あなたのための復活
マルコによる福音書 第16章1-8節
川崎 公平
主日礼拝
■主イエス・キリストがお甦りになった日曜日の朝、主の12人の弟子たちが何をしていたのか、よくわからないところがあります。ことにマルコによる福音書では、まったくわからないと言っても差し支えないと思います。主イエスが逮捕されて、皆逃げ出して、それ以降12人の消息についてほとんど触れられていないのです。他の福音書を読みますと、多少のことはわかりますが、こと復活の日曜日、当日のことについては、あまり積極的なことはわかりません。たとえばイスカリオテのユダは既に自殺していたとか。しかしマルコによる福音書は、ある意味でわれわれがいちばん関心を持ちがちな、イスカリオテのユダの運命についてもまったく触れません。12人の弟子たちのその後の消息について、不気味なほどに沈黙しております。まるで、主イエスを見捨てて逃げてしまった弟子たちが、そのまま永遠の闇の中に消え去ってしまったかのようです。
いやいや、そんなことはないだろう、と思われる方もあるかもしれません。このあとの9節以下に、何度も弟子たちの話が出てくるではないかと思われるかもしれませんが、この9節以下の部分については、先週の礼拝でも簡単に説明しました。9節から最後までは、〔 〕にくくられています。その意味は、元来のマルコによる福音書は8節で終わっていたのであって、9節以下の部分は、かなり後の時代に、マルコとはおそらく何の関係もない人が、言い方は悪いですが勝手に書き加えた部分だということです。もちろんいつ誰が書こうが、聖書は聖書、神の言葉として読むべきものだと信じておりますから、来週の礼拝で改めて9節以下を読み、それをもってマルコによる福音書の最後の説教にしたいと考えています。
しかしまたそれだけに不思議なことは、最初にこの福音書を書いたマルコが、8節をもって結びとしたという、このことであります。「彼女たちは、墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」。マルコは、〈福音書〉を書いてきたはずであります。喜びの物語です。その喜びの物語の結末がこういう言葉で結ばれているというのは、いかにも不思議なことだと思います。いったい、どうなってしまったんだろう。震え上がって、誰にも何も言わず、何も言えずに、どこかに消えてしまった女たちと、さらに影も形も見えない12人の男の弟子たちと。これですべてが終わったのだろうか。もちろんそんなことはありません。それは、その後の教会の歴史とまったく矛盾します。今、私どもが生きている教会の歴史は、元をたどれば、主の復活の喜びに支えられなければ決して始まらなかったし、誰かが誰かにこの復活の出来事を伝えてくれたからこそ、教会の歴史は始まったのです。それは確かです。それだけに、マルコによる福音書が弟子たちのその後について一切沈黙しているというこの事実は、私どもに不思議な印象を残すのです。
■弟子たちの姿は、影も形も見えないと申しましたが、まったく何の痕跡も残していないわけではありません。7節にこのような天使の言葉がありました。
「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』」。
もちろんこの天使は、主イエスからの委託を受けてこう言ったのです。つまり主イエスご自身が、「弟子たちとペトロ」のために、こう言われたのです。この言葉の中で特に目立つのは、「そしてペトロにも」という言葉です。私どもの翻訳では「弟子たちとペトロに告げなさい」と書いてありますが、原文ではもう少し「ペトロ」のところに強調点があると思います。「弟子たちに告げなさい、そして、あのペトロにも」。そういう文章です。
マルコによる福音書についてしばしば指摘されることは、この福音書の文章のかなりの部分の背後には、ペトロ自身による言い伝えがあるに違いない、ということです。ペトロがいなかったら、このような出来事は今日まで伝えられなかっただろう。ペトロがいなかったら、こういう言葉遣いにはならなかっただろう。そういう福音書の記事を、いくつも数えることができます。そして私は、この7節の天使の言葉も、そのひとつであるに違いないと思うのです。
