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神の忍耐と慰めを学ぼう

2012年2月12日

ローマの信徒への手紙第15章1-7節
川﨑 公平

主日礼拝

今日の礼拝のために、ローマの信徒への手紙第15章の最初の部分を皆さんとご一緒に読みました。いつも私がここに立って説教する時に読み続けておりますルカによる福音書を少し休んでのことであります。今日の小礼拝は教会学校との合同礼拝で落合先生が説教なさいましたので、主礼拝だけルカによる福音書を先に進めるわけにはいかないということもあります。ついでに言えば、再来週、次に私がここに立って説教する時には、コリントの信徒への手紙1の第1章を読みます。皆さんとご一緒に思いを集め、祈りをひとつに集めたい、そのために神が与えてくださった御言葉と信じて、少し違う聖書の御言葉を読みたいと思います。

再来週の主日、2月26日、その日は小主合同礼拝を9時15分から行い、その後、今年度第2回の定例教会総会をいたします。長老選挙を行い、来年度の予算を立て、また伝道計画を立てます。来週の日曜日、その総会のための資料を配布しようと予定しています。昨年度の総会では、かなり具体的な、しかもずいぶん新しい、これまでとは違った方針を打ち出しましたけれども、今回の総会ではそれほど目立った具体的な計画を提案するわけではありません。ただ、私が来年度、皆さんと一緒に特に祈りをひとつに集めたいと願っておりますことは、「慰めの共同体」としての教会を造らせていただきたいということです。教会とは、「慰めの共同体」である。そのことを大切にしたい。

この「慰めの共同体」という主題は、この教会においては言い古されてしまった言葉というか、ほとんど古典的な主題になっているというところがあると思います。30年ほど前にもこの主題を掲げて、しばらく連続で当時の牧師の加藤常昭先生が説教し続けたということもあります。あまりにも使い古された言葉なので、今さら私が「慰めの共同体」と声を張り上げても、あまり皆さんの心が動かないのではないかなと、心配しないわけでもありません。しかし、この「慰めの共同体」という主題は、新約聖書全体にわたって広く見られる大切な信仰の主題であると思っています。私どもがいつも読んでおりますルカによる福音書にも、この「慰めの共同体」という隠れた主題があると私は見ております。

そこでまず「慰める」という言葉ですけれども、例えば今日読みましたローマの信徒への手紙第15章の4節と5節にも「慰めの神」という言葉が出てきました。新約聖書に広く使われる言葉であります。しかし、非常にさまざまな訳され方をする言葉でもあります。そのことについてはまた再来週の説教でも触れます。この「慰める」という言葉の基本的の意味は、「そばに呼ぶ」ということです。「あなたもこっちにおいで」と、そばに呼ぶ。

来年度、私どもの教会は伝道開始95年の節目の年を迎えます。これまで私どもの教会は、そのような5年ごとの節目の年に、教会の記念誌というものを作ってきました。その5年の間に新しく教会に加わられた方々の信仰の言葉と、その間にお亡くなりになった方々の追悼の文章をまとめ、1冊の本にするという作業をしておりました。しかし、95周年の時には、そういう記念誌を作らないということを、既に私が赴任する前に既に決めていたようです。100周年の時に大きなものを作るということでしょう。その代わりに、来年度私どもの教会でしたいと思っていることは、教会員全員の顔写真に名前を添えた、言ってみれば写真つきの教会員名簿のようなものを作りたいということです。「慰めの共同体」、言い換えれば「神の家族」と言ってもよいのです。しかし、家族なのに顔も名前も分からないとなると、慰めも感じにくいですからね。できれば、親子兄弟のような関係にある人たちはなるべく一緒に写っていただいて、「なんだ、あのふたりは親子だったのか」とか、「ええ? あのふたり、夫婦だったの?」とか、そういうことがよく分かるような、パラパラめくっているだけで何となく楽しい気分になるような、そういうもの作りたいと願っております。これは、昨年の秋に私どもの教会から、アメリカ改革派教会(RCA)へ訪問団が行きました時に、向こうの教会に教えていただいた知恵です。まだ何も具体的な準備をしているわけでもありませんが、たとえばそういうところでも私どもが知るのは、「この人も、この人も、神に呼ばれたのだ」ということです。ここに顔と名前が載っているひとりひとりの顔を神さまがじっとご覧になって、その人の名前を呼ぶようにして、ここに生かしていてくださる。神に呼ばれる。おそばに呼んでいただく。それが私どもの知る「神の慰め」そのものです。

