束縛を解く者
ルカによる福音書第13章10-17節
川﨑 公平
振起日礼拝
「雪ノ下通信」先月号の牧師室だよりでも触れましたが、この夏私にとってひとつ嬉しかったことは、数年ぶりに、二泊三日で行われた教会学校の夏期学校に参加することができたことでした。牧師室だよりに書いた通り、鎌倉雪ノ下教会に来て以来、教会学校の子どもたちとの接触が少なくなったことを悲しんでおりましたので、それだけに楽しい時となりました。
夏期学校の主題は、申命記第七章六節以下でした。
「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」。
あなたは神さまの宝。そのように明確に告げる、一度聴いたら忘れることのできない言葉です。夏期学校の最初の礼拝で、私がこの申命記の言葉を説教しました。ひとつ難しかったのは、下は小学二年生から、上は中学三年生まで。いったいどういう話をしたら、この聖書の言葉が通じるだろうかと、少し悩みました。そこで思い出したことがある。昨年、教会の皆さんの写真集を作成し、『雪ノ下アルバム』と称して、伝道開始九五年記念の神への献げ物といたしました。その巻頭言において、本当にたまたまなのですが、私はこの申命記の言葉を引用した。私は、夏期学校にこの『雪ノ下アルバム』を持って行き、子どもたちの前でそれを開いて説教をしました。「これ、何だか分かる? どうしてこの人たちの顔がここに写っているか、分かるかな? この人たちは、神さまの宝物なんだよ」。
「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった」。皆さんのことです。けれども、「ただ、あなたに対する主の愛のゆえに」皆さんはここにいる。
夏期学校の出発前日、改めて『雪ノ下アルバム』を眺めながら、そこで思ったことをそのまま子どもたちにも話しました。ここに写っている人たちの中には、昨年中に写真を撮って、けれども今は亡くなってしまった人もいる。この一年の間に、病気になってしまった人もいる。いろんな人がいる。けれども、この人たちがここに写っているのは、他に何の理由もない。この人たちは、神の宝物だから。
その説教をしたあと、夏期学校に来ていた中でこいつがいちばんやんちゃだな、と思われる男の子がさっと私のところに来て、「ねえ、さっきのやつ、あんたの宝物、見せてよ」。……まあ、とにかく、何かは伝わったのかな、と思いました。
聖書は、「あなたは神の宝の民」と言いながら、こう言います。「主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである」。かつて四三〇年間という長きにわたって、エジプトの奴隷であり続けた。そこからあなたは解放されたのだと言うのです。そのことを今も私どもは覚え続けて、礼拝のたびに十戒を唱えて、「我は汝の神、主、汝をエジプトの地、その奴隷たる家より導き出せし者なり」と言います。奴隷の家から解放されたのは、あのイスラエルだけでない。わたしたちもそうだ。
この十戒に、「安息日をおぼえて、これを聖くすべし」とあります。キリスト教会は、主が日曜日の朝にお甦りになって以来、それまで土曜日を安息日としていたのを改め、日曜日こそ神が新しく与えてくださった安息の日だと信じるようになりましたが、安息日を重んじる信仰に変わるところはない。しかしなぜ、安息日を重んじるのでしょうか。同じ申命記の第五章一二節以下は、「安息日を守ってこれを聖別せよ」と言い、「安息日には、いかなる仕事もしてはならない」と言いながら、その理由をこう述べています。
「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」。
「あなたは何者ですか」。「私どもは、神に救われた民です」。「なぜ救われたのですか」。「私どもは、神の宝物なのです」。安息日にこそ、思い起こすべきことがある。それが、この神による自由解放の出来事です。神の宝である自分自身の存在を見ながら、神のみわざを思い起こすのです。そのための日曜日です。何だったら、『雪ノ下アルバム』を日曜日の朝ごとに開いてみたっていい。いや、本当は、そんなことをする必要もありません。ここに来て、教会の仲間に会えばいいのです。教会の仲間とは何者か。神の宝とされた人びとです。お互いの顔を見ながら、そのことに気づき直す。そのための日曜日の礼拝です。
今日は、ルカによる福音書第一三章一〇節以下を読みました。ここでも、安息日がひとつの問題になっています。「安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった」。その女性を、主イエスが癒してくださったところ、「安息日はいけない」と、腹を立てた人がいた。なぜかと言うと、先ほど読んだ申命記第五章からも明らかなように、「いかなる仕事もしてはならない」日であったからです。私どもにとっては意外なことかもしれませんが、福音書に親しむようになると、この安息日というものが思いがけず重大な意味を持つことが分かります。主イエスが殺されたのも、そもそもその最初のきっかけになったことは、安息日に禁じられていた癒しのわざをなさったことであったのです(第六章一一節)。安息日には、いかなる仕事もしてはならない。けれども、禁じられた仕事とは、具体的には何か。そのことを定めた、実に細かい規定が生まれました。たとえば、今日お読みした一五節に、「あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて」とありますが、どういう結び目だったら解いていいか、あるいはどういう結び目だったら結んでいいか、という議論があったそうです。何だかばかばかしいと思います。けれども、主イエスがここで問題になさったことは、もっと大らかにやろうじゃないか、ということではなかったのです。
