私たちを生かす主の貧しさ
コリントの信徒への手紙二 第8章1-9節
川崎 公平
主日礼拝
■クリスマスにお生まれになった、主イエス・キリストの恵みと祝福が、皆さまひとりひとりの上に、豊かにありますように。先ほど、コリントの信徒への手紙二第8章の1節から9節までを読みました。その最後の9節の言葉をもって、皆さまへのクリスマスの祝福の挨拶といたします。
あなたがたは私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした。
クリスマスというのは、本当に不思議な出来事だと思います。二千年前、ベツレヘムという小さな村の片隅に、小さな赤ちゃんが生まれた。その様子は、ルカによる福音書第2章の伝えるところによれば、家畜小屋の片隅の、家畜の餌箱の中に産み落とされたというのです。「宿屋には(あるいは「客間には」)彼らの泊まる所がなかったからである」と書いてあります。その小さな赤ちゃんを指差して、「神が、貧しくなってくださったのだ」と、そう言うのです。それがクリスマスの意味です。どうしてこの赤ちゃんは、こんなに貧しいんだろう。「神が、貧しくなってくださったのだ」。なぜそんなことが起こらなければならなかったんだろう。そのことについてこの聖書の言葉が教えることは、それは、あなたが貧しかったからだ。あなたが貧しかったから、けれども神は、あなたを豊かにしたかったから、あなたに貧乏させたくなかったから、だからこのお方、主イエス・キリストは、「富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした」。たいへん不思議な、しかしまた無限の重みを持つ言葉だと思います。
人間は、豊かにならなければなりません。どんな人間も、貧しくなってはならないのです。それが、神の切なる思いです。あのベツレヘムの馬小屋は、その神の願いを象徴的に表しているのでしょう。「主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした」。しかしまた逆に言えば、あの馬小屋は、実はわれわれ人間がどんなに貧しかったか、実は私どもがどんなに惨めなところに落ち込んでいたか、そのことを表しているのだと思います。
しかし、改めて問わなければならないと思います。豊かになるって、どういうことでしょうか。神のまなざしから見たわれわれの貧しさとは、いったい何でしょうか。あるいは、神が願っておられる私どもの豊かさとは、いったい何でしょうか。
■そのことを丁寧に説き起こしているのが、今日読みましたコリントの信徒への手紙二の第8章であると、そのように理解することができると思うのですが、正直に申しまして、あまりわかりやすい文章ではなかったと思います。しかし、文章がわかりにくいからといって、その内容が大事ではないということにはなりません。むしろ私は、こんなに現代的な意味を持つ文章はなかなかないだろうとさえ思います。
最初にこう書いてあります。「きょうだいたち、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせましょう」。先ほどから繰り返して読んでいる9節にも、同じ「恵み」という言葉が出てきます。「あなたがたは私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています」。その神の恵み、イエス・キリストの恵みが、マケドニアの諸教会にどんなに豊かに与えられたか。それを、ぜひあなたがたにも知ってもらいたいのだ。そう言って2節以下で具体的な話をします。
彼らは苦しみゆえの激しい試練を受けていたのに、喜びに満ち溢れ、極度の貧しさにもかかわらず、溢れるばかりに豊かな真心を示したのです。彼らは力に応じて、いや私は証ししますが、力以上に、自ら進んで、聖なる者たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、しきりに私たちに願い出たのでした。
特にこのあたり、背景がわからないとさっぱり意味がわからないと思いますが、話は非常に具体的です。要するに、貧しい人たち、困っている人たちを助けよう、という話です。「マケドニアの諸教会に与えられた神の恵み」とは、具体的には4節の「聖なる者たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたい」ということだったわけですが、この「聖なる者たち」というのは、エルサレムの教会のことです。そのエルサレムの教会が、経済的にたいへん困窮していた。それを支えよう、という話です。
