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あなたが神を呪っても

2024年9月8日

マルコによる福音書 第14章66-72節
川崎 公平

主日礼拝

 

■主イエスの一番弟子と言われるペトロが、三度繰り返して主イエスを裏切ったという聖書の記事を読みました。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいましたね」。「何を言っているのか、分からない。見当もつかない。イエスなんて、そんな人は知らない」。そしてそのあと、「『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出して、泣き崩れた」というのです。聖書の中には、私どもの心を動かす物語がたくさんありますが、その中でもこの〈ペトロの否認〉と呼ばれる出来事は、一度読んだら忘れることができないものだと思います。

この出来事がさらに厳しい意味を持つのは、今日読んだところからも読み取れることですが、既に主イエスが、このペトロの裏切りを予告しておられたということです(そのことは、同じ第14章の27節以下に書いてあります)。「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」というこの主イエスの言葉は、ペトロがつい数時間前に聞いたばかりの言葉であったのです。それを聞いたときペトロは、全力でそれを否定しました。「先生、わたしは先生と一緒に死ぬ覚悟です。先生のことを知らないなんて、口が裂けても言いません」。そのことを思い出して、ペトロはわっと泣き崩れたというのです。

いったい、ペトロはいつまで泣き続けたのでしょうか。いつ泣き止むことができたのでしょうか。悲しくて、ただただ悲しくて……いったいペトロはどうやって立ち直ることができたでしょうか。そんなペトロが、もしも本当の意味で立ち直ることができたとするならば、どんなにうれしかっただろうかと思います。ペトロは自分の身に起こったこの出来事を、どんなに深い喜びの中で語ったことだろうかと思います。それでこの物語は、二千年の時を越えて、福音・喜びの知らせとして、私どもにも伝えられることになりました。

■この聖書の記事が多くの人の記憶にとどまっているのは、言うまでもなく、多くの人の共感を誘うからだと思います。正確に言えば、多くの信仰者・キリスト者が共感できるからだと思います。もちろん私どもは、キリストの弟子として、伝道したいと思っているのです。イエスさまのことを証ししたい。「わたしは、あのナザレのイエスの仲間です。わたしは今もいつも、このお方と一緒にいるのです」と、言いたいのはやまやまなんですが、それが難しいと感じる場面はいくらでもあるのです。特に日本のようにキリスト者が少数者であればあるほど、このペトロの物語はよくわかると思います。そしてきっと、この福音書を最初に読んだ当時の教会の人たちも、この物語が骨身に染みてよくわかったと思います。これは、ペトロ先生だけの物語じゃない。わたしの話だ。わたしたちの話だ。

私は思うのですが、ペトロも、まさか自分がイエスさまのことを知らないなんて、そんなことを口にするとは夢にも思わなかったに違いない。ペトロは、確かに逃げました。主イエスが武器を持った人たちに捕らえられて、そのときペトロも、他の弟子たちと同じように逃げたのです(50節)。それでも先週読んだ53節以下に書いてあるように、「人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。ペトロは、遠くからイエスの後に付いて、大祭司の中庭まで入り、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた」。そのときペトロは、心の中で言い訳をしていたかもしれません。「まあね、確かにさっきは、何しろ突然のことだったからさ、思わずびっくりして逃げちゃったんだけど、本当は逃げるつもりはなかったんだ。いざとなったらいつでも飛び出して行って、イエスさまをお守りするんだ」。そのペトロの姿は未練がましいというか、いじらしいというか。ペトロは、何とかして主イエスに従いたいと願っていたし、そんなペトロがもしも何らかの形で大祭司、祭司長、律法学者の前に立たされて、そしてそこに主イエスも一緒にいるというところで、「お前もイエスの仲間だな」と言われたら、きっとペトロは大いに興奮しながら、「そうだ、おれはイエスさまの一番弟子だ、さあ、殺すなら殺せ」などと言ったかもしれません。

けれども、私どもの信仰が本当の意味で問われるのは、大祭司とか祭司長とか、そういうものものしい場面ではないことのほうがずっと多いと思います。むしろほとんどの場合は、たとえばどこかの中庭でたき火にあたっているようなときに、名もなき召し使いとか、友達とか職場の同僚とかと他愛もないおしゃべりをしているときに、「宗教って、怖いよね」というようなところで、私どもの信仰は問われるのです。そしてそういうときに、私どももペトロの気持ちがよくわかるでしょう。「今、ここじゃない」。「今ここで余計なことを言っても、誤解を招くだけだよな」。そういう判断が、すべて間違っているということもないでしょう。どこでもかしこでも、相手の気持ちや都合なんかお構いなしに伝道、伝道ってやればいいってもんじゃない。けれども、おそらく間違いないことは、そういう何気ない生活の場でこそ、私どもの信仰の本音が、ありのままの姿であらわにされてしまうのです。