「さあ、行って、弟子たちにも伝えてやりなさい。特にあのペトロには、しっかり言ってやりなさい」。なぜわざわざ、ペトロのことだけ名指しで強調されたのでしょうか。もちろん、主イエスが実際にそう言われたのかもしれません。しかしまた同時に、ペトロがそのように主の言葉を聞き取ったのだろうと思います。そしてこの言葉をペトロが伝え聞いたとき、「そりゃそうだ、なんてったって俺が弟子たちの中でも筆頭だからな」とは、絶対に考えなかっただろうと思います。むしろこの言葉を聞いたとき、主イエスに対する申し訳なさが一気にあふれてきて、そんな自分に対する主のご配慮があまりにも切なくて、「ペトロにも」というこのひと言が、生涯忘れることのできない言葉になったと思います。そのようなペトロの思いがそのまま反映して、今このように、私どものところにも福音書が伝えられているのです。
■主の復活の朝、ペトロはもちろん、主イエスの約束を忘れていたはずはなかったと思います。「三日目に復活する」と、マルコによる福音書が伝えているだけでも三度繰り返して、主はご自分の十字架と復活について予告されたし、ペトロはきっと最前列でその主の言葉を聞いていたのです。忘れていたはずはありません。けれども、その復活の約束は、ペトロにとって決して喜びの約束とは感じられませんでした。
主が大祭司の法廷で裁判にかけられ、死刑の判決を受けられたとき、ペトロは三度繰り返して主イエスとの関わりを否定しました。「わたしはあんな人知らない。何の関係もない。あの人に愛されたことなんか一度もないし、あんな人を愛したことも一度もない」と、そう言った瞬間に主イエスに見つめられて、しかもペトロの卑怯なところは、その場で泣き出したのではないらしいのです。慌てて大祭司の屋敷の外に出て、人目につかないところまで逃げて行って、というのはつまり、ペトロを見つめてくださった主イエスのまなざしからも遠ざかってから、わんわん泣いたというのです。
しかもそのあと、事態は最悪の方向に進んでいきます。主イエスは死刑の判決を受け、十字架につけられ、断末魔の叫びをあげて息を引き取られる。ペトロがどこまでその事態を把握していたか、どうか、それはよくわかりません。いずれにしてもペトロがその後どんなに苦しんだか、想像に難くありません。主イエスの苦しみは、全部自分のせいだとさえ、思うようになったかもしれません。そんなペトロにとって、そう言えば今朝あたり、主イエスは復活なさったはずだということも、何の慰めにもならなかっただろうと思います。どの面下げて主の前に立てるかと思ったに違いありません。
ところがそのペトロのために、天使を通して、主の言葉が伝えられるのです。「行って弟子たちに、そしてあのペトロにも、知らせてやりなさい。わたしは甦ったのだ」。ペトロがそれを聞いたとき、何を思ったでしょうか。自分のような者は、主に思い出していただく価値もないのだと思ったでしょうか。いやむしろ、こんなしょうもない人間だからこそ、主がわざわざ「あのペトロにも」と、名指しでご配慮くださらなければならなかったのだと、悟ったのではないかと思います。
本当は、私どもひとりひとりが、ここに自分の名を入れて読んでみなければならないのだと思います。なかなか復活を信じることができない私どもなのではないでしょうか。表面上は、口先では信じているようなことを言いながら、ではなぜ体の甦りを信じている人間が死に怯えるのでしょうか。なぜ永遠の命を信じている人間が明日のことを思い煩うのでしょうか。なぜキリストの命のご支配は全地に及ぶと信じている人間が、平気で人の悪口を言うのでしょうか。そんな私どもが、ペトロと同じように、どの面下げて復活の主のみ前に立つことができるか、と考えるのは、ある意味で当然だと言わなければならないだろうと思うのですが、そんな私どものためにも、主は、「あれにも知らせてやりなさい」と、このわたしのためにも、名指しでご配慮くださるのです。
ペトロは、主の愛に触れて、もう一度主の弟子として立ち上がることができました。かくしてキリストの復活は、教会の命そのものとなったのです。
復活を信じるとは、単に不思議な奇跡を信じることではありません。死んだ人が復活するなんて、そんな非科学的なことがあるとかないとか、そんな次元の話ではないのです。少なくともペトロにとっては、復活とは単なる不思議な奇跡ではありませんでした。そうではなくて、復活とは、愛の出来事でしかなかったのです。「あのペトロにも、知らせてやりなさい」。その主のみ心に気づいて、ペトロは信じる者として立つことができました。