先ほど、ルカによる福音書にも「慰めの共同体」という隠れた主題があると申しました。私がほとんど暗誦している言葉があります。ルカによる福音書第15章に、放蕩息子の譬え、失われた息子の譬えと呼ばれる、主イエスの語られた物語があります。その物語の終わり近く、第15章28節にこういう言葉があります。「兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出てきてなだめた」。この「なだめた」と新共同訳では訳されている言葉が、元の意味に帰って訳すならば、「そばに呼んだ」という言葉であり、「慰めた」という意味にもなるのです。

この放蕩息子の譬え、失われた息子の譬えと呼ばれる物語は、忘れがたいものです。特にルカによる福音書を読み続けていると、しばしばこの物語を思い出さないわけにはいかなくなります。父親の財産を、放蕩の限りを尽くして食いつぶし、しかも飢え死にしそうになって帰ってきた弟息子を、けれども父親はなんのわだかまりもなく、喜んで迎え、祝いの食卓を用意してくださる。しかし問題は、兄が弟を受け入れなかったということです。いや、そのように弟を受け入れておられる父親のことも受け入れることができなかったということです。

「兄は怒って家に入ろうとはせず」、けれどもそのような兄を、父親はそばに呼ぶのです。お前も入っておいで。中に入っておいで。わたしの喜びの中に。もちろん、神が私どもをそばに呼んでくださるのです。そのようにして神に呼ばれた者が作る集まり、それが「慰めの共同体」、教会です。けれどもそこで私どもが改めて気付くことは、ひとりひとりが神に呼ばれて、そうして造られる教会という集まりの中には、ずいぶんいろいろな人がいるということです。はっきり言って受け入れにくい人もいるということです。それが「慰めの共同体」です。その難しさに、ルカもまた気付いていたのでしょうか。

今日はローマの信徒への手紙第15章を読みました。「慰め」という言葉が出てくるのは、その4節と5節とであると既に指摘しました。改めて読んでみます。

それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ……

「忍耐と慰め」という言葉が重ねられます。元の意味に帰って訳すならば、「聖書から忍耐とそばへ呼ぶ呼びかけを学ぶことができる」と訳すこともできます。「忍耐とそばへ呼ぶ呼びかけの神が」と言うこともできるのです。実際に、3年ほど前に出されたある日本語の新しい聖書の翻訳では、「忍耐と呼びかけの神が」とはっきり訳したものもあるのです。

神が私どもをそばに呼んでくださる。それが、私どもが教会で知る神の慰めそのものである。けれどもそこで、パウロは「忍耐」という言葉を付け加えます。放蕩息子の譬えで、家に入ろうとはしない兄を一生懸命なだめた父になぞらえられている神は、そこでも既に忍耐しておられたでしょう。その神の「忍耐と慰め」を学ぼうと言うのです。今日の説教題を「神の忍耐と慰めを学ぼう」といたしました。私どもが一生懸命忍耐して、ほかの人を慰めることができるように、ということよりも、むしろ、まず神がどんなに忍耐してこのわたしをそばに呼んでくださったか。その神の忍耐と呼びかけを学ぼうという思いがあります。

しかし、なぜパウロはここで「忍耐と呼びかけ」と言うのでしょうか。第15章の1節に、「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」とありました。この強い者、弱い者という言葉が少し分かりにくかったかもしれません。この主題は、実はもっと前から、第14章の最初から始まっておりまして、本当はそこから読むべきだったかもしれません。第14章の1節以下には、「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです」とあります。「野菜だけを食べている」というのはいったい何か。ここで少し明らかになってくることは、ローマの教会の中にひとつの対立があったということです。その理由をここで詳しく説明することはいたしませんけれども、「われわれは肉を食べない、肉を食べると自分は汚れる」と信じた人たちがいたのです。言うまでもなく、それは宗教的な理由であって、健康のために野菜だけ食べようということではありません。しかし問題は、そのことをめぐって、教会の中に対立が生まれたということです。第14章の3節に、「食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです」。「軽蔑してはならない、裁いてはならない」と言葉を重ねます。もちろん私どもは、肉を食べてはならないとか、何を食べてはならないとか、そういうこだわりや迷信の類からは自由になっているはずです。しかし問題は、そのような自由を得た人たちが、いまだにおかしなこだわりを捨てきれない人たちを裁き始めたということです。軽んじ始め、受け入れられなくなったのです。今日読みました第15章の7節にも、「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」と言います。ひとりひとり神に呼ばれ、キリストに受け入れられたひとりひとりであるはずなのに、お互いに受け入れられなくなったのです。

