、妻の両親と、生まれたばかりの息子と、それから死んだ兄の遺影も加えて、仏壇の前で集合写真を撮りました。牧師が仏壇の前で写真撮影というのもどうかと思いましたが……。

私ども夫婦に初めての子が与えられて、改めて数えてみると54日が過ぎました。けれども、その息子があとひと月足らずで息を止め、冷たくなるのかと思うと……妻の両親は、今でも忘れることなんかできないだろうなと思います。

あの放蕩息子の父親も、まさか弟息子の写真を仏壇に飾りはしなかったと思いますが、一時たりともその顔を忘れることはなかったのであります。しかも、この弟息子は、病気で死んだわけではない。罪のために、〈失われていた〉のです。24節、32節では、主イエスはそれをはっきりと、「死んでいた」「いなくなっていた」と言われます。死んでいた。失われていた。そのことが、父親にとって、どんなに深い悲しみであったかということをお語りになるのです。

「放蕩息子の譬え」と呼ばれます。しかし一方で、それはあまり適当な呼び名ではなかったと、多くの人が反省をしています。なぜかと言うと、この弟息子が放蕩の限りを尽くした、その意味で不道徳な生活に落ち込んだことが問題の中心ではないからです。失われたのです。死んでしまったのです。既に第15章の10節までのところで、主イエスは「いなくなった羊」、「無くなった銀貨」のたとえを話された。そしてここで、「いなくなった息子」の譬えを語られたのです。〈失われた息子〉。しかし、誰が失ったのでしょうか。言うまでもなく神です。

失うというのは、悲しいことです。私は、妻に兄がいたことを知ってはいましたが、自分に同じような小さな子どもが与えられて、改めてその心を思いました。〈失われた息子〉……考えてみれば、いや、考える必要もないほどに、失うというのは、悲しいことです。あの子がいなくなって、悲しい。しかしここで主イエスは、神の悲しみを語るのです。

クリスマスを祝うということは、これは一方ではうれしいことですけれども、また他方から言えば、なぜ主イエスというお方がこの世に来てくださらなければならなかったか。私どもを失った神の悲しみが、それほどに深かったのだということであります。失った羊を捜すために、失った銀貨を捜すために、主は来られたのであります。そしてここでは、「失われた息子」であります。その息子が、見つかった。死んでいたのに、生き返った。そのことを、神が今、どんなに喜んでおられることか。私どもが知るべきクリスマスの喜びは、私どもの喜びというよりは、むしろ、私どもを見出した神の喜びと言うべきであります。だからこそ、天使が主イエス誕生の知らせを告げた時に、何よりもまずそのことを喜び歌ったのは、あの天使の大軍であった。神の喜びを、天使たちも共に喜んだのであります。その神の喜びを、ここでも主イエスは告げます。

ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。

そこで、改めて思うのです。そのような父親の喜びの声を、この弟息子はどんな思いで聞き取ったであろうか。

今日は柄にもなく、ちょっと芸術系の話を続けるようなことになりますが、私がこの譬え話を読みます時に、ひとつ思い出すことがあります。私が大学生の頃、ひとつ熱中していたことは、バロックよりもさらに古い時代、中世・ルネサンスの時代の音楽を歌うことで、そういう時代の音楽しか歌わない合唱サークルに所属していました。別に自慢できることでは決してないのですが、最後の1年は指揮者をやりました。その時に、1年かけて練習した曲のひとつに、この主イエスの語られた譬え話の一部を歌うものがありました。ほとんど飢え死にしそうになったこの息子が、しかし我に返って、父の家に帰る決心をする。その弟の悔い改めの言葉だけを歌うのです。もう少し正確に言うと、17節から19節までを、しかも少し順序を組み替えています。

父よ、わたしは罪を犯しました。天に対しても、またあなたに対しても。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。