この手紙を書いたのは、パウロという伝道者です。コリントの信徒への手紙の一も二も、その前にあるローマの信徒への手紙もパウロの書いたものですし、さらにその前にある使徒言行録という文書も、結局半分以上はパウロの話です。このパウロの手紙、あるいは使徒言行録を読んでいて、ひとつ気づかされることは、パウロがエルサレムの教会のための献金を集めるために、どんなに苦労したかということです。
もともと、キリスト教会はエルサレムから始まりました。だから、と言うべきか、エルサレムの教会はたいへん大所帯であった。しかも、最初から貧しい人が多かったようなのです。そして時代が進むにつれ、その貧しさはますます深刻になっていきました。それを助けるための献金運動を、パウロはどこの教会に対しても求めたし、それは教会が教会であるための絶対不可欠な務めであると考えていたようなのです。
■どうして、エルサレムの教会のための献金なんてことが、そんなに重大だったのでしょうか。ただ困っている人がいるんだから助けよう、という趣旨だけではなかったようです。問題は、人間が一緒に生きることができるか、できないかということです。人間は、そもそも、果たして、一緒に生きることができるのか。できないとしたら、なぜできないのか。
ただエルサレムの教会が経済的にピンチだという問題ではないのです。それを言ったら、マケドニアの教会だって、2節にはっきりと「極度の貧しさにもかかわらず」と書いてあります。どうもこの頃、マケドニアで大きな地震があったらしく、そのための「極度の貧しさ」だったのではないかと学者たちは推測します。それならむしろマケドニア大震災の被災者のために献金を、ということになりそうですし、事実またわれわれもそういう被災地のための支援献金をことあるごとにしているわけですが、ここではどうも話が逆で、むしろ極度の貧しさの中にあるマケドニアの教会が、エルサレム教会を支えるようになること、それが大事だと言うのです。それが、マケドニアの教会に与えらえた神の恵みだと言うのです。
エルサレム教会というのは、ユダヤ人の教会です。そして、マケドニアの教会、そしてこの手紙を読んでいるコリントの教会は、異邦人、ユダヤ人でない人たちの教会です。これがまたぴんと来ないことかもしれませんが、私どもが想像もできないほどに、ユダヤ人と異邦人との間には大きな壁があったのです。同じイエスさまを信じている仲間同士であるはずなのに、一緒に生きることができない。食事も一緒にできない。パウロはあるところではっきりと、ユダヤ人と異邦人の間には、敵意という壁があったとはっきり書いています。どうしてもその壁を乗り越えることができない。
ところがマケドニアの諸教会は、その敵意の壁を乗り越えることができたらしいのです。神の恵みの中で、敵意の壁が消えたのです。極度の貧しさの中で、「溢れるばかりに豊かな真心を示したのです」。パウロは、神の奇跡を見る思いで、マケドニアの教会に与えられた神の恵みを報告したのではないでしょうか。この神の恵みについて、9節で改めてこう言うのです。「すなわち、主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした」。あなたも、豊かにならなければならないのだ。
問題は、人間が一緒に生きることができるか、ということです。できないとしたら、なぜできないのでしょうか。けれども、たとえばマケドニアの教会はそれができるようになった。極度の貧しさの中で、溢れるほどの豊かさに生きるようになった。なぜそのようなことが起こったのでしょうか。
あと10日で2024年が終わろうとしています。中途半端な社会批評などするつもりもありませんが、人間の貧しさが、ますます深く際立ってしまった一年であったと、そう言いたくなっても少しも不思議ではありません。なぜ人間というのは、ここまで貧しいのでしょうか。なぜ本当の意味で豊かになることができないのでしょうか。いや、回りくどい言い方はやめましょう、なぜ人間は、一緒に生きることができないのでしょうか。こういう私どもの貧しさについて、正しい意味で悲観的にならなければならないと思います。事実、私どもは貧しいのです。この世界は事実、貧しさのために病んでいるのです。だからこそ、クリスマスの出来事が起こらなければなりませんでした。私どもが貧しかったから、主は富んでいたのに、私どものために貧しくなられたのです。けれども、先ほど「正しい意味で悲観的に」と申しましたが、何をどうしたら正しく悲観的になることができるでしょうか。「主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした」と書いてあります。私どもは、豊かになることができるのです。私どもは、豊かにならなければならないのです。いったい、どこにその道が見えるのでしょうか。