ここにおられる多くの方にとって、理解しにくい話ではないと思います。パウロはここで、同じ教会の仲間として生きていながら、お互いに受け入れ合うことができない現実を見ながら、それでは困るのではないですかと問うているのです。そして、少しでも教会生活を続けた人間であれば分かるのです。たとえば、教会に来たばかりの人が、まず何を喜ぶかというと、教会に来ると、とても温かい人と人との交わりがある。こんな世界が今の日本にあったのかと喜ぶことだってあると思います。けれどもそれだけに、いったん人間との関わりにおいて教会の中でつまずく経験をすると、そのつまずき方は本当に大きな傷を与えることになります。それで、ただでさえ教会の外で人間関係に疲れているのに、なぜ教会に来てまで煩わしい人間の交わりをしなければならないか。そっと礼拝に出て、黙って帰って行く。それでよいではないか。しまいには、教会に来るのをやめてしまうということさえ起こるのです。これは、私どもが痛みをもって知る経験です。

ところで、ひとつ分かりにくいと言いますか、おそらく皆さんが興味を持っておられるであろうと思いますことは、「信仰が弱い人」、これはどういう意味だろうかということです。私は牧師としていろんな人とこの聖書の言葉を一緒に読んだ経験からしまして、このことは誤解されることが多いと気づいています。「信仰が弱い人」、それは第14章の2節で先ほども読みましたように、野菜だけを食べている人、そういうこだわりを捨てることが出来ない人のことです。それをもう一言言い換えると、律法主義者ということになります。

教会という場所は、教会という場所だからこそ、いつの間にか、さまざまなこだわりが生まれるところだと思います。先ほど、アメリカ改革派教会のいくつかを私どもの教会の訪問団が訪ねたという話をしましたが、その訪問の報告を聞いて面白いと思いましたのは、幼児洗礼式に同席した際の話です。司式をした牧師がずいぶん派手なシャツを着て、真っ赤なネクタイをして、そして赤ちゃんを抱っこしていた家族も、半ズボンを履いて、ガムをくっちゃくっちゃ噛んでいた。もちろんアメリカの話ですから、それをことさらに責める口調は聞かれませんでしたけれども、驚きをもって受け入れられたようです。さすがアメリカ、自由すぎると。けれども、洗礼式の時にきちんとした格好をする人と、短パンでガムを噛んでいる人とが、同じ教会に生きるということになると、これはさまざまな摩擦が予想されます。

「弱い人は野菜だけを食べる」。誠実な思いでそうしたのだと思います。洗礼式の時にはきちんとした格好をする。ガムは噛まない。半ズボンでなく、長いズボンを履く。日曜日には礼拝を休まない。献金をする。教会の奉仕をする。いくらでも言葉を足すことができます。そういう人は、普通に考えれば、「信仰の強い人」です。けれどもパウロはそのような人たちを指さして、「あなたがたの信仰は弱い」と言います。これはおそらくローマの教会の人たちにとっても意表を衝く言葉であったと思います。なぜこの人たちの信仰が弱いのか。誤解のないように、念には念を押して言いますけれども、礼拝にきちんとした格好で来る人は、信仰が弱いと言っているのではありません。礼拝の時にガムぐらい噛んでいないと信仰は強くならないと言っているのでは、もちろんありません。問題はそのことにこだわることです。こだわって、人を受け入れられなくなることです。