父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「雇い人の一人にしてください」。

こういう言葉を、しかもラテン語で歌いながら、指揮者としてはひとつ気がかりなことがあった。この言葉だけを読んでも、物語全体を知らなければ、さっぱり意味が分からないのではないか。何十人もいる中で、教会に行っているのは私ひとりというサークルです。そこで、ここは指揮者の特権を利用して、ある時、聖書をコピーして配り、放蕩息子のたとえだけでなく、ほかに歌ういろんな曲についても、これはこういう聖書の言葉で、こういう文脈で、という説明を試みたことがありました。そのようにいくつかの聖書の言葉を読み、さて次は放蕩息子のたとえだという時に、ちょっとびっくりすることがありました。後輩のひとりが突然、「川﨑さん、ちょっとぼくに読ませてもらっていいですか」。そして、彼がこの放蕩息子のたとえを朗読しました。私が読む前に自分で黙読して、何か、心に触れるものがあったに違いないと思いました。しかし、彼が何を感じたか、結局聞くことはありませんでした。ちょっと後悔しています。

案外、多くの人が、こう言いたい、神よ、わたしはあなたにこう言ってみたいのですと、思っているのではないかと思います。17節にあるように、「我に返って」、つまり、自分の本当の心に立ち帰って、「父の家に帰ろう」。そして、帰ったら、こう言おう。必ずこう言おう。神さま、わたしが一番言いたいことはこういうことなんです。あなたのもとに帰りたいのです。しかし、あなたの息子と呼ばれる資格はありません。あなたの雇い人のひとりにしてください。そういう悔い改めの祈りを、教会の音楽家たちが好んだのも、当然のことであったかもしれない。しかし、他方から言えば、注意深い方は既にお気づきかもしれませんが、この弟息子が「必ずこう言おう」と用意していた悔い改めの言葉は、この父親によって、途中で遮られています。21節。

息子は言った。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」。

……とか言っている息子の言葉もろくに聞かずに、この親父は息子を抱きしめながら、言うのです。「食べて祝おう」。いったいこの弟息子は、どんな顔してごちそうを食べたのだろうかと、ふとそんなことを想像します。何だか複雑な気持ちだったのではないか。思いもかけないごちそうを目の前にしながら、いやね、お父さん、本当はごちそうじゃなくて……あのー、もうちょっと言いたいことがあるんですけど……えーと、雇い人のひとりに……。けれども、この父親の愛に抱きしめられるようにして、気づいていったのではないかと思います。「わたしは、死んでいたのだ」。家を出た、その瞬間から。そのことを、この父親は、どんなに悲しんでいたことか。「けれども、わたしは生き返ったのだ。この父の愛の中で」。

この〈放蕩息子の譬え〉と呼ばれる物語は、悔い改めを語るものだと言われます。それはその通りです。既にこの第15章の7節にも、10節にも、「ひとりの罪人が悔い改めるならば」、「大きな喜びが天にある」。そう言われるのです。しかし、悔い改めって何でしょうか。「雇い人の一人にしてください」と言うことが、悔い改めなのでしょうか。そうではないと、私は思います。「雇い人の一人にしてください」という祈りが私どもの心を打つのは、それが本心からの祈りであるからでもありますけれども、それを神が打ち消してくださるような、そういう祈りであるからこそ、私どもの心を打つのです。

だから、ある説教者ははっきりと言います。「この弟息子が、我に返って、家に帰ろうと決心した時、しかしそれはまだ、悔い改めたことにはなっていない。この弟が本当に悔い改めたのは、親父に抱きしめられたあとだ」。思いもかけないごちそうを食べながら、やっと気づくのです。ああ、そうか。わたしは、愛されていたのだ。この父親に。この神の愛を軽んじることほど、大きな罪はないのです。

悔い改めるということは、どれだけ深く、自分の悪かったことを悔やむことができるかどうか、というような問題ではないのです。自分の罪を悔やむなら、本当に悔やんでいるのなら、もう父の家に帰ることなどできないとあきらめた方が、もしかしたら潔いとさえ言えるかもしれないのです。飢え死にしそうなのであれば、そこで潔く自らの命を断てばよいのです。けれども、主イエスがここで明確に教えておられる悔い改めの道は、そういうことではありません。ただひたすらに神を神とすることです。神のみ心を重んじるということです。その神のみ心とは、たとえば、80日で死んだ子どもの写真を仏壇に飾り続ける親の愛なんか、吹き飛ばしてしまうほどの大きな神の愛の中に立つということでしかない。わたしを失うということが、神にとって、どんなに悲しいことであったか。その死んでいた息子が生き返るということが、神にとって、どんなに嬉しいことであったか。その喜びを爆発させるように、「食べて祝おう」と叫んだ父親の姿を主がお語りになった時、まさにそのようにして、神が、まさに神であられることを貫いてくださったのであります。

悔い改めるとは、この神のみ心を重んじることです。この神の悲しみを知り、この神の喜びを受け入れることです。兄息子には、それがどうしてもできませんでした。

この主イエスの語られた譬え話が、私どもにとって忘れがたいものになっているのは、ここに兄が登場するからです。この兄の言葉からすると、真面目に父親のもとで働き続けていました。言いつけに背いたことも、一度もありません。その兄が、いつものようにまじめに畑仕事をして、けれども家に帰ってくると、どうも様子がおかしい。「家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた」。いったい何事か。召使に聞くと、弟が帰ってきて、父親がそれを喜んでパーティーを開いているらしい。そこで、兄は怒るのです。「兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた」。

この兄のことを理解するために、やはりどうしても、この第15章の最初に戻って読んでみないといけないと思います。

徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。

この「徴税人や罪人」とか、「ファリサイ派の人々や律法学者たち」という言葉について、いちいち私が説明し直す必要はありません。主イエスが既に、たとえによって説明してくださっています。兄のような人たちがいたのです。25節で主イエスは、「ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた」と言われます。あなたがたも、今、その喜びの調べを耳にしているね、と言われるのです。「兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出てきてなだめた」と言われます。あなたがたは怒っているね。あなたがたが退けた弟を、わたしが受け入れてしまっているから、怒っているんだろう。お前の怒っている理由を、わたしはよく理解しているよ。そう主イエスは言われながら、その兄たちを、「なだめ」ようとするのです。

ある説教者が、こういう想像をしています。「弟が帰って来た時、たまたま最初に出迎えたのが、もしも兄であったなら、ずいぶん話は変わっていたのではないか」。これは、たいへんおもしろい想像です。弟ががりがりに痩せ細った姿で帰って来る。たまたま兄がそれを見つける。どうした、お前。そうすると、弟はもともと父に言おうと思っていた台詞を、もちろん兄にも同じように言う。「お兄さん、わたしは天に対しても、またお兄さんやお父さんに対しても罪を犯しました。もうあなたの弟と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」。そう言われたら、兄もそう激しくは怒らなかったのではないか。そうか。やっと分かってくれたか。だいじょうぶ、おれもそんなに怒っていないぞ。さあ、一緒にお父さんのところに行こう。まあ、お前のやらかしたことは確かに深刻だけれども、しかしお前が誠実に謝れば、きっとお父さんだって赦してくれるに違いない。何だったら、おれも一緒に謝ってやるぞ。……案外、兄は、広い心で弟の謝罪を受け入れたのではないか。なるほど、そうかもしれないなと、私も思いました。ついでに、主イエスがこういうたとえ話を作ってくださったなら、もっと多くの人に受け入れられたのではないかとも思いました。そして、そのように思ってしまう、自分の心の狭さに気づいて、ほとんど絶望的な思いになりました。

私どものほとんどすべてが願っていることがあるのです。それは、わたしの弟が、まずわたしに謝ってくれることです。いや、ここは大切なところですから、もっと率直に言いましょう。わたしに対して罪を犯した人が、まずわたしに謝ってくれること。それが、私どもの願っていることです。「申し訳ありませんでした。わたしが間違っていました。正しいのはあなたの方でした」。いつか徴税人、罪人たちがそう言って悔い改める日が来ないものか。ファリサイ派、律法学者たちが願っていたことも、そのことだったのです。

