誰がわたしを救うのか
ルカによる福音書第20章41―44節
川﨑 公平
主日礼拝
先ほど、讃美歌168番を歌いました。9月最初の日曜日、振起日において、ぜひこの讃美歌を歌いたいと思いました。この讃美歌を作ったブラッドベリーという人は、私どもにとって忘れることのできない人だと思います。「主われを愛す」というこども讃美歌や、洗礼の時に必ず歌う199番も、同じ作曲家のものです。私どもにとって忘れることができないのは、あの讃美歌280番も同じ作曲家の手によるものだということです。番号を聞いただけで、「ああ、さゆり先生の讃美歌」というように思い起こされる方もあると思います。加藤さゆり先生。長くこの教会の伝道者であり続けました。つい10日前、この場所で葬儀をしなければなりませんでした。そこでもこのさゆり先生の愛唱讃美歌を歌いました。そう言われてみると、168番と280番、旋律がずいぶん似ています。いずれも単純素朴なメロディーです。歌詞の内容も複雑なものではない。ただひたすらに主イエスに対する愛を歌います。思えば加藤さゆり先生も、ひたすらに主イエス・キリストとの愛に生きた教師でした。
9月の最初の日曜日を振起日と呼びます。何と言っても、主イエス・キリストに対する愛を振るい起こさせていただくのです。もし覚えているなら、「主われを愛す」と、子どもの頃に習い覚えた讃美歌を口ずさんでみてもよいと思います。主イエスがこのわたしを、こんなに愛してくださる。だからこそ、私どももひたすらに主イエスを愛し抜くのです。
そのような朝に、ルカによる福音書を読み進めてまいりまして、第20章41節以下を読むことになりました。すばらしい神の導きだと、私は感謝しています。なぜ私どもはこのお方を愛するのか。そのことを、ここで主イエスご自身が明らかにしてくださっていると思うからです。
ルカ福音書第20章がここまで記してきたことは、主イエスがエルサレムの神殿で論争をなさったということです。40節には「彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった」とありますから、そこで論争はひとまず終結したということになります。けれどもそこでなお、今度は逆に主イエスの方から、「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか」と質問をなさったのです。
メシア、つまり救い主です。原文ギリシア語をそのまま発音すれば、むしろ「キリスト」です。そうすると、主イエスはここでご自分の話をしておられると読めそうですが、このとき皆がイエスはキリストだと信じていたわけではありません。むしろ人びとは、いつかメシアが来てくださるはずだという期待を抱いていました。そして、そのメシアは「ダビデの子」、つまりダビデの子孫から出るはずだと信じられていました。旧約聖書がはっきりとそう教えているからです。
王ダビデ、ユダヤの人びとにとっての最大の英雄です。イスラエルがその歴史上、最も繁栄した時代を築き上げた王です。ユダヤの人びとは、そのダビデの再来のような方が、いつか必ずわれわれを救ってくださるという期待を抱き続けたのです。
同じ第20章の20節以下に、ローマ皇帝に税金を納めてよいか、という議論がありました。その背景にも、神がメシアを遣わしてくださる時には、もうローマ皇帝などに税金を納めなくてもよい、という具体的な期待があったのです。私どもからすると何でもないことのようですが、当時のユダヤの人たちにとっては切実なものがあったと思います。
昔、ある物語の中で、こういう話を読んだことがあります。皇帝に納める税金を集めるために、村に徴税人がやって来る。福音書にもよく出てくる徴税人です。けれども、どうしてもお金を工面できない家がありました。土下座したって許してはもらえません。それで、その家の中に徴税人たちが押し入って、年頃の女の子をひとりさらっていきました。もちろん、その女の子が再び親の手に帰ってくることはないのです。
「神よ、助けてください。いつまで耐えなければなりませんか。どうか、私どもをお救いください」。そのような祈りの中で深まっていったのが、〈メシア信仰〉であったのです。この祈りは、もちろん聞かれました。あのナザレのイエスこそ、神のメシアであったのです。