■私が毎年クリスマスに楽しみにしていることのひとつは、鎌倉友の会という集まりでクリスマスの礼拝をすることです。友の会というのは、今ではどうも家計簿とかお料理とか、あまり信仰とは関係のないことばかりが有名になってしまった感がありますが、もともとは、羽仁もと子というキリスト者の志によって始まった信仰的な運動体です。いつの間にか毎年、鎌倉友の会のクリスマス礼拝にお招きを受けるようになって、もうひとついつの間にか慣例になったことは、私は自分の言葉で説教しない。羽仁もと子の書いた文章を、私が解説するという形で礼拝をしています。そのことでいちばん大きな恵みをいただいているのは、実は私自身であるかもしれません。
それで、皆さんの中にお気づきの方が多いかもしれませんが、先週配付した鎌倉雪ノ下教会の1月の祈りのプリントにこのことを書きました。同じ話をここで繰り返すことをお許しいただきたいと思います。今年の鎌倉友の会のクリスマス礼拝で学んだ羽仁もと子の文章というのは、1946年、日本が戦争に負けた翌年に書かれたものです(「那須野涼風」/『羽仁もと子著作集第21巻 真理のかがやき』所収)。1年前まで続いた戦争のことをふりかえりながら、「どうかしてこの苦しみを、憎み争う人の世の終りの幕にしたいものだと、誰がねがわずにいられましょう」。もうたくさんだ。こんな苦しみは、これで最後にしよう。そのことを願わない人なんか、誰もいませんよね? そう問いかけながら、しかし現実にはそれができないのです。
なぜ人間は争うのでしょうか。なぜ、一緒に生きることができないのでしょうか。しかしこれは、一方では当たり前と言えば当たり前なのです。また羽仁もと子の文章をそのまま引用しますが、「争い悲しみのもとである、人と人との思想のちがい立場のちがい、好みのちがい、国と国との利害の対立、あらゆる対立が表面に浮き出して来ている現在です」。人間というのは、立場が違う、考え方も違う、思想も好みも全部違う、だから当然争いごとが起こるのだ。少し率直な話し方をお許しいただきたいと思いますが、今年の10月には衆議院の総選挙が行われました。興味深い結果になりました。そのあと、アメリカの大統領選挙が行われました。やはり興味深い結果になりました。それに比べて規模は小さいかもしれませんが、兵庫県の知事選挙が行われました。また非常に興味深い結果になりました。いずれの選挙においても際立ってしまったことは、争う人間がどんなに醜いかということです。言葉が過ぎて申し訳ありませんが、でもやっぱりそうだと思うのです。選挙の結果を得て、ある人たちは喜び、ある人たちは絶望し、またある人たちは自分と違う立場の人を見下したり、嘲ったり、罵ったり、訴えてやると叫んだり……。これも先週配付した祈りのプリントに書いたことですが、「ある選挙において大きな影響を持ったと言われるインターネットという道具は、良い面もあるに違いないのですが、他方では、これほど人間の醜さを浮き彫りにしてしまうものもめったにない」と思うのです。
ところが、羽仁もと子のこの文章において興味深いのはそのあとです。なぜ人間が争うのかと言えば、実に単純なことで、ひとりひとり考え方も感じ方も違うからだ。けれども羽仁もと子はそういう人間同士のさまざまな違いや対立、それ自体を悪いものだとは考えません。むしろ、われわれの間にあるさまざまな違いや対立は、父なる神が人間のために心を込めて与えてくださった〈特権〉であると言うのです。
私はこの文章を初めて読んだとき、〈特権〉という表現に思わず息を呑みました。今この世界で起こっている現実を、〈特権〉という言葉で表現してくれる人が、いったいほかにどれだけいるだろうかと思わされました。
この〈特権〉という表現の背後にあるのは、神が人間を造られた、という信仰です。神は決して、人間をコピー機でじゃんじゃん複製するようなことをなさいません。ひとりひとりを特別に、その人だけの体、その人だけの心を造り、そしてその人だけの人生を導いていかれる。そうであれば、そのようにひとりひとり特別にオーダーメードで造られた人間同士の考え方が違うのは、当然であるということを越えて、むしろそれは人間の特権であると言うのです。そのことを理解しないから、考え方の対立が、争いになり、憎しみになり、先ほど申しましたように、自分と違う考え方の人を見下したり、嘲ったり、罵ったり、場合によっては国の議会を暴力で襲撃したりするようなことにまでなるのです。