主イエスはここで、弟息子は飢え死にしそうになったと言われましたけれども、実際にはその弟に譬えられている徴税人の方が、ファリサイ派の人たちよりもずっと金持ちです。大きな家に住み、上等な服を着ていたに違いない。ファリサイ派はしかし、ただひたすらに神の言いつけに背くことはすまいと、貧しさにも耐えたのです。そのファリサイ派の前に、もしも徴税人がきちんと悔い改めて、「わたしはお兄さんに対しても罪を犯しました」と言ったなら、ファリサイ派は喜んでこれを赦したに違いないと私は思います。「雇い人の一人にしてください」などと言ってくれたら、それはもう大喜びで、その謝罪を受け入れたと思います。私どもがふだん考えていることは、圧倒的に、このファリサイ派の方に近いのです。

けれども、主イエスが語られた譬えは違います。私どもの願いに、真っ向から逆らうような物語です。兄の意向などお構いなし。さっさと父親は、この弟を赦してしまいました。そして祝宴が始まり、その音楽や踊りのざわめきが聞こえてくる。その神の喜びを、しかし兄たちは、受け入れることができませんでした。それはまた、息子を失う神の悲しみをも、理解することができなかったということです。それで腹を立てたのです。まさにそこで、今度はこの兄たちが、神から離れて行きました。失われた者となってしまいました。そして、要するに福音書が最後に何を語るかというと、この神の愛に納得できず、腹を立てた人びとが、遂に家に入ろうとはせず、神の愛を殺したということです。そこに、主の十字架が立ちました。自分たちもまた神に愛されていることを、見事に見失った。そして私どもも、神の愛を、いつも見事に見失うのです。そして、神の愛を見失う時、私どもはまさにそこで、自分自身を失うのです。

これは3年前の説教でも同じ話をいたしましたが、28節に、「兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出てきてなだめた」とあります。この「なだめる」と訳されている言葉は、もともと、「そばに呼ぶ」という意味の言葉です。それこそ、まだ私が大学生だった頃、ようやく少しずつ読めるようになってきたギリシア語で、この放蕩息子のたとえを読んだことがあり、その時にこの言葉に出会った時に、深くこころを打たれました。怒って家に入ろうとしない兄。それを、「お前もこっちへおいで」と、「そばに呼ぶ」、その父親の姿を思い描き、深い感銘を受けました。幼い頃から親しんでいたと思っていたこの譬え話が、新しい響きを立て始めたような気がいたしました。「お前も入っておいで。わたしのそばにおいで。わたしの愛の中においで」。

後に神学校に行き、この「そばへ呼ぶ」というギリシア語が、新約聖書において重要な役割を与えられ、特に「慰める」と訳されることがあることを知りました。ヨハネによる福音書においては、この言葉が聖霊、神の霊について用いられ、聖霊とは「慰める方」「そばにいてくださる方」と呼ばれることを知りました。

私どもの父である神が、私どもをそばへ呼んでくださる。あなたもこっちへおいで。それが既に、何にもまさる慰めでしょう。そして、神に呼ばれて行ったその場所で、私どもはひとりで神に会うのではありません。必ず他の人がいます。私どもがまだ赦していない人が、すでに神に迎えられています。私も神に呼ばれてそこに行きます。そこでいつも新しく知るのです。神の悲しみと、神の喜びを。このわたしのことを悲しまれる神、このわたしのことを喜んでくださる神です。

主イエスというお方は、まさにこの神の悲しみと、神の喜びを体現なさった方でした。あの弟のために走り寄ってくださる神の愛、そして兄たちをもそばに呼んでくださる神の愛。この主イエス・キリストというお方と共に、神の愛が見えているのです。ここにわたしがいるではないか。このわたしの姿が見えるか。このわたしの言葉が聞こえるかと、主は言われるのです。そこにまた、神に愛された私どもの姿も見えてまいります。ここに、このお方と共に、神の愛があるのです。

この神の愛のわざに最もふさわしいことを、今ここでいたします。この聖餐の食卓は、「食べて祝おう」と、あの父親が言ってくださったその御心を、鮮やかに映し出す食卓であります。死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった私どもであることを、ここで新しく発見したいと心から願います。お祈りをいたします。

あなたの悲しみに気づかせてください。あなたの喜びに心を開かせてください。そのようなあなたの愛に巻き込まれている私どもであることを、今この食卓において、心深く悟ることができますように。あなたに愛されている隣人の姿をも、新しく発見することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン。

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