けれども、そのイエスが改めて問われます。「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか」。これだけ読むと、イエスはダビデの子ではない、とも取れそうですけれども、それは多くの聖書の言葉と矛盾します。特にルカによる福音書はクリスマスの物語において、このような天使の言葉を伝えます。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(第2章11節)。この方こそ、まことにダビデの子、メシアであると告げたのです。
「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか」という言葉は、むしろ、「いかなる意味で、『メシアはダビデの子だ』と言うのか」と訳した方がよいようです。「メシアはダビデの子だ」とあなたがたは言うけれども、どういう意味での救いをあなたがたは期待しているのか。あなたにとってのメシアとは、どういう存在なのか。
そこで主イエスは、ダビデが歌ったとされる詩編第110篇を引用なさいます。
ダビデ自身が詩編の中で言っている。
「主は、わたしの主にお告げになった。
『わたしの右の座に着きなさい。
わたしがあなたの敵を
あなたの足台とするときまで』と」。
このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。
「主は、わたしの主にお告げになった」とは、「主なる神が、神の遣わすメシアにお告げになった」ということです。神がメシアに対して、「わたしの右の座に着きなさい」と言ってくださいました。神のご支配を、この主なるメシアが実現するということです。
そこで主イエスは問われる。ダビデがここで、メシアのことを「わたしの主」と呼んだのはなぜか。このメシアとは、あなたがたが思い描いているようなダビデの子と同じだろうか。むしろダビデ自身が、本当の救いは自分のような者によっては実現されないということを知っていたのではないか。自分の孫の孫の、さらにもっと先の孫を指差して、「わたしの主」と呼ばざるを得ないような、自分の枠をはるかに飛び抜けた救い主を、既にダビデは仰いでいたのではないか。
主イエスは、飼葉桶にお生まれになりました。王宮ではなく、馬小屋にお生まれになった。そのとき既に、ダビデの枠をはるかに抜きん出た特質が明らかになっていたと思います。あるいは、これに先立つ第19章で、主イエスは馬ではなく、ろばの子に乗ってエルサレムに入られた。ローマ皇帝どころか、その手先の徴税人にさえ劣る貧しい姿を見せながら、実にここに、神の救いの形が現れていたのです。
それどころではない。既に皆さんもお気づきだと思います。主イエスは、よりにもよって、徴税人のような人間と一緒に食事をすることを大切になさいました。人びとの素朴な思いからすれば、あの徴税人から受ける苦しみから救われますように、という思いがあったに違いない。それだけに、あの徴税人の頭ザアカイの家に主イエスが入って行かれたとき、人びとがどんなに驚いたか、どんなに苦しい思いになったかと思うのです。そんな救い主は困る。神のみこころを大事にしようと思う人ほど、そう思ったに違いないのです。
そのような主イエスが、先ほど申しましたように、この第20章で、さまざまな論争をなさいました。望んでもいないのに、険しい論争に巻き込まれたのです。主イエスが、人びとの意に沿わない救い主だったからです。その論争の最後に、改めて主イエスが逆に質問をなさった。「なぜあなたがたは、メシアはダビデの子だと言うのか。その心のうちにあるものは何か」。これは、主イエスの深い悲しみから生まれた問いだと私は思います。「あなたがたは、わたしのような救い主を欲しがってはいないね」とおっしゃったのです。だからこそ、主イエスは十字架につけられたのです。
私どもは、この十字架につけられたお方を愛しております。考えてみれば、不思議なことです。私どもの期待に沿う救い主ではなかったから、主イエスは十字架につけられたのです。このお方は、誰からも愛されて、多くの人びとに惜しまれながらその生涯を終えられたのではありません。人びとが惜しまず殺した。そのお方を、私どもは今なお愛し続けている。考えられないことが起こっております。なぜなのでしょうか。
ルカによる福音書は、主の十字架の上から聞こえてきた、このような祈りの言葉を記録しています。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(第23章34節)。
私どもは、このお方に愛されたのです。赦されたのです。祈っていただいたのです。ダビデ王を遥かにしのぐ救い主に、私どもはここで出会ったのです。
ルカは、この福音書の続編として、使徒言行録を書きました。ここで引用される詩編が語るように、主イエスは天に昇られ、神の右にお座りになった。その主イエスのお姿に慰められた教会が、なおどのような歩みを作ったか。それを伝えるのが使徒言行録です。
何と言っても忘れることができないのは、最初の殉教者ステファノです。教会の奉仕者として7人の人が選ばれた。私どもの教会で言う執事です。そのひとりステファノが、人びとの憎しみと無理解に囲まれて、石に打たれて殺されます。そのときステファノは、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言いました。神の右に座しておられるキリストが、しかしここでは、ステファノのために立ち上がってくださいました。
そのような主のお姿を仰ぎながら、ステファノは申しました。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」。主の十字架の上における祈りと、ステファノの祈りとを、ルカが重ねて理解していたことは明らかです。主イエスに愛され、主イエスを愛して生きる人間が、どのように生き、どのように死ぬのか。ルカはその姿をこのように鮮やかに描き出します。
考えてみれば、誰も、こんな救い主を期待してはいなかったのです。けれども、今は私どもも知りました。まさにここに、人間が人間らしく生きる道があるのです。主イエスに愛され、主イエスに赦されていることを知るときに、私どもは死の力からも、罪の力からも自由にされるのです。
加藤さゆり先生の葬儀をした日、私は牧師として初めての経験をしました。葬儀をしたその日のうちに、火葬場からまっすぐバスで教会墓地に向かい、そのまま納骨をしました。葬儀のあとに加藤常昭先生が説明なさったように、教会の伝統的な葬りの方法に則っただけのことです。しかしやはり異例のことです。墓地に向かうバスの中で、たまたま私の隣りに座った方が心配なさるようなことをおっしゃいました。こんなに早く納骨をして、常昭先生はだいじょうぶなのか。葬儀にご出席になった方はよくお分かりになると思います。さゆり先生の死が、夫である常昭先生にとってどんなに大きな打撃であったか。せめてその遺骨だけでもご自宅にしばらく置いておきたいとは思わないのだろうか。確かに、私どもはそういう思いを知っているのです。
けれども、教会墓地に到着して、こういう言い方が許されるかどうか、加藤常昭先生がその日のうちでいちばん明るい表情を見せておられるのを見て、やはりここに来てよかったと思いました。そこで改めて、聖書の言葉をかみしめるように読みました。主イエスが墓に葬られたときの記事を読んだのです。この救い主は、墓に葬られることを大切になさったのです。
考えてみれば、十字架で殺されて墓に葬られる救い主なんて、誰も期待しなかったのです。けれども、主イエスというお方は、墓に葬られることによって、救い主のみわざを成し遂げられました。死においても、「主が共にいてくださる」と言えるようになったのです。遺骨を抱きしめて泣いているだけでは知ることのできない慰めを、私どもは、墓の前でこそ知ることができる。主が墓に葬られたからです。そのお方を、神が甦らせてくださったからです。
その墓の前でも、私どもは明るい思いで讃美歌を歌うことができます。さゆり先生のもうひとつの愛唱讃美歌は、第2編の1番でした。「こころを高くあげよう、こころを高くあげよう」と繰り返し歌います。神の右に座しておられるキリストのみ名を、こころから呼びます。死を超える望みに根ざす賛美であります。
もしかすると、あのステファノの愛唱讃美歌も、このようなものではなかったかとふと思います。私どもにも等しく与えられている望みです。神の右に座すキリストを仰ぎながら、死の悲しみに勝ち、しかも、敵をも愛する自由に生きることができるのです。