■7節には、さらにこう書いてありました。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」。ペトロはいつガリラヤに行ったのだろうか。どこでどのようにして復活のキリストに再会したのだろうか。そのことについても、マルコによる福音書は何も書かないのですが、たいへん興味深いのはヨハネによる福音書の最後の章に、これにあたる記事が出てきます。ガリラヤの湖で、ペトロをはじめ、弟子たちは主イエスとの再会を果たします。主イエスご自身が用意してくださった朝ごはんを、一緒にいただくことができました。その食事の最中、弟子たちは誰も、「あなたはどなたですか」などと聞こうとはしなかったと書いてあります。そんなことは、聞かなくてもよくわかったからです。その食事は、静かな、しかし命に溢れた食事であったと思います。もしかしたら、あまり盛んなおしゃべりは生まれなかったかもしれない。けれども、黙っていてもよくわかったと思います。われわれは、このお方に愛されているんだ。赦されているんだ。われわれを愛してくださる神ご自身が、今わたしの前におられるんだ。このあと祝う主の聖餐の食卓は、きっとそのような食事であるはずだと思うのです。
その食事が終わると、主イエスはどういうわけか、またペトロだけを名指しでお呼びになり、「わたしを愛しているか」とお尋ねになりました。三度繰り返して同じ質問をされました。ペトロは、三度同じように答えました。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがよくご存じです」。自分のしたことを思えば、ペトロはどんなに苦しかったかと思います。ヨハネによる福音書には、三度目にも同じことを聞かれたので、ペトロは悲しくなったとはっきり書いています。けれども、もはやペトロには別の答えをすることは不可能でした。「主よ、それでも、わたしは愛しています。あのときは、本当に忘れていたんです。でも本当は……イエスさま、わたしは、あなたのことを愛しているのです」。
■ペトロが三度、そう答えるたびに、主イエスは同じことを仰せになりました。「わたしの羊を飼いなさい」。「ペトロよ、あなたが、わたしの羊の世話をするのだ」。何度も主を裏切ったペトロです。けれども事実として、ペトロは主イエスに愛されていたし、本当は、ペトロも主イエスを愛していたのです。そんなペトロが、主イエスの羊を飼う者とされました。ペトロは、一所懸命主の恵みだけを語ったと思います。それ以外の何も語ることを持ちませんでした。ただ、主の愛だけを語りました。「そして、あのペトロにも、伝えてやりなさい」と、こんな自分を顧みてくださった主のことだけを語り続けました。
そうしたら、たいへん不思議なことに、ペトロの周りには、どんどん、どんどん、主の羊が増えていきました。ペトロからしたら、本当に不思議だったと思います。いったいこんな自分が、主イエスの羊の羊飼いになるなんて、そんな、とんでもないと尻込みしたとしても不思議ではなかったと思います。けれどもどういうわけか、ペトロの周りにはどんどん、どんどん、主の羊が集まって来て……その羊たちのために、ペトロは手紙の中でこういうことを書きました。ペトロの手紙一第1章の8節です。
あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛しており、今見てはいないのに信じており、言葉に尽くせないすばらしい喜びに溢れています。
ペトロの周りに集まって来た羊たち。いろんな人がいたでしょう。強い人も、弱い人も、大きな人も、小さな人も、老若男女、いろんな人がいたでしょう。私どもの教会と同じです。けれども主の羊たちには、ただひとつの共通点がありました。キリストを愛しているということです。キリストを見てはいないのに、信じているということです。そのことによって、「言葉に尽くせないすばらしい喜びに溢れてい」るということです。
その羊たちの姿を見るにつけ、ペトロは何度となく、自分の失敗を思い起こしたかもしれません。「キリストを見たことがないのに」、この人たちは自分と違って、なんて立派なんだろう。しかしそんな自分も、どんなに失敗を繰り返しても、それでも主が顧みてくださって、復活の朝、自分の名を呼んでくださったことを思いながら、だからこそこんな自分も、この人たちと同じように、主イエスを愛する者として生かされていることを感謝したことだろうと思います。そのような教会の交わりの中に、いつもお甦りのキリストが共にいてくださったことは明らかであります。
