神が教会に委ねたもの
テモテへの手紙二 第1章3-14節
川崎 公平
主日礼拝
■鎌倉雪ノ下教会の伝道開始107年を記念する礼拝において、いつも読み続けているマルコによる福音書をお休みして、テモテへの手紙二の最初の部分を読みました。使徒パウロが、自分よりもずっと若い伝道者であるテモテを励ますために書いた手紙ですが、正直に申しまして、聖書の中であまり人気のある文書ではないかもしれません。長く信仰生活をしている方でも、いったい何が書いてあったっけ、と思われるかもしれません。
この手紙にあまり人気がないひとつの理由は、聖書の後ろのほうにあるということがあるかもしれません。なんとなく、新約聖書というのは大事な順に並んでいるような気がしますからね。もうひとつ、現代の聖書の学者たちのほとんどは、パウロ自身がこの手紙を書いたとは考えません。パウロが死んでからずいぶん経ったあとに、別の人がパウロの名を借りて書いた文章であると、ほとんどの学者が考えますから、聖書を研究しようとする人が真っ先にこの手紙に取り組むということは、あまりありません。どうしてもあとまわしになる。
しかし私は、それはたいへんもったいないことだと考えています。たとえパウロ自身が筆を執って書いた文章がそのまま残っていないとしても、パウロがテモテのために手紙を書いたという、その事実を疑うことはできないようです。その手紙を受け取ったテモテが、パウロ先生からの宝物のような手紙を、自分ひとりで読むのはもったいないと考えたのはむしろ当然であって、それがいつしか多くの教会で回覧されて、書き写されて、最初にパウロが書いた言葉通りのものではなくなったとしても、まさにそのような過程の中に教会の命の歴史を見出すことができると思います。
■なぜパウロは、テモテにこの手紙を書いたのだろうか。4節に「私は、あなたの涙が忘れられず」と書いてあります。それがどのような涙であったのか、どこにも説明はありません。いつ、どういう理由でテモテが泣いたのか、説明がないということはつまり、説明の必要がなかったということでしょう。「テモテよ、あのときあなたは泣いたね。わたしは覚えているよ」。そう言えばお互いに通じるようなことがあったのでしょう。
ほとんどの聖書の学者たちは、これは別れの涙のことだろうと推測しています。4節を自然に読めば、当然そういうことになるだろうと思います。「私は、あなたの涙が忘れられず、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています」。「わたしは、君の涙を忘れていないよ。何としても、もう一度君に会いたいんだ」。そう言うのです。
この手紙を書いたパウロは、おそらくローマの獄中にありました。8節に「私が主の囚人であることを恥じてはなりません」と書いてあるように、信仰を理由に逮捕されていた。そのことがテモテとの別れの直接の原因であったのか、それはわかりませんが、とにかくどこかで別れた。それは、涙なしには別れられないような別れであったようです。そこで流された涙を、パウロはとても大切なものとして覚えています。「わたしは、君の涙を忘れていないよ」。
テモテというのは、パウロがいちばん信頼していた伝道者であったようです。使徒言行録第16章の最初のところに、テモテの名前が出てきます。このたび使徒言行録についての本を書かせていただきましたが、もともとはこの教会の祈祷会で使徒言行録を説き続けたものが土台になっています。あとがきにも書いたことですが、出版上の都合もあって、祈祷会で語った言葉を3分の1くらいに圧縮させられて、それは結果としてとてもよかったと思っているのですが、やはり心残りもあって、そのひとつはテモテのことについてまったく触れることができなかったということです。
使徒言行録の中に、こういう話が出てきます。パウロの伝道者としての歩みの中で、実はいちばんつらかったかもしれないことは、バルナバという仲間とけんか別れをしたことです。あとになってふりかえってみれば、きっとささいなことだったんです。けれども結果として、パウロはバルナバと、遂に二度と和解することはありませんでした。しかも、どちらかと言えば、バルナバが教会から追い出されるような形になったのですが、パウロは決して、勝ち誇るような思いにはなれなかったと思います。パウロの人間的な弱さが露呈するような出来事でしかありませんでした。バルナバという最高の戦友を失って、パウロは絶望的な孤独を感じたに違いないのです。
ところがそのようなところで神から与えられた同労者が、テモテという若者でした。5節に、テモテの「祖母ロイスと母エウニケ」という名前が出てきましたが、おそらくパウロがこのふたりに洗礼を授けたのです。ところが何年かしてもう一度、彼女たちのいる教会を訪ねてみると、あのときはまだ小さかったテモテが立派な青年になっていて、しかもお母さん、おばあちゃんの信仰を受け継いで立派なキリスト者になっていて、「あれ? 君、あのテモテくん? そうか、君も洗礼を受けたんだ!」 そのテモテの助けを受けながら、パウロは新しい伝道に旅立つことができたらしいのです。
■けれども今、パウロは獄中にいます。テモテはひとりで伝道しないといけない。いつ、どのようにして別れたか詳細はわかりませんが、テモテも泣いたのです。その涙を、パウロは忘れることができず、この手紙を書きました。どうもテモテが伝道の勇気を失っているらしいと聞いてのことであります。私はこう思うのですが、たとえば7節などは、テモテが読んだらそれだけで泣き出してしまうような言葉であったかもしれません。「神が私たちに与えてくださったのは、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮の霊だからです」。事実、テモテには力と、愛と、思慮が与えられていました。そして聖書の学者たちも、テモテという人物を評して、やさしい、穏やかな人格の人だったのではないかと考えます。思慮深く、決していばったり怒鳴ったりごり押ししたりせず、そういう賜物を神さまからいただいた人なら、私どもの教会にもたくさん見つけることができます。ところがそういうテモテに対して、わざわざパウロが念を押していることは、「しかしわれわれは、神さまから『臆病の霊』をいただいてはいないよ」。わざわざそんなことを書いたのは、それだけテモテが臆病になっていたからかもしれません。そうならざるを得ない、厳しい教会の状況があったのかもしれません。そのテモテを励まして、パウロは言うのです。「神さまがあなたに与えてくださったのは、力と、愛と、思慮の霊であって、臆病の霊ではないよ」。
そのような励ましの手紙を書かなければならなくなったときに、パウロが真っ先に思い出したのがテモテの涙であったということは、たいへん興味深いと思います。「あなたは、涙を流したね。わたしは忘れていないよ」。それは決して、そんな女々しいことでどうする、もっとしゃんとしなさい、ということではないのです。
■8節に、こう書いてあります。「ですから、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のために、苦しみを共にしてください」。最初に申しましたように、パウロは囚人として獄中につながれていた。そういうわたしの仲間であることを恥ずかしがらないでほしい、むしろ、福音のために、わたしと一緒に苦しんでほしい。そう言って、この手紙の終わりのほうで、非常に具体的な話をします。第4章の9節以下です。
ぜひ、急いで私のところに来てください。デマスはこの世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行ったからです。ルカだけが私のところにいます。マルコを連れて、一緒に来てください。彼は、私の務めのために役に立つからです。私はティキコをエフェソへ遣わしました。あなたが来るときには、トロアスのカルポのところに私が置いてきた外套を持って来てください。また書物、とりわけ羊皮紙のものを持って来てください。
最後の「書物」というのは、おそらく聖書のことです。昔のことですから、簡単に持ち運びできるような聖書なんかない。聖書のどの部分でもいいから、できれば羊皮紙の巻物の聖書を持ってきてほしい。聖書を読みたい。しかし、聖書以上にパウロが渇望したことは、テモテに会いたい、ということです。「ぜひ、急いで私のところに来てください」。あなたの顔を見たいんだ。あなたの声を聞きたいんだ。
そのような思いが募った第一の理由が、これは私が忘れることのない聖書の言葉ですが、「デマスはこの世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまい」と書いてあります。もしかしたら、このデマスのことが、この手紙を書かずにおれなくなった動機であったかもしれません。パウロと一緒に伝道していたデマスという仲間が、パウロを見捨ててどこかに行ってしまった。それはデマスが「この世を愛し」たからだとはっきり言います。ずいぶんストレートな言い方ですが、事実その通りだったのでしょう。教会は、実にしばしば、この世の誘惑に負けます。この世を愛して、そのことによって世に負けるのです。このことについて、多くを語る必要もないだろうと思います。私どもの教会も、いつもその誘惑にさらされていると思います。
■今朝の礼拝で、このテモテへの手紙二を読みたいと思った理由はわりとはっきりしていて、ルードルフ・ボーレンという、私どもの教会にとっても忘れることのできない先生の書物を読んだからです。『祈る――パウロとカルヴァンとともに』という書物です。テモテへの手紙二のパウロの言葉、ボーレン自身の祈り、そしてカルヴァンの説き明かしの言葉、という組み合わせの短い文章が100ほど収められています。私は、この書物によってテモテへの手紙二に新しく出会い直すことができたと思っています。
