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イエス様にあいにいこう

2015年5月31日

ヨハネによる福音書 第1章43-51節
川﨑 恵

主日小礼拝・教会学校合同礼拝

わたしがみんなぐらい小さかった時、わたしには大好きな木がありました。わたしが生まれ育ったのは東京の郊外の住宅地で、今はおうちばかりになってしまいましたけど、わたしが小さいときは周りが雑木林に囲まれていて、わたしは毎日林の中で遊んでいました。その林にはたくさん木があったけど、その中で一番のお気に入りの木があって、木登りするのにとっても登りやすく、その木には座りやすい枝があって、寝転がることもできました。しかも春にはとってもいいにおいのする白い花がいっぱい咲くのです。大人になって調べたのですが、その木はエゴノキという木でした。わたしはよくその木の上で過ごしていました。本を読んだり、寝転がったりしていました。

今日の聖書のお話にでてくるナタナエルさんも、いつも木の下にいました。ナタナエルさんがいたのはイチジクの木の下。みんな、いちじくの木って見たことありますか。ないよね。わたしはおばさんの家で見たことがあるのですが、そんなに大きな木ではありませんでした。でも、いちじくはとってもとっても大きくなって、横にひろがるのだそうです。枝が広がって、大きな屋根のようになるんですって。イスラエルの人々はよくその木蔭で休み、聖書を読んだり、お祈りをしたりしたのだそうです。時には聖書に詳しい先生から聖書のお話をきいたりしていました。

ナタナエルさんは、いちじくの木の下が大好きでした。そして聖書を読むのが大好きでした。いつもいちじくの木の下で、聖書を読んで神様にお祈りをしていました。

ナタナエルさんはずっと待っていました。わたしたちを救ってくださる神の子が早く来てくださいますようにと祈っていました。

この日もナタナエルさんは、いちじくの木の下で聖書を読んで、お祈りをしていました。人には話せないような自分の罪も全部神様にお話ししました。そして、このようなわたしを憐れんでくださいと祈っていました。

それはナタナエルさんと神様の秘密の時間でした。秘密だから聖書には何も書いていません。ナタナエルさんと神様との間でしか分からないことがその日いちじくの木の下で起こっていたのです。

お祈りが終わると、ナタナエルさんはいちじくの木から離れて別のところに行きました。おうちかもしれないし、仕事場かもしれません。それも聖書には書いていません。その別の場所にいると、友達のフィリポさんが飛んで来たのです。

フィリポさんは、うれしそうに話しだしました。

「ナタナエル、僕、神の子に会ったんだ。その方はイエス様とおっしゃって、ナザレの村のヨセフという大工さんの息子さんなんだ。でも、その方は神様が必ずお送りくださるとわたしたちに教えてくださっていた、あの神の子なんだよ。僕たちが待っていた方が来たんだよ。ぼくはその方に会ったんだ。」

ナタナエルさんはそれを聞いて、「え?そんなことあるかなあ」と思いました。ナザレ? ナザレの大工さんの息子? ナザレって本当に普通の町です。鎌倉とか大船とか横浜とか普通の町です。そこに住んでいる大工さんの息子が神の子と言われても、ちょっとぴんと来ません。そんなことあるかな。

フィリポさんは言いました。「とにかく、来て、見てごらんよ。一緒にイエス様に会いに行こうよ。」

ナタナエルさんはフィリポさんについていきました。すると、イエス様が遠くから自分のほうを見て、にこにこしているのが見えました。

そして、まわりにいたお弟子さんたちに自分のことを紹介してくれました。「ごらん。この人はまことのイスラエル人だよ。この人は嘘をつかないまっすぐな人だよ。」

ナタナエルさんは、はじめて会ったのに、イエス様がまるで自分のことを前から知っているかのようにまわりの人に話しているのを聞いて、何で自分のことを知っているのだろうと不思議に思いました。

「どうしてわたしを知っているのですか。」

すると、イエス様は言われました。「わたしはあなたがフィリポから声をかけられる前にいちじくの木の下にいたのを見ていたよ。」

「えっ?!」ナタナエルさんはびっくりしました。さっきの秘密の時間、僕のお祈り、全部聞いていたんだ。

この方は僕のことを全部知っている神の子なんだ。僕がずっと待っていた神の子なんだ。

ナタナエルさんはイエス様に申し上げました。「ラビ、先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王様。わたしたちの王様になってくださる方なのですね。僕たちがずっと待っていた人なんですね。イエス様、ありがとうございます。僕はイエス様に付いていきます。」

イエス様はうれしそうにナタナエルさんに言いました。「ナタナエル、あなたがいちじくの木のそばにいたのをわたしがみていたから、わたしを信じたのか。あなたはこれからもっと大きなことを見る。天が開いて、このわたしの上に神の天使たちが昇り降りするのをあなたがたは見ることになる。」

ナタナエルさんはこうして、イエス様の弟子になりました。そしてそれから、本当にこのイエス様の上に天が開いて、神様のみわざが行われていくのをナタナエルさんたちは何度も見ることになりました。

この後、イエス様と仲間のお弟子さんと一緒にカナの結婚式に行くことになりました。結婚式の途中でワインが無くなってしまってどうなるのかなと見ていたら、イエス様は樽いっぱいのお水をワインに変えてしまいました。イエス様はさらに、病気で死にかかっていたお役人さんの息子さんを元気にしてくださいました。さらに、38年も病気で動けなかった人をイエスさまは元気にしてくださった。イエス様と一緒に神様がおられる。神様がわたしたちにすばらしいことをしてくださる。最後に、わたしたちの罪が赦されて、神様の元に戻ることができるように、わたしたちのかわりに十字架にかかって死んでくださいました。そして、その三日後に死からよみがえられて、ナタナエルさんたちの前に現れてくださったのです。