■昨日の午後、長くこの教会で牧師をされた加藤常昭先生の納骨の祈りをしました。たいへん申し訳ないことでしたが、教会の皆さんには事前のご案内を控えさせていただきました。あまりに大人数になることが心配されたからで、その点はご理解いただきたいと思います。
教会墓地の前で、ご家族のみが集まり、そこで私はペトロの手紙一第1章8節を読みました。加藤先生の最愛の聖書の言葉です。
あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛しており、今見てはいないのに信じており、言葉に尽くせないすばらしい喜びに溢れています。
加藤常昭先生というのは、鎌倉雪ノ下教会にとって、たいへん大きな存在でした。加藤先生の周りにも、どういうわけか、と言ったら失礼に当たるかもしれませんけれども、どんどん、どんどん、羊の数が増えて行きました。ここは率直な言い方を許していただきたいと思いますが、加藤先生の説教を聴きたかったから、たくさんの人がここに集まったのであります。けれども本当は、加藤先生もペトロと同じで、主の愛だけを語られたのです。主の愛以外に何も語ることをお持ちではありませんでした。そこに立つ、この主の羊の群れ・鎌倉雪ノ下教会であります。
昨日の納骨の祈りにおいては、もうひとつこれに添えて、コリントの信徒への手紙一第13章13節を読みました。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残ります。その中で最も大いなるものは、愛です」。加藤先生の遺骨を見つめながら、何だか、加藤先生の肉声で、この聖書の言葉が聞こえてきたような気がしました。「最後まで残るのはね、愛なんだよ」。少し正直なことを言いますと、昨日の午後に納骨の祈りをした時点で、まだ私は今朝の説教の原稿が全然書けていませんでした。いや、これは困ったな、本当に困ったな、という思いで教会墓地に出かけたのですが、聖書の言葉に大きな励ましを得たと思いました。聖書の言葉に、戒められたとさえ思いました。「最後まで残るのはね、愛なんだよ」。ああ、そうだ。このことだけを語ればいい。キリストの復活は、愛なんだ。
コリントの信徒への手紙一の第13章は、〈愛の賛歌〉と呼ばれることもある、たいへん有名な聖書の言葉です。その中に、こういう言葉があります。「愛は決して滅びません。しかし、預言は廃れ、異言はやみ、知識も廃れます。私たちの知識は一部分であり、預言も一部分だからです」。いちいち言う必要もないことでしょうが、加藤先生ほど知識の豊かな神学者は、少なくとも現在、日本にはひとりもいないと思います。だがしかし、「預言は廃れ、異言はやみ、知識も廃れます。私たちの知識は一部分であり、預言も一部分だからです」。そのことをいちばんよくわかっていたのは加藤先生自身であったと思いますし、むしろそのことを私がいちばん深く学び得たのも、この教師からであったと思うのです。「最後まで残るのはね、愛だけなんだよ」。「最後まで残るのは、信仰と、希望と、愛だけだ。その中で最も大きなものは愛である」。
その神の愛の中で起こった、復活の出来事であります。その愛の中に招かれ、人生丸ごと巻き込まれたペトロという弟子は、本当に果報者であったと思いますし、しかしまたそれは、私どもひとりひとりに、等しく与えられている幸いなのであります。お祈りをいたします。
父なる御神、今私どもも、キリストを見たことがないのに愛し、今見てはいないのに信じており、言葉に尽くせないすばらしい喜びに溢れています。復活の主にお会いしたからです。その愛に触れたからです。こんな私をも名指しで顧みてくださる、主イエスのみ心を教えられたからです。今、その喜びの内に主の食卓を祝います。主に顧みていただいている者の幸せを、心いっぱいに味わうことができますように。もし今、その望みから落ちている仲間がいるならば、「あの人にも知らせてやりなさい」との主のみ声をその魂に届けることができますように。聖霊の助けを願いつつ、この祈りを主のみ名によってみ前にささげます。アーメン