この書物の中に「嘆き」という題の文章があります。聖書のテキストは、テモテへの手紙二の第1章11節。「この福音のために、私は宣教者、使徒、教師に任命されました」。ここで不思議なのは、なぜこの言葉を説き明かすときに、「嘆き」という題がつけられるのでしょうか。この聖書の言葉に続けて、ボーレンはこういう祈りを書いています。
ああ、精神の怠慢、
寛容の化粧をした
快適さ、また異邦人に教えるよりも
むしろ異邦人から学ぶこと、
それはより容易い。ああ、黙した伝令、
あなたから学ばず、
座したままの使徒。
「この福音のために、私は宣教者、使徒、教師に任命されました」。主語を入れ替えて、「私は」(つまり「パウロは」)ではなく「われわれ教会は」としても大きな問題はないと思います。教会は、宣教者・宣べ伝える者として、使徒・遣わされた者として、また教師・教える者として、神に任命されたのです。けれども教会がしばしば誘惑されることは、「ああ、精神の怠慢、/寛容の化粧をした/快適さ」。この言葉の意味がわかるでしょうか。痛烈な言葉だと思います。寛容の化粧をしながら、「神を信じない自由もあるよね」と言っていたほうが、快適なのです。「また異邦人に教えるよりも/むしろ異邦人から学ぶこと、/それはより容易い」。ここで言う「異邦人」というのは、外国人とかユダヤ人以外の人ということではなく、「キリストを知らない人」という意味でしょう。「キリストを知らない異邦人にだって、すぐれたところ、彼らから学ぶべきところはたくさんあるじゃないか」。「異邦人に教えるよりも、むしろ異邦人から学ぶこと」、そちらのほうが容易であり、快適であり、正しいことでさえあるように思うのです。そりゃあ、異邦人から学ぶべきことだってたくさんあるに違いない。けれどもそれを言い訳にしながら、「この福音のために、私は(私たちは)宣べ伝える者、神に遣わされた者、教える者として任命された」という事実を捨てたくなる誘惑は、決して小さくないと思います。
「デマスはこの世を愛し」たのです。そのことによって、落ちるべきところに落ちたのです。そんなことがあってはなりません。それはもちろん、この世を憎め、ということではありません。この世を軽蔑するのでもありません。この世に対して、あなたがたは使徒なのだ。教師なのだ。けれどもそれは、実にしばしば、たいへん心細いこととなるのです
「ああ、精神の怠慢、/寛容の化粧をした/快適さ」。「異邦人から学ぶことだって、たくさんあるよね」。「キリストを信じない自由だってあるよね」。そういう快適さに生きる人間は、涙を流す必要もないのです。けれどもここでパウロは、テモテに語りかけて言うのです。「あなたはキリストの僕として、流すべき涙を知っているね。わたしの前でその涙を流したね」。そう言うのです。
■伝道開始107年の記念礼拝をしています。ときどき丁寧にお話しすることですが、私が鎌倉雪ノ下教会に来てひとつ感銘を受けたことのひとつは、「伝道開始何年」という、この呼び方です。教会設立107年ではありません。それを言ったら、107年前の10月31日、最初の礼拝をしたとき、まだ教会の規則上は正式な教会ではありませんでした。教会堂もなく、専任の牧師もおらず、規則上は教会の名前すら与えられなかった。それでも、伝道を始めたのです。
伝道というのは、喜びの知らせを告げるのですから、喜びのわざでしかないのかもしれませんが、一方では、率直に言って苦しいことです。率直すぎる言い方で申し訳ありませんが、伝道というのは、とても心細いことです。「デマスはこの世を愛し」というような誘惑と戦うことは、決して容易ではないからです。
先ほど雪ノ下讃美歌11番を歌いました。その最初の言葉は、つくづくよく考え抜かれた言葉だと私は思います。「潮さいもほど遠からぬ 海のほとりに キリストのみ声が聞こえ」。そこで聞こえた「キリストのみ声」というのは、この地上のどこをどんなに探しても見つけることはできません。天からしか聞こえない。「キリストのみ声」は、異邦人に教えることはできても、異邦人から学ぶことはできないのです。だからこそ、伝道というのは、間違った意味でこの世を愛していては絶対にできないし、その戦いの中で涙が流れることだって、きっとあるでしょう。その戦いのために、パウロはテモテに語りかけるのです。11節以下を読みます。
この福音のために、私は宣教者、使徒、教師に任命されました。そのために、私はこのような苦しみを受けているのですが、それを恥じてはいません。私は自分が信じてきた方を知っており、私に委ねられたものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。キリスト・イエスにある信仰と愛をもって、私から聞いた健全な言葉を手本としなさい。あなたに委ねられた良いものを、私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。
ここに繰り返されることは、「委ねられたもの」ということです。「私に委ねられたものを、神が守ってくださる」。「あなたに委ねられた良いものを、聖霊によって守っていただきなさい」。テモテよ、あなたには神から委ねられたものがあるんだから。自分で自分のものを守るんじゃない。神が委ねてくださったものを、神が守ってくださるんだ。それなら、臆病になることなんかないじゃないか。何を委ねられたのでしょうか。信仰を委ねられた。福音を委ねられた。あるいは、キリストのみ声を聴かせていただいた。いろんな言い方ができるだろうと思います。いずれにしても大切なことは、神が委ねてくださったということです。だから既に6節でもこう言われるのです。
こういうわけで、私はあなたに注意したいのです。私が手を置いたことによってあなたに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせなさい。
「私が手を置いたことによって」というのは、洗礼のことかと思われるかもしれませんが、おそらくそうではなくて、教会の教師としての按手のことを意味すると言われます。あなたには、神の賜物が与えられているのだから、既にあなたの中に、神の賜物が住み着いているのだから、それを、再び燃え立たせなさい。「神が私たちに与えてくださったのは、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮の霊だからです」。
■しかもそこで、決して私どもは孤独になることはありません。このテモテへの手紙二において、今日読んだ箇所に限らず、この手紙全体で際立っていることは、教会に生きる人間は、どんな人も、決してひとりになることはないということです。どんなに強く見える人がいたとしても、ひとりで立つことができるほど強い人間はいないし、どんな人も、ひとりぼっちのまま放っておかれてはならないということです。だからこそパウロは、この手紙を書いたときに真っ先に、「テモテよ、わたしはあなたの涙を忘れていないよ」と書いたのです。心細いことはいくらでもあるだろう。そこに立ち続けなさい。わたしも同じなんだ。キリストの福音に立ち続ける人間だけが知る悲しみであります。
この鎌倉雪ノ下教会もまた、107年前から現在に至るまで、そのような深い絆に生きてきました。今朝の週報においても、教会の仲間の訃報を載せなければなりませんでした。いちばん古い長老であり、それだけに、教会の大きな柱の一本を失ったという思いを深くしないわけにはいきません。先週の葬儀の日には、たくさんの仲間たちが集まって別れを惜しみました。ほとんど実の父親のように、この長老を慕い続けた人は決して少なくなかったのです。けれどもこの長老自身、決して自分がひとりで立っているとは考えませんでした。教会という絆が与えられなかったら、自分みたいな者は今頃どこに消え去っていたかわからない、ということを、身に染みて、本当に具体的な体験を通して理解しておられた長老でしたし、だからこそまた教会の仲間のためにも切々たる祈りをもって支え合い、愛し合う、そういう教会の交わりを造るために尽力されました。伝道というのは、要するに、そういう教会の交わりの中に、「どうぞあなたもお入りなさい」と招き入れることでしかないのです。
今私どもも新しく伝道の志に立ちたいと願います。教会は、神から無限の恵みを委ねられているのですから、そのすばらしさに新しく目覚め、それを終わりの日まで守ってくださるのも神である。その確信に共に立ちたいと願います。お祈りをいたします。
主イエス・キリストの父なる御神。「神が私たちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、私たちの行いによるのではなく、ご自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにあって私たちに与えられ、今や、私たちの救い主キリスト・イエスが現れたことで明らかにされたものです。キリストは死を無力にし、福音によって命と不死とを明らかに示してくださいました」(9~10節)。この鎌倉雪ノ下教会も、107年間、この福音のために、宣べ伝える者として、遣わされた者として、教える者として生かされてきました。そのために苦しみを受けることがあっても、恥じることがありませんように。あなたがこの教会に委ねてくださったものを、あなたが終わりの日まで守ってくださると、確信しております。この世を愛して、この世に負けることがないように、どうかこの教会が、あなたに守られて立ち続けることができますように。主のみ名によって祈り願います。アーメン