よみがえられたイエス様につながって、これからずっとイエス様と一緒に生きる、神様と一緒に生きる。神様のもとにもどり、神様の愛をいっぱいに受けて生きる新しい時代が始まったことをナタナエルさんは見ることになったのです。

このあいだの日曜日、教会学校が終わった後、みんなが帰ってしまった後、この礼拝堂ですごくうれしいことがありました。それは、教会学校に通っている中3のAちゃんと高2のBちゃんが洗礼を受け、イエス様の弟子になりました。そして、小さいときに幼児洗礼を受けてすでに神様の子どもになっていた高2のCちゃんもイエス様に信仰を告白しました。

これを洗礼盤といいます。このなかにお水があって、このお水を牧師の先生が「父、子、聖霊のみ名によってあなたに洗礼を授ける」と言ってかけるんです。AちゃんとBちゃんが神の子になって、そして、子どものときに神の子になったCちゃんが、そのことをありがとうございますと言うことができました。

ナタナエルさんがイエス様にお会いして、信じたように、この三人もイエス様にお会いして、愛を受け入れて弟子になりました。

Bちゃんが、洗礼を受ける前にこんなことをお話ししてくれました。

「わたしは今まで、わたしたちみんなを神様が救ってくださるってことはわかっていた。だからその仲間になりたいと思っていた。わたしには分かっていないことがあった。イエス様が教えてくださったこと、それは、イエス様がこのわたしを神様の国に戻すために、わたしのために来てくださったんだってことが分かったんです。それでイエス様の弟子になりました。」

イエス様は わたしたちが神様のところに戻るために、Rくんや、Sちゃんが神様の子になって神様のところに戻ることができるように、天から来てくださったのです。

神様は 旧約聖書でこう言っていました。「羊飼いがちりぢりになっている羊を捜すように、わたしは自分の羊を見つけに行くよ。」

そのお言葉のとおり、神様は神の子イエス様のお姿でわたしたちを捜しにきてくださいました。そして、ひとりずつ捕まえてくださいました。

アンデレ、もう一人の弟子、ペトロ、フィリポ、そしてナタナエル。そして沢山の弟子たち。そして2千年もたって、ここにいるみんな。一人ずつイエス様はみつけてくださいました。

わたしは、はっと、別のことを思い出しました。フィリポさんが話したとき、最初ナタナエルさんはイエス様を信じませんでした。そして行こうとしませんでした。

でも、フィリポさんはどうしても、ナタナエルさんをイエス様に会わせたくて、「来て、見てごらんよ。イエス様に会いにいこうよ」と言ってくれました。そして、その言葉をきいてナタナエルさんは心を変えてイエス様のところに来ることができました。

そのことがなかったら、ナタナエルさんはイエス様に会えませんでした。イエス様のところに行って、見てみなければ、イエス様に会えなかったのです。

いまここに、この教会に、目に見えないけれど、よみがえられたイエス様がおられます。わたしたちをさがしにきてくださったイエス様。わたしたちはいろいろな人を通してここに連れて来てもらいました。 おうちの人に連れてきてもらった人、学校から言われてきた人。お友達に誘ってもらった人。いろいろいる。それぞれの仕方で、イエス様がみんなをここに連れてきてくださったのです。

そして、みんなにも必ずナタナエルさんと同じイエス様との出会いが起こります。

ずっと前からイエス様がナタナエルさんをよく知っていたように、イエス様はみんなが生まれる前からずっと見ていてくださっています。

わたしはエゴノキの上にいた自分のことを思い出しました。わたしはあの木の上でいろんなことを考えていました。時には、友達とけんかをして泣いていることもありました。将来のことを考えて不安になっていたこともありました。その時には、わたしはまだイエス様に会えていなかった。でも、イエス様はわたしを見ていてくださったんです。

やがて中学生になって、学校の先生に言われて近くの教会に通いはじめました。そしてその教会で、わたしはイエス様にお会いしたのです。みんなにも同じことが起こります。

イエス様はナタナエルさんに言いました。「もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

わたしたちの教会に十字架がついていることを知っていますか。そこの階段の上にあるのですが、その十字架の下がはしごみたいになっていて、そこを神の天使たちが昇り降りするのをイメージして造ってあるんだそうです。

でも、この会堂にあるこのオブジェもはしごみたいだなあと思いませんか。天使が上から降りてきているようにも見えるし、昇っているようにも見えます。

この教会は天が開いているところ。天使が昇ったり降りたりして、神様の御業をなしてくださっているところ。わたしたちみんながイエス様に出会って、神様のところに帰るところなのです。お祈りします。

主イエス・キリストの父なる神様

みことばをありがとうございます。わたしたちが生まれる前から、イエス様はわたしたちをずっと見ていてくださり、神の子どもになって、神の国に帰ることを楽しみにしていてくださいました。そして今、そばにいてくださって、わたしたちがあなたと一緒にいることを喜んでくださっています。どうか、イエス様にわたしたちが気づくことができますように。そして、ここに天使が昇り降りして、あなたの御業がなし続けられていることを見ることができますように。すべての者がここに帰ることができますように、どうか御業をなしてください。わたしたちを御心のままに用いてください。その御業のひとつとして教会学校が立てられ、子どもたちが集っていることを感謝いたします。どうか、この子どもたちがイエス様に出会い、あなたを信じ、神の子となることができますように。また、わたしたちの家族のなかには、まだあなたに出会っていない者が大勢おります。また、この街にも大勢おります。どうか、そのような者たちにもあなたが御業をなしてくださいますように。このお祈りを尊き主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン