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神の決意

2012年12月24日

ルカによる福音書第19章1-10節
川﨑 公平

クリスマス讃美礼拝

今日、この礼拝の司式をさせていただいております、当鎌倉雪ノ下教会の牧師の川崎と申します。クリスマスを記念して、こんなに大勢の方たちと神さまを礼拝できていることを、改めて感謝しております。

先ほど、上のギャラリーから若い人たちにルカによる福音書第2章を朗読していただきました。約2千年前、ユダヤのベツレヘムという村で、マリアとヨセフという若い夫婦にひとりの男の子が生まれました。その方のお名前がイエス。この方こそ、神の御子、救い主と告げる聖書の言葉であります。

このイエスというお方が地上に生まれて、その時から、この世界は変わりました。完全に、世界は、新しくなりました。この世界は、神に愛されている世界であることが、明らかになりました。神は、私どもの住むこの世を、忘れてはおられないということが、明らかになりました。もちろんこの地上でいろんなことが起こります。悲しいことも起こります。神よ、なぜこんなことがと、嘆きたくなることも起こります。けれども、この地上は、神のご訪問を受けた世界であります。そして、今も神は私たちと共におられる。ここにお集まりの皆さん、ひとりひとりのためにも、この神の訪れの出来事が、今日、ここで起こると信じて、私はここで聖書の言葉を取り次ぎます。神のご訪問を受けるとき、私どもは新しくなります。神の訪れを受けたら、私どもは、変わらざるを得ません。私どもは、変わることができるのです。

今日は、神がこの礼拝に与えてくださった聖書の言葉であると信じて、ルカによる福音書第19章の最初の部分を、皆さんと一緒に読みたいと思いました。ザアカイという税金を集める仕事をしていたひとりの男が、主イエス・キリストの思いがけないご訪問を受けたことを伝える記事であります。

イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」。しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」。イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」。

多くの人びとに愛されてきた聖書の言葉であり、今日初めてこの聖書の物語をお読みになりました人にとりましても、忘れがたい物語になると思います。そのザアカイという名前だけでなく、このザアカイがイエスさまを見るために、木に登ったこと、それはなぜかと言うと、背が低かったからだということも含めて、私どもの記憶に深く残る物語であります。

ザアカイは、徴税人の頭でありました。それは同時に、この人が金持ちであったことを意味しました。税金を集める仕事をしているわけですから、とにかく国家権力の後ろ盾を持っております。ただしもうひとつ、当時徴税人と言えば、たとえば暴力団とかマフィアというようなイメージを持つ職業であったようです。既にザアカイが主イエスに語っている言葉からして、不正な取り立てを繰り返していたことが分かります。もちろん、人びとからは嫌われる存在でした。けれども、主イエスは、このエリコの町に入ると、このザアカイを狙い撃ちするように、「ザアカイ、今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われました。主イエスのご訪問を受けたのです。この主イエスとの出会いが、ザアカイの人生を一変させることになりました。

実は、2年前の12月24日の礼拝でも、私がこの場所に立って、このザアカイの物語をお話しいたしました。昨年の12月24日は、別の牧師がお話をしました。2年ぶりに私が12月24日の礼拝を担当するというところで、私はもう一度、同じ聖書の言葉を読むことにしました。教会のある方からも、同じ箇所で説教するのですね、と指摘されました。しかし、同じ話をするわけではありません。2年前の私と今の私は同じではありません。皆さんもそうだと思います。2011年、2012年、この2年の間に、いろんなことがありました。もう一度、新しい思いで、イエスさまのご訪問を受け入れたいと思ったのです。先ほども申しましたように、クリスマスの意義というのは、そのことに尽きます。主イエスが訪ねてくださった。

「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」。この「泊まりたい」という言葉も心に残る言葉だと思います。どうしても果たさなければならない、主イエス・キリストの願いがあった。それは、ザアカイの家の客になること。けれどもまた、新約聖書がもともと書かれたギリシア語の元の意味を辿りますと、「あなたの家に泊まらなければならない」という言葉であります。今日の私のお話の題を「神の決意」といたしました。何が何でも、わたしはザアカイを訪ねなければならない。今日はどうしても、あなたの家に泊まらなければならないのだ。それは、イエスさまの決意というよりも、御子イエス・キリストをこの地上にお遣わしになった、父なる神の固いご意志を表す言葉です。そのようにして、神がザアカイを愛しておられることを、神がこのひとりの男を忘れてはおられないということを示してくださいました。「ザアカイ、ザアカイ。今日わたしは、あなたの家に泊まらなければならない」。

このザアカイという名前は、今日、この時以来、皆さんにとって忘れられない名前になると信じます。そこで少し考えていただきたいことがあります。なぜこのルカによる福音書の中に、ザアカイの名前が残っているのかということです。こういう例は、実は案外少ないのです。新約聖書には、4つの福音書があります。それぞれに、主イエス・キリストの物語を伝えます。主イエスにさまざまな形で出会った人たちの物語を伝えます。けれども、その個人の名前が残っている例は、案外多くありません。なぜザアカイの名前はきちんと記録されたか。多くの人が、こう推測します。このザアカイは、のちにキリスト者になり、今日で言う牧師のような、教会の指導者になったと伝えられます。今私がしているように、教会の集まりにおいて責任をもって言葉を語る者となりました。そしてザアカイは、何よりも、自分自身の物語をくり返したと思います。ザアカイ先生は昔徴税人だったんですね。どうしてイエスさまを信じるようになったんですか。自分が木に登ったことまで、丁寧に何度でも語ったのだと思います。そして、その物語を聞いた人たちもまた、ザアカイ先生はよかったですね、うらやましい、などとは聞かず、今われわれを訪ねていてくださる、訪ねなければならないと言ってくださる、その主イエスのご訪問を確かに感じ取っていたと思います。そのような主イエスのご訪問の出来事が、今夜、ここでも起こることを信じて、私も、今ここで、聖書の言葉を取り次いでおります。「今日はどうしても皆さんをお招きしなければならない」。神の決意がこの場所に現れていると私は信じます。

ザアカイの家を訪ねてくださった、この神の愛の決意には、明確な目的がありました。どうしてもこのことをやり遂げねばならないという目的がありました。この主イエスの愛のご訪問を受けて、ザアカイはそれに答えるように立ち上がりました。座ってはいられませんでした。「ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』」。ここで私は思うのですが、これは、本当に実行するのはなかなか大変ではなかったかと思います。一日や二日で終わるようなことではなかったと思います。何しろ、組織的に不正な取り立てをしていたでしょうから。一軒一軒訪ね回って、もしかしたら遠い地方にまで出かけて行って、あの時は申し訳なかった、あの時の取り立てには不正があったから、4倍にして返しますと、頭を下げて回ったのではないかと思います。そのようなザアカイの訪問を受けた人びとは、びっくりしたと思います。おや、徴税人のザアカイではないか。どうしちゃったんだろう。頭おかしくなったんじゃないか。けれども、一番驚いていたのはザアカイ自身ではなかったかと思います。いったい、なんで自分はこんなことをしているんだろう……。いや、むしろ、昔の自分に驚いていたかもしれないとも思います。貧しい人に財産を施しながら、不正な取り立てをしたその4倍を返しながら、いったい自分は何をしていたんだろう。何に捕らわれていたんだろう。イエスさまに出会う前、なんであんなことをしていたのだろう。……結局、自分の家も何もかも売り払ってしまったかもしれません。そしてそのまま、教会の牧師にまでなってしまった。このザアカイの生き方を支えるものは何だったのでしょうか。

しばらく前に、私よりも少し先輩の牧師の語る説教を聴きました。教会の牧師ではなくて、ミッション系の大学で働いておられる牧師です。この先輩の牧師が、今年の3月11日、つまり、あの大震災からちょうど1年を経た3月11日に、自分の働いている大学のチャペルで「生きかたは変わったか」という題の説教をしたのです。あの大震災。津波。原発事故。その日以来、「日本人の生きかたは、変わる。変わらざるを得ない……と言われました」。「それから一年が過ぎました。……私どもの生きかたは、変わったでしょうか」。そう問いながら、この牧師ははっきりと、「私は、変わったと思っています。あの時は、生きかたを変えることが出来た。だから、みんなの死にかたも変ったと思います。……今は、どうでしょうか」。

そこで、この牧師はこういう話をします。「ある、たいへんなお金持ちを知っています。コートが趣味だそうです。身体は一つなのに、衣装部屋に、コートが延々と並んでいるようなかたです。そのかたが、震災の報道に接して、自分の生きかたで良かったのだろうか。コートを買い集めていても仕方がない、そんなことよりも、被災して辛い思いをしている人にコートを送ってあげる生きかたの方がずっと良いと思ったんだそうです」。「そう思いながら……でも、17年前、阪神淡路大震災の時も、全く同じ事を考えた。それが、今はすっかり元の生活に戻っていた。変われなかったと言います。そのかたは、『人間は、変われない』と言います」。これも、なるほどと思います。それはそうだろうなと、共感できる話です。けれども、この牧師は、それでも言うのです。「そうでしょうか……。違います。あの時、私どもは、確かに変わりました。人は、変われます。震災が、人を変えました。震災の後、自分は苦しい。しかし、自分よりもっと苦しむ人を見て、私どもは尊い生き方を志すようになりました。クリスチャンもそうでない人も、尊い聖い生き方に方向付けられました」。

けれども、興味深いのはそのあとです。この牧師はさらに、こう語っていくのです。「生き方が変わったとは、どう変わったのでしょうか」。節電を心掛けるようになった。困っている人を見たら手を差し伸べると答えた人の割合が、20ポイントも増えた。絆を大切にし、みんなが他人に優しくしようとするようになった。けれどもそれは、生き方が変わったとまでは言えない、とはっきり言います。絆も、思いやりも、愛も、もちろん大切。けれども、私どもが震災から学んだことは、どんなに深い愛を注いでいても、その愛の絆が、津波によってあっという間に奪い去られてしまうことではなかったか。つまり、この牧師は、「愛と思いやりの大切さ」を説いたのではないのです。私どもの愛も、絆も、思いやりも、すべて滅びるのだと、はっきり言っているのです。「生き方が変わるとは、それをよくよく承知した上で……。その上で、なお生きる。そういう生きかたに変わることです」と言うのです。これは、だんだん、話が難しくなってきたかもしれません。

もう少し、この牧師の説教の紹介を続けさせていただきたいと思います。震災のあと……「スポーツ選手が、スポーツなんてやっていて良いのか『最初は迷った』って、言いました。だけど、自分に出来ることは、野球だったら野球だけだから、サッカーだったらサッカーだけだから。それを精一杯やって、被災者を励ましたいって。それで、本当に精一杯のプレーを見せてくれました。自分のためじゃぁない、嘆き悲しんでいる人のために、限界以上の力を出しているのを見せてもらって、確かに励まされたじゃぁありませんか」。「音楽家が、音楽なんかやってて良いのか、迷ったけど。けれども自分には音楽しかないから、最高の芸術表現をしようと、演奏しました。本当に、最高の表現が出来たと思います。地震の前までは、自分が有名になるため、評判をとって豊かになるために表現していた人が……。自分の演奏を喜んでくれる人のためにって、ただそれだけを精一杯やった時には、地震の前には出来なかった最高の表現が出来ていたと思います。聞いた者は、励まされました」。

けれども、この牧師は、ここでもはっきり言います。「バイオリン弾いたって、サッカーやったって、復興の役には立ちません」。けれども、そこで今まで経験したことのない自由解放の出来事を経験しているのではないかと言うのです。音楽家も、サッカー選手も、最も深いところで解き放たれたではないか。そのことをこの説教者は、「自分の尊さに気付いた」と、表現しております。私どもが自分の尊さを知るのは、しかし自分で気づくのではない。神に尊ばれている自分に気づかせていただくのです。ザアカイが経験したとおりに。

そして、この神によって与えていただく自由解放の出来事は、死の恐れからの解放をも意味します。私が、この先輩牧師の説教を聴いて、一番衝撃を受けたのは、こういう言葉です。

「震災で、たくさんの尊い命が失われました。それは、あってはならないことだったのでしょうか。人が死ぬことが『あってはならないこと』なのでしょうか」。

私はほとんど、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けました。同じ牧師として、こういう言葉を語り得ていただろうかと、反省したのです。「人が死ぬことが『あってはならないこと』なのでしょうか」。それでも私は、神に尊ばれている。イエスさまのご訪問を受けている。その自由解放を知った人間は、死の恐れからさえも、解き放たれるのです。この言葉を語った先輩牧師は、この言葉を語った故に、人から石を投げつけられてもよい覚悟で、こういう言葉を語ったのだと私は思っています。

マザー・テレサという人が、「死を待つ人の家」というのを作りました。ただ死を待つほかない人のために、けれどもその人がひとりで死ぬことがないように、死の間際までそばにいてあげる。手を握り続けていてあげる。一般には、そのように理解されていると思います。けれども、マザー・テレサや、その周りで一緒に働く人たちが願ったことは、ただそういうこととは違います。マザー・テレサはこの「死を待つ人の家」について、こういうことを言いました。「わたしたちの家で死んだ人のうち、ひとりとして、神さまと仲直りせずに死んだ人はいません」。

今日、皆さんにその名を覚えていただいたザアカイという人も、神と仲直りさせていただいたのです。そのために、主イエス・キリストのご訪問を受けたのです。そこに、何にも代えがたい、自由解放の出来事が起こりました。

ザアカイは、自分に起きた自由解放の出来事を語り続け、そのために教会の中で生き続けました。自分にゆだねられた言葉を語り続けました。そのための教会の礼拝です。そのための、キリスト者が大切にしておりますこの教会であります。私たちは、ここで神に重んじられていることを知るのです。そこに大水も、死も、流すことのできない解放の出来事を知るのです。今ここでも、皆さんと神との確かな出会いが起こりますように。神と、仲直りすることができますように。私もザアカイと同じ牧師として、そのことを心から願います。 お祈りをいたします。

主イエス・キリストの父なる御神、あなたのご訪問を受け、あなたに重んじられている自分自身を、もう一度大切にすることができますように。あなたの語りかけを心より感謝して、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン