われらを解き放つ王
川崎 公平
ヨハネの黙示録 第1章1-8節
主日礼拝
■ヨハネの黙示録の持つひとつの力は、賛美にあふれていることだと思います。のちの教会の讃美歌の歴史、教会音楽の歴史においても、黙示録は常に大きな影響を持ち続けましたし、私が礼拝のために選ぶ讃美歌も、自然と黙示録の言葉を反映したものが多くなってしまいます。たとえば8節の最後の、「わたしはアルファであり、オメガである」という言葉からもたいへん有名なクリスマスの讃美歌が生まれましたし、そういう例をいくつも探すことができます。ヨハネの黙示録が生まれた、その当時の教会が既に、賛美を歌い続けたのです。教会は賛美をすることによって生きてきた、というよりも、賛美の言葉をいつも新しく神から与えていただいて、そのようにして教会は生かされてきたと言うべきだと思います。
特に今朝、皆さんと一緒に読みたいと思うのは、4節から6節です。この部分は、当時の教会が実際に歌っていた讃美歌の歌詞がそのまま反映しているのではないかと、ある学者が丁寧に分析しています。4節の最初の「ヨハネからアジア州にある七つの教会へ」、それから同じ段落の最後の「恵みと平和があなたがたにあるように」というのは讃美歌ではないでしょうが、それを除いた残りの部分は、その学者の分析によると、われわれも讃美歌を歌うときに、1番、2番、3番と歌詞を重ねていく、それと同じように、ここにはひとつの讃美歌の1番と2番の歌詞が引用されている。まず1番では、「キリストとは誰か」ということを歌うのです。
今おられ、かつておられ、やがて来られる方、また、玉座の前におられる七つの霊、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリスト……。
「キリストとは誰か」ということを、このように賛美していく。特にここで際立った言葉は、「証人」と訳されていますが、これは同時に「殉教者」を意味する言葉です。そのあとの「誠実な方」と合わせて、「誠実な殉教者」「真実なる殉教者」と訳すこともできます。当時の教会は、ローマ帝国の迫害のもと、多くの殉教者を生まなければならなかったと言われます。けれども、そういう教会が何を歌ったかというと、われわれのために真実の限りを尽くして、命を捨ててくださったお方、最初の殉教者キリストの愛を賛美しながら、このお方は「死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者」だと歌うのです。
けれどもこの歌は、ここで終わらない。それに続けて、言ってみれば同じ讃美歌の次の節では、「そのキリストが、われわれのために何をしてくださったか」を歌っているというのです。5節の後半、段落が変わるところからです。
わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
「誠実な殉教者キリスト」は、私どもに対する愛のゆえに命を捨ててくださり、私どもを罪から解放してくださったのだと言います。しかし話はそこで終わらないので、何度読んでも驚かされるのはそのあとです。「わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった」と言います。これは、私どもの信仰生活において、もしかしたらあまり強調されないことかもしれません。これから洗礼を受けるという人に向かって、あなたは今日から王様になるんですよ、というような言い方は、あまりしないかもしれないのです。しかしここに、黙示録の独特のメッセージがあると思います。第5章10節にも同じように、やはり賛美という形式で、主イエスはわたしたちを王とし、また祭司としてくださったという主旨の言葉があります。
わたしたちは、王であり、祭司なのだ。キリストは、そのためにわれわれを召されたのだ。このような賛美を、私どもは歌えるでしょうか。
■ただ実を言いますと、この「王」という言葉については少し丁寧な考察が必要です。たとえば他のさまざまな聖書の翻訳を読み比べるだけでも、どうも話はそう単純ではない。たとえば以前用いていた口語訳聖書では「御国の民」と訳されました。「王」と「民」ではずいぶん印象が違いますが、ふつうには「王国」と訳される言葉です。「わたしたちを、王国にしてくださった」。そうすると、教会はキリストをかしらとするひとつの王国である、われわれは、その国民である、ということになりそうですが、それならばわれわれは、王様に支配される下じもの人びとなのだ、というように理解すると、それは誤解だろうと思います。その意味ではやはり、私は新共同訳を評価したいと思います。もちろん、真実の王はキリストただおひとりです。けれども、「地上の王たちの支配者、イエス・キリスト」に救われた私どもは、キリストと共に、いわば、ロイヤル・ファミリーの一員にさせていただく。そして私どもも、キリストの王としてのご支配を、一緒に担っていくのです。
当時の教会は、とりわけ厳しい迫害の中に立たされたと言われます。特に黙示録の書かれた当時の教会が経験した、ローマ皇帝による迫害は、特別に過酷なものがありました。しかしそこで、皆さんにも改めて考えていただきたいのですが、なぜローマ皇帝は、キリスト教会を迫害したのでしょうか。時の権力者にとって、むしろ教会ほど安全な集団はなかったと思います。何の武力も持っていないし、道徳的にもすぐれているし、それどころか、「この世の秩序、権威にはきちんと従いなさい」とさえ、公に教えられていたのです。そんなキリスト教会を、世界の権力者たるローマ皇帝が血眼になって圧迫しなければならなかったのは、単純に言って、ローマ皇帝は、怖くなったのだと思います。他のどんな人よりも敏感に、キリスト教会の正体に気付いた。この人たちは、王の権威を持っている。われわれローマ帝国に相拮抗するような力を持つ〈王国〉を作り始めている。これは徹底的につぶしておかないと、危険だ。
何年か前に、青山学院大学の森島豊先生をこの教会にお招きして説教と講演を聞いたことがありました。講演の中で、こういう話をしてくださいました。豊臣秀吉以来、日本の権力者たちはなぜキリシタンの迫害にあれほどのエネルギーを注いだか。秀吉が朝鮮戦争のために九州を訪れた際に、秀吉の夜のお供をする娘たちを調達するために、秀吉の側近が長崎の島原に行って少女たちを連れて行こうとしたら、「いやです」と拒否された。「なぜだ」「わたしはキリシタンです」(参考『人権思想とキリスト教――日本の教会の使命と課題』5頁)。その出来事は、秀吉にとってたいへんな衝撃となりました。自分の命令に対して「いやです」なんてことを言う人間は、この世界にひとりもいないと思っていたのに。まして10代の小娘なんて、せいぜいひとつの財産くらいにしか考えられていなかった、その小娘をして、天下人に向かって「いやだ」と言わしめる力を持つキリシタンとはいったい何者ぞ、と考えて、秀吉はその夜のうちに「伴天連追放令」を出したと言われます。
しかし、なぜそこまでしなければならなかったのだろうか。単純に言って、秀吉も怖かっただけなのだと思います。自分の権力に真正面から立ち向かってくるような、得体の知れない力を、特に秀吉のような地上の権力者は、他の誰にもまさって敏感に感じ取ったのです。そのような教会の力の秘密はしかし、キリストの愛でしかなかったのであります。「わたしたちは、このお方に愛されている」。そのキリストの愛を、このように賛美するのです。
わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
たいへん堂々たる賛美です。このような賛美を、私どもは歌えるでしょうか。この王たちは、何の武力も持ちません。宮殿に住んでいるわけでもありません。当時の教会は、私どもが持っているような教会堂すら持っていなかったのです。なぜかと言うと、人目につくところに集まることさえ困難であったからです。地下に隠れるように、身を寄せ合うように礼拝を続けた小さな群れがしかし、キリストに愛され、王として、祭司として生かされている。そのような教会の姿は、今私どもの生きる教会の姿と深く重なるものがあると思います。私どもの教会も、小さな群れです。その小さな群れが、ますます小さくなってしまうのではないかという恐れを、私どもは抱いています。けれども、この教会は、キリストの愛の中にある。「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方」の愛の中に、教会は今も立つのです。そのキリストの愛というのは、罪人をいきなり王家の一員にするようなわざであったと言うのです。もはや私どもは、何者にも支配されることはない。ローマ皇帝だろうが豊臣秀吉だろうが、この地上のいかなるものも、われわれを支配することはできない。その大きな望みと、大きな志に新しく立ちたいと願うのです。
■鎌倉雪ノ下教会の設立にも深く関わった、植村正久という明治の最初期の伝道者がいます。興味深いことに、どうもこの黙示録の第1章4節以下というのは、植村牧師の愛誦聖句だったのではないかと、私は推測しています。私の本棚にある範囲でも、この箇所についての植村先生の説教を3つも4つも読むことができます。そこでも繰り返し植村先生が強調なさることは、われわれは王である、ということです。たとえば、こういう言い方をします(『植村全集第二巻 説教篇(中)』303頁以下「主耶蘇の恩寵」)。われわれは王なのだから、万物を支配している。何ものもわれわれを支配することはできない。「パウロも云はずや。萬物は我がものなり。生くるも死ぬるも皆な我ものなりと」。豊かさも貧しさも言わずもがな、生きることも死ぬことさえも、皆わがものなり。そう言うのです。何度でも反芻すべき言葉だと思います。「豊かさも貧しさも」というのは言い換えれば、わたしは豊かさの奴隷にはならないということです。自分の貧しさも、わたしを支配して不自由にさせることはできないということです。生きることも、死ぬことさえも、わたしを支配することはできない。わたしは、一切のものから自由だ。
そう言いながら、植村先生はさらにこう続けるのです。「然れども王者の位に即きながら、尚ほ身を忘れて不面目を働くものなきにあらず」。そのあとのところは、私にはちょっと分からないのですが、植村先生が幼い時に三国志を読んだ中で、劉禅という皇帝が敵に降伏してしまったときに、自分の身分を隠して、芸人のごときふるまいをしたことを読んで、たいへん悔しい思いをした、というのです。翻って、私どもを王としてくださったキリストのご意志をよく考えてみよう。「眞に王たる品位を保ち、其の本領を発揮せしめんことこそ望まるるなれ。基督者が世に処するに当り、余りに抱負小さく、意志薄弱にして、神経質に流れ、感情的に走り、見すぼらしき有様なるは、甚だ不似合なることなり」。
われわれは王なのだ。誰の支配も受けることはない。そのような堂々たる生き方の根拠は、もう一度申します。真実の支配者たる主イエス・キリストに愛されている、その事実のほかにないのです。
■このイエス・キリストのことを、黙示録は、「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」と賛美します。前回この箇所を説教したときにも申しましたが、「やがて来られる」という翻訳は、少し誤解を招くかもしれません。「やがて」という言葉が余計なので、直訳すれば、「今来られる方」ということです。迫害者の足音が迫ってくる。あるいは、ウイルスが少しずつ自分の身に近づいてくるような思いにもさせられているかもしれない。けれどもわれわれは、今来られる主イエスの足音を既に聞きながら、今既にこのお方の愛の中に立ちながら、今ここでも礼拝と賛美の生活を続けているし、それは結局は、主が再び来てくださる再臨の時を待つ生活なのです。その再臨について、7節ではこう言います。
見よ、その方が雲に乗って来られる。
すべての人の目が彼を仰ぎ見る、
ことに、彼を突き刺した者どもは。
地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。
然り、アーメン。
主が再び来られるとき、「すべての人の目が彼を仰ぎ見る、ことに、彼を突き刺した者どもは」と言われます。「地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ」。これは、まずこのように読むことができるでしょう。主イエスを十字架につけた者たち、そしてそれと同じような心があるからこそ、今教会を迫害している者たちが、けれども終わりの日に再びキリストがおいでになったとき、そこで初めて自分の罪に気づいて、後悔している、嘆いている、その姿を描いているのだ。しかし、それならば、われわれは違う、われわれはこういう嘆きを知らずにすむのだという話でしょうか。そんな思い上がった読み方はできないだろうと思います。私どもも、もともと罪の奴隷でしかなかったのです。けれどもキリストに愛されて、このお方の血によって、罪から解放されたのです。
今朝、王という言葉について丁寧にお話ししながら、まだ祭司ということにはほとんど触れておりません。しかし多くを語る必要もないと思います。祭司というのは、他の人びとの代表として神の前に立つ役目です。神と人との間に立つようにして、人のために仲立ちの祈りをするのです。今、私どもがしていることです。私どもひとりひとり、今既に主の前に立ちながら、わたしのために命を捨ててくださったお方を仰ぎ見る。私どもだって、「彼を突き刺した者ども」のひとりでしかなかったわけですが、だからこそ、このお方の愛を賛美し、礼拝するのです。私どもの礼拝のわざは、私どもだけがこっそりしているプライベートなことではありません。決してそうではないのです。私どもは祭司として、言ってみれば世界を代表するようにして、今神の前に立つ、礼拝のわざをしているのです。
過酷な迫害の中に生きた、まことに小さな群れが、けれどもどんなに大きな望みと志を与えられて、礼拝の生活を続けたことかと思います。黙示録の言葉に励まされながら、私どもも等しく、王として、祭司として、み前に立ち続けたいと願います。お祈りをいたします。
今おられ、かつておられ、今来られる主イエス・キリストの父なる御神、今既に私どもも、あなたの御子を仰ぎ見ております。彼を突き刺した罪人として、けれどもこのお方の血によって赦され、救われた者として、今み前に立ちます。王として自由に生きる喜びを、祭司として隣人に仕える幸いを、今新しく知ることができますように。主のみ名によって祈り願います。アーメン