そこで羽仁もと子の文章の結論は、「あなたの敵を愛しなさい」。繰り返しますが、日本中のほとんどの都市が空襲で焼かれた、その翌年に書かれた文章です。そこで言うのです。「あなたの敵を愛しなさい」。それができなかったから、今われわれはこの焼け野原の中に立たされているのではないか。ひとりひとりが違った存在であること、それ自体が、神が人間に与えてくださった特権であり、人間の豊かさであるならば、敵を愛することこそいちばん人間らしい生き方であり、その特権の最たる表現方法であると言わなければなりません。
■そのために、クリスマスの出来事が起こったのであります。「主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました」。まことの神が、まことの人となられたのです。それは、ひとつの言い方をすれば、私どもとまったく同じ人間になられたということになるでしょう。けれどもまた他方から言えば、このお方は私どもの誰とも違っておられました。私と嶋貫牧師が違った人間であるように、私と柳沼伝道師が互いに全然違う人間であるように、それ以上にイエス・キリストは、私と違った人間でした。考え方も感じ方も、好きな色も好きな食べ物も全然違う。当たり前のことです。人間は誰ひとり、同じ人間はいない。そのように神がお造りになったのです。
そして大切なのはここからです。私とイエスさまは全然違う人間である。その違いのゆえに、イエスさまが私のことを見下したり、私のことを嘲ったり、罵ったり、お前のことなんか訴えてやると叫んだり、もしも主が私に対してそのようになさったとしても、文句は言えないのですが、けれども主は、決してそんなことをなさいませんでした。私どもの誰も、このお方に見下されておりません。私どもの誰も、主イエスに罵られたことはないはずです。私とイエスさまは、こんなに違うのに、それなのに、このお方は私どもを受け入れてくださるのです。全部赦してくださるのです。私どもを愛しておられるからです。まさしくそのために、このお方は徹底して貧しくならなければなりませんでした。
羽仁もと子は、人間の〈特権〉ということを申しました。しかし、本当の意味でその人間の特権を正しく生かし得たのは、ただひとり主イエス・キリストだけであったのです。
このあと、讃美歌の121番を歌います。先ほど歌いました110番と並んで、「主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられた」、そのことを鮮やかに歌い上げた讃美歌です。「馬槽のなかに うぶごえあげ」と最初にあるように、このお方は生まれた時から、徹底して貧しさの中に立たなければなりませんでした。大工の家に育ち、「貧しきうれい、生くるなやみ、つぶさになめし この人を見よ」。けれどもこのお方の貧しさは、そのようなところにとどまることはありませんでした。貧しい大工の家を離れた。もっと貧しいところに立つためです。十字架の死の貧しさの中に立つためです。だから、この讃美歌121番もその第3節でこう歌うのです。
すべてのものを あたえしすえ、
死のほかなにも むくいられで、
十字架のうえに あげられつつ、
敵をゆるしし この人を見よ。
徹底して私どもを愛し、私どもを赦し、受け入れてくださった主イエスが、最後に与えられた報いは、十字架の死でしかありませんでした。主イエスは誰のことも見下したり罵ったりしなかったのに、人びとは十字架につけられた主イエスのことを、考えられる限りの罵りの言葉で責めました。まさにそこで主イエスは、私ども人間の罪の償いを、担い切ってくださったのです。「この人を見よ、この人を見よ」。
あなたがたは私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした。
人間は、豊かにならなければなりません。豊かになることができるのです。そのための、クリスマスの出来事なのです。祈ります。
主イエス・キリストの父なる御神、あなたは私どもの貧しさをよく知っておられます。ひがんだり、思い上がったり、人の悪口を言ったり、自分を悪く言う人を憎んだり。私どものいちばんの貧しさは、人と一緒に生きることができない貧しさであると今知ります。そのためにこの世界全体が苦しんでいることを、私どもが知る以上に、父なる御神、あなたがよく知っていてくださいます。そのためにあなたのみ子が人とならなければなりませんでした。このお方の貧しさによって、私どもは豊かになることができます。今望みをもって、あなたのみ子こそ私の救い主、世界の救い主と、賛美の歌を心から歌わせてください。主のみ名によって祈り願います。アーメン