ある人はこのように説明してみせました。自分は野菜だけを食べている。肉は食べない。信仰者としてきちんとしている。教会生活をきちんとしている。だから、それを根拠として、自分は信仰者として立っているのだ、というように、手すりにつかまっていないと立てない人。それが「信仰の弱い人」だとパウロは言っているのだ。日曜日には礼拝に来る。献金をする。もちろん大事なことです。しかし、それが自分の信仰を支える手すりになる時、そのようなところから人を受け入れられない心が生まれてきます。

それに対して、第15章1節では「強い人」という言葉が出てきます。教会の中に、もうひとつのグループがあったのでしょう。「何を食べようと、何を飲もうと自由だ」と言って、野菜だけを食べている人、そのことにこだわって、そのことから解き放たれない人を軽蔑している人がいたのだと思われます。そういう、言ってみれば自由な人たちのことを、パウロは「強い人」と読んでいるのだと私はずっと思い込んでいました。けれども、先週改めてこの聖書の言葉について丁寧に学んで、どうもそういうことではなさそうだということに気づきました。自由な人が、肉を食べ、酒を飲み、まだ不自由な思いに捕らわれている人を裁きながら、自分はあんな人とは違う、自分のように自由な人こそ、キリストに救われた生活を実現しているのだと心の内で思いながら、それが自分を支える手すりになっているということは、いくらでも起こると思います。これは、私どもの本性に属することではないかと思います。他の人と比べないと承知しない。自分の方が他人よりもちょっとでも優れていると思えばいい気になるし、何も威張ることがないと、ひがみの塊になる。けれどもパウロは、他の人と比べることを自分の手すりにするなと言います。第15章の1節に、「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」とあります。自分より弱い人がいる。そのことを手すりにするなと言うのです。

特に私が心を吸い寄せられるような思いで読んだのは、3節の言葉です。「キリストもご自分の満足はお求めになりませんでした」。私どもの心を打つ言葉です。イエスさまという方は、この世で唯一、一点の罪もない正しいお方でした。けれどもその正しさを振りかざして人を裁き、そのようにしてご自分が満足を求めるようなことはなさらなかったのです。

主イエスが十字架につけられた時、人びとはこう言ってののしりました。お前は神の子だろう。救い主だと言っていただろう。何だったら、信じてやってもいいぞ。ただし条件がある。十字架から降りて来い。そうしたら、信じてやる。けれども降りて来られないではないか。……主イエスは、その時、十字架から降りて来ることもおできになったかもしれない。あざ笑う人びとの笑いを、凍りつかせてしまうことだって、おできになったに違いない。そのように、ご自分の満足を求めることは、しかし、なさらなかったのです。むしろ、「『あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった』と書いてあるとおりです」(3節)。その通り、主イエスはののしられ、そしられながら、むしろ、その人たちの罪を赦してくださるようにと、神に祈られたのです。だからこそパウロは、第14章15節でも、「キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」と言うのです。キリストは、あの人のためにも死んでくださったではないか。キリストは、あの人のことも受け入れ、そばに呼んでくださったではないか。

神の忍耐とは、こういうことです。その神の忍耐に支えられて、あの弟が迎え入れられ、兄もまたそば呼ばれたということに、今改めて気づきます。そこにまたひとつの祈りが生まれます。5節以下であります。

忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。

私どもが教会においてさえ難しいと思うことは、同じ思いに生きるということです。ひとつの心に生きるということです。だからこそ「慰めの共同体」などと言われるよりも、むしろひとりで礼拝を守り、ひとりで帰りたいという思いにさえ誘われるのです。けれどもそこで、神がどんなに忍耐して私どもをそばに呼んでくださったか、そのために主イエスが担ってくださった十字架の重みはどれほどのものであったか。もう一度それを学ぼう、聖書から学ぼうというのです。

どうか、「忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように」。私どもの願いはこの祈りに集中していきます。そして主イエス・キリストご自身の願いもまた、このような祈りに集中するところがあったに違いないと私は思います。

今日は段落を超えて7節まで読みました。「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」。ここまでご一緒に読んできて、この7節の言葉は既にだいたいお分かりになると思います。キリストがわれわれを受け入れてくださった、それと同じように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。ただ、私がこの7節を最初に読みました時に、少し分りにくいと思いましたのは、前半の「神の栄光のために」という言葉です。「神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださった」。神の栄光とは、いったい何だろう。神の栄光とか、主の恵みとか、聖霊の交わりとか、教会で繰り返し使われるけれども、意味は何ですかと改めて尋ねられると、ちょっとよく分からないという言葉が幾つもあると思います。この言葉もそのひとつだと思いました。

ところでこの言葉は、かつて私どもの教会で用いられておりました口語訳では、このように訳されておりました。「こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである」。いかがでしょうか。ちょっとは分かりやすくなった気がしませんか。キリストはわたしたちもあなたがたも受け入れてくださった。だから互いに受け入れ合おう。そのように互いに受け入れ合う教会の交わりの中で、神の栄光が現されていくのだ。そうすると、ここで神の栄光を担うのは私たち人間であるということになります。

ただ、なお丁寧にこの言葉について調べ、さまざまな学者たちの意見に耳を傾けると、新共同訳のような、キリストの行為が神の栄光を担うという理解が今は多数派を占めているようです。「神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように」。神の栄光というのは、まさに「キリストがあなたがたを受け入れてくださる」、その姿において輝いてくるのだと言うのです。

一昨年にも、私はこの場所でルカによる福音書第15章の放蕩息子の譬えについて説教をしたことがありました。その時にレンブラントというオランダの画家の描きました、「放蕩息子の帰郷」と呼ばれる絵についてお話しをいたしました。このレンブラントという人は、放蕩息子の譬えに心惹かれながら、生涯その物語を題材にし続けてきた人ですけれども、特にその最晩年の作品が圧倒的な感銘を与えるものとして、人びとの記憶に残っております。帰ってきた弟息子がひざまずいて、顔を父親の胸元に埋めるようにしています。服はぼろぼろです。履物は左足のほうは脱げてしまっており、右足のほうは擦り切れて、かかとが見えています。その履物を見ているだけでも、……どこか温かいような、寂しいような、悲しいような、泣きたくなってくるような、そういう思いに誘われる絵です。その息子を両手で抱き締めるというよりは、その肩に大きな手を置き、祝福しているような父親の手の輝きが、その絵の中心に描かれているとよく言われます。ルカによる福音書をそのまま読めば、「首を抱き、接吻した」と、激しい動作が描かれておりますけれども、そのレンブラントの描いた父親の手は、むしろ静かな、しかし本当に大きな神の御手に支えられ、神の御手に包まれているという印象を与えます。激しい動きを持った絵ではありません。しかし静かな、確かな輝きを放っています。その輝きが父親の両手に集中するように、「神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように」というのは、たとえばそういうことではないかと思います。

天を仰いではるか遠くに見える輝きではありません。気が付くと自分の肩に神の手が置かれている。その神の御手はどんなに確かな、そして慰めに満ちた輝きを放っていることか。この、慰めと栄光がひとつになるような神の愛を知ったからこそ、私どももこの主イエス・キリストの父なる神を信じ、受け入れたのです。そのように神に受け入れられている自分自身を受け入れたのです。そこに教会が作られる。

この慰めと栄光に満ちた神はまた、怒って家に入ろうとはしなかった兄をも、そばに呼んでくださる神であります。この神の栄光を忘れることがない限り、私どもは互いに受け入れ合い、そのようにしてまた私どもも、神の栄光をこの教会で担い続けることができると私は信じます。鎌倉雪ノ下教会という、具体的に顔と名前を持ったひとりひとりが集められ、作られているこの教会が、互いに相手を受け入れ合う時に、そこにどんなに確かな神の栄光が輝くことか。どんなに確かな神の恵みの証しをすることができることかと思います。神に呼ばれた者として、ここに神の民の家、慰めの共同体を作らせていただきたいと心から願います。「神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」。祈りをいたします。

主イエス・キリストの父なる御神。ふと気づくと私どもひとりひとりの肩の上に、あなたの大きな、光り輝く御手が置かれております。弱い者も強い者も、大きい者も小さい者も、等しく、今あなたの御前に膝を屈めさせていただきたいと願います。互いに受け入れ合うことができますように。あなたに受け入れられた私どもであることを、今明確に悟ることができますように。私どもが交わす言葉があなたの慰めを映し出し、あなたの輝きを映し出すような言葉として清められますように。主イエス・キリストの御名によって祈り願います。アーメン

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