たとえば、こう考えてみてもよいと思います。一八年間も腰が曲がったままの女性です。しかし逆に言えば、緊急を要することでもありません。別に安息日の会堂で、波風を立てる方法で癒しをなさらなくてもよかったはずなのです。「今日は安息日だから。日付が変わったらすぐにわたしのところにいらっしゃい。必ず治してあげる」。そう言ってもよかったはずです。そう考えると、主イエスのなさったことは挑戦的です。そして、現代の聖書学者でさえ、なぜイエスはこういうことをなさったか、理解できないと疑問を呈することがあるのです。
けれども、主イエスにとっては、どうしても、安息日にしなければならないことであったのです。安息日を否定なさったのではない。安息日が、神の自由解放の出来事が起こる日となるために、戦われたのです。現実は逆ではないか。解放の記念の安息日が、束縛の日になっているではないか。
その関連で、これはひとつ、どうしても新共同訳の翻訳に注文をつけたいところがあります。「安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか」(一六節後半)。ギリシア語の原文には、「であっても」というニュアンスの言葉はありません。単純に「安息日に」という言葉です。たとえば文語訳はこう訳しました。「安息日にその繋(つなぎ)より解かるべきならずや」。安息日に、すべきことがあるではないか。むしろ、「安息日にこそ」と訳した方がよいと、私は思います。安息日にこそ、すべきことがある。それは、一八年間もサタンに縛られていた女を、その束縛から解放すること。どうしても、この安息日にこそ、しなければならない。この「しなければならない」というのは、明らかに、変わることなき神のご意志を示します。
一八年間、病の霊に取りつかれ、サタンに縛られていたと言います。その一八年間、腰が曲がったまま、会堂の礼拝に出席し続けたのでしょうか。誰からも顧みられることなく。けれども、初めてこの女に声をかけてくださる方が現れた。おそらく、この女は、会堂の隅に隠れるように座っていたのだと思います。けれども「イエスはその女を見て呼び寄せ、『婦人よ、病気は治った』と言って……」。もうひとつ翻訳に注文をつけると、「病気から解放された」と訳すべき言葉です。一五節の「牛やろばを解いて」、また一六節の「その束縛から解いて」という言葉と、原文では同じ言葉です。ちょうどイスラエルの民、神の宝の民が解放されたように、あなたもこの安息日に、病から解かれた。なぜ解かれたのか。あなたも、神の宝なのだ。
その事実を一六節では、「この女はアブラハムの娘なのに」とも言われます。神の宝の民のことを、ここではそう呼ぶ。会堂にいるすべての人が、この女性を無視していたかもしれない。軽んじていたかもしれない。けれども、神のまなざしは、この女から逸れることはない。この人も、神の宝の民。だから、神がこの人を今、サタンから解放なさったのだ。安息日にこそ最もふさわしいこの神のみわざを、どうして無視するのか。そこに、安息日の礼拝が成り立つのか。主は、そう問うておられるのです。
繰り返して申します。この神の自由解放のみわざを、共に祝うための安息日です。ひとりで祝うのではない。共に喜び祝うのです。私どもの教会が、皆さんの写真集を作ったのもそのためです。この人も、この人も、そしてわたしも、神の宝の民。その『雪ノ下アルバム』の巻頭言の中で、私がひとつ、深い思いを込めて書いた言葉があります。「ここにも神の家族がある」。ひとりひとり、名前を持った存在として神に呼ばれています。ひとりひとり、違った顔を持った存在として、しかしひとつの教会に集められています。なぜ集められたのか。神さまの宝の民だから。そのことを共に喜び合おう。
けれども、主イエスが問題になさるのはそこです。今ここで、ひとりの女性がサタンの束縛から解かれたではないか。体がまっすぐになり、神を賛美しているではないか。そのことを、共に喜ぶ思いがあなたがたの中にないのはなぜか。その意味では、ここで主イエスは、ただひとりこの女性を癒そうとなさっただけではない。この会堂長、また会堂に集まる人びとのこころの束縛を、問題になさったのです。その頑ななこころを、何としても癒さなければならないと、思い定められたのです。
人びとのこころもまた、こわばっておりました。腰が曲がり、そのために、神の姿も、他者の姿も見えなくなっておりました。そのような罪人の姿は、たとえば、一八年間もひっそりと会堂で礼拝を続けていた女性に対する無関心という形において現れてくるのです。その曲がったこころをまっすぐにするために、主イエス・キリストは、そのいのちを賭してまで、安息日を真実の安息日とするための戦いを、ここでも始められたのです。
この女は、たちどころに腰がまっすぐになり、そこでただ肉体がまっすぐになっただけではなくて、「神を賛美した」。神に対して、まっすぐに背筋を伸ばし、そこから、神にまっすぐに向かう賛美の歌が生まれました。私どもが、今ここでも歌うべき賛美であります。
私は、この癒された女性のその後のことを思います。神に向かって賛美を歌ったこの人は、会堂を出て行った後も、自分が味わった神の恵みを語り続けたと思います。いや、語らずとも既に、彼女のまっすぐになった体そのものが、まさしくその存在そのものが、神の恵みの証しとなったことは、明らかであります。だからこそまた、当然、その言葉によっても、なぜ自分が今このようにまっすぐに生かされているのか、語り続けたに違いない。
誰の語った言葉であったか、私の好きな言葉があります。「神を見ることはできないが、神が通られた跡はわかる」。神が通られた跡、それは皆さんのことです。自分の存在を見ながら、そして同じように、神に愛され、神の宝として集められた仲間たちを見ながら、そのことに気づく。そこに賛美が生まれます。伝道の言葉も生まれます。私どもは等しく、このさいわいな道に立たされているのです。