■非常におかしな話をするようですが――最近の話ではありません、ずいぶん昔のことですが――夢の中で、路傍伝道をしなければならなくなったことがあります。大通りの真ん中に立って、もちろん道行く人たちは誰も私の話なんか聞くつもりはないのです。そういう場所で、さあ、これから説教をしないといけない。夢の中で、血の気が引きました。逃げ出したいけど、それもできない。なぜかと言うと、私の背後には教会の人たちがたくさん並んでいて、おたおたしている私を見ながら、「あ~、あ~、川﨑先生、そんなんじゃだめじゃないですか」という、声にならない声が聞こえてくる。で、結局夢の中でも路傍伝道はしなかったのですが……あ、夢か、と思って、少し落ち着いてほとんど自分に絶望したことは、夢の中にイエスさまはいなかったということなのです。夢の中でうまく説教できたかできなかったか、という次元のことではなくて、イエスさまがいなかった。本当に、いませんでした。夢の中の自分の意識の中に、イエスさまはいなかった。夢というのは、きっといちばん深いところにある意識というか無意識が表れてくるのでしょう。その自分の無意識の中に主イエスがいなかったというのは、「ええ? お前、本当に牧師か?」と疑われても仕方がないかもしれません。牧師という以前に、ひとりの信仰者・キリスト者として、絶望するほかないのかもしれません。

それでも私が絶望せずにすんでいるのは、ペトロと同じ理由によります。私が主イエスを知らなくても、主は私を知っていてくださる。私が夢の中で、つまり心のいちばん深いところで主イエスを否定しきっていても、主は私を否定されない。そのことを告げるかのように、鶏が鳴きました。その鶏の鳴き声を聞いて、ペトロはすべてを理解しました。そして、泣き崩れたと書いてあります。私も布団の中で泣き崩れてもよかったかもしれませんが、そのときには何の涙も出ませんでした。ただただ深い絶望と――それでも主イエスはわたしを知っていてくださる。主はわたしを見ておられる。それはいったいどういうことなのでしょうか。

■この福音書の記事は、ある意味でペトロに対して容赦ないところがあると思います。ペトロがしたことについて、実に露骨であり、ペトロをかばうようなことをひとつも書きません。ペトロ自身がそういう語り方をしたからだろうと思います。自分に起こったことを教会の人たちの前で語ったとき、ペトロは少しも自分を弁護するようなことは言わなかっただろうと思います。

それにしても強烈だと思いますのは71節です。「しかし、ペトロは、呪いの言葉さえ口にしながら、『あなたがたの言っているそんな人は知らない』と誓い始めた」。ちょっとその場しのぎの嘘をついたとか、言葉を濁したというレベルではないので、呪いの言葉でもって誓いを立てたと書いてあります。誰を呪ったのだろうか。まず考えられるのは、主イエスを呪ったのだということです。「冗談じゃない、あんな男の仲間だなんて! ナザレのイエスなんてやつは地獄に落ちろ」。しかしまた昔からあるもうひとつの理解は、ペトロは自分についての呪いの言葉を口にしたということです。「もしわたしがイエスの仲間であるなら、わたしは呪われよ」というわけです。「冗談じゃない。わたしはあの人と何の関係もない。わたしは、あの人を愛したことなんか一度もないし、あの人から愛されたことも、神に誓って、一度もない。もしわたしがイエスに愛されているとするなら、わたしは呪われよ」。

いったい、こんな言葉が赦されるのでしょうか。主イエスは同じマルコによる福音書の第3章28節で、どんな罪でも赦されるのだ、どんな冒瀆の言葉も赦されるのだと言われました。しかし、これはいくら何でも、赦しの限界点を完全に越えてしまっているのではないでしょうか。しかし、このペトロの話を聞いた後の教会の人たちは、よくわかったと思います。自分たちがいつも同じ戦いに直面していることを、よく理解したと思います。ペトロは弱い。自分たちはきっと、もっと弱い。しかもその弱さというのは、呪われた弱さであって、思えば、私が路傍伝道に失敗したというあの夢も、ずいぶん呪われた夢だなあと思います。「わたしはイエスさまなんか知りません」というのが、自分の本当の本音なのかと思うと、本当に絶望しそうになります。いったい牧師たる者が、こんなことを公の場で発言してもいいのだろうかと躊躇しないでもありません。

ところがこの福音書の記事が鮮やかに語ることは、そのような呪われた人間の弱さを、主イエスが最初から見つめていてくださったということなのです。「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」。たとえペトロが主イエスを呪っても、あるいは自分自身を呪っても、ペトロのすべては最初から最後まで、キリストの愛の中にありました。

ルカによる福音書は、「すると鶏が鳴いた」と書いたあとで、「主は振り向いてペトロを見つめられた」(第22章61節)と書いています。きっとそうだろうと思います。歴史的事実としてきっとそうだったろう、ということではなくて、今も主イエスは変わることなく、私どものために振り向いて、私どもを見つめていてくださるということです。ペトロは最初から最後まで、主イエスのまなざしの中に置かれていたのです。ここでもし主が振り向いてくださらなかったら、もしペトロを見つめてくださらなかったら、私どもには本当に、絶望しか残らないだろうと思うのです。

■この主イエスのまなざしを思い起こさせる鶏の声のことを、すべての福音書が共通して伝えています。四つの福音書すべてが共通して伝えていることというのは、実は案外珍しいのです。きっと、どの時代、どの地域の教会にも、鶏の声のことは省略されずに伝えられたのでしょう。それで、いつしか鶏はペトロの〈しるし〉となりました。教会の芸術に鶏が出てきたら、その横にいる男はペトロだと、そういう約束になっています。

私はこういうことを想像するのですが、ペトロは生涯、鶏の声を聴くたびに、はっとさせられたのではないかと思います。はっとさせられるというのは曖昧な表現ですが、たとえば変な汗が出たかもしれないし、あるいは涙が流れたかもしれない。けれどもまたそれ以上に、そんな自分のすべてを知っていてくださる主イエスのことを思い出して、涙をうち払いながら、主に仕える者としての姿勢を新たにさせていただいたと思います。こうして鶏は、ペトロのしるしとなりました。特にヨーロッパのほうに行きますと、教会堂のてっぺんに十字架ではなく、鶏の形を見つけることがあります。これが風見鶏の起源になったと言われます。なぜ鶏を教会堂のてっぺんに掲げるのか。絶望のしるしではありません。主はわたしたちを知っていてくださる。この教会を見つめていてくださる。そのことを忘れないためのしるしです。

ところで、この鶏の鳴き声について、実はひとつややこしいというか、おもしろい問題があります。マルコによる福音書には、鶏が二度鳴いたと書いてあります。ところが興味深いことに、マルコ以外の三つの福音書では、鶏が鳴いたのは一度だけであったことになっています。いったい、鶏は一度だけ鳴いたのか、それとも二度鳴いたのか。そんなこと、わかるはずもないし、どうでもいいじゃないかと思われるかもしれませんが、普通に考えれば、いちばん古い福音書はマルコですから、他の三つの福音書は、鶏が鳴いた回数を敢えて一回に限ったのだということになると思います。なぜそんな編集をしたか。ひとつの理由として、鶏が二度鳴いたとすると、少し難しい問題が生じると思います。ペトロはあれだけ言われていたのに、鶏が一度目に鳴いたとき、何も気づかなかったのでしょうか。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいましたね」。「いやいや、冗談じゃない。人違いですよ」。すると、鶏が鳴いたというのですが、普通の人間ならそこで何か気づかないでしょうか。普通に考えたら、鶏が二度も鳴いたというのは、非常におかしな話なのです。だからこそ、鶏はやはり二度鳴いたのではないでしょうか。普通では考えにくいような話を、わざわざでっちあげるはずもないのです。ペトロはなぜ一度目の鶏ではっとしなかったのだろうか。これはよくわかりません。それほどに焦っていたのかもしれません。それほどにペトロの意識の中に、イエスさまがおられなかったのかもしれません。

けれども大切なことは、ペトロが一度目の鶏の声に気づかなかったとしても、主イエスは聞いておられました。一度目も、二度目も、主イエスは鶏の声を聞いておられたのです。そのとき主イエスは、53節以下に書いてあるように、ユダヤの最高法院で裁きを受けておられました。ありとあらゆる悪口を言われながら、なお黙っておられました。そんなときに、人びとの罵詈雑言の向こうから一番鶏の声が聞こえたとき、主イエスはどんなにはらはらしておられたかと思います。いや、どんなに深くペトロのために祈っておられたかと思うのです。一番鶏の鳴き声も、二番鶏の鳴き声も、そのあとのペトロの泣き声も、主イエスには聞こえていたに違いありません。ペトロの側には、何の望みもありません。絶望しかありません。もしも、主イエスがペトロのために祈っていてくださらなかったら、その泣き声を聴いていてくださらなかったら、本当にペトロには、呪いしか残らなかっただろうと思います。

■けれども、事実として、ペトロは最初から最後まで、主イエスの愛の中におりました。「今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」と主が言われたそのときから既に、ペトロは主イエスのまなざしの中に置かれていたのです。たとえペトロが神を呪っても、自分自身を呪っても、この祝福が揺らいだことは一度もありませんでした。

今朝読んだところではないのですが、話は53節から始まっておりました。「人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。ペトロは、遠くからイエスの後に付いて、大祭司の中庭まで入り、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた」。そう書いてあるのですが、この54節の最後の「火にあたっていた」という表現は非常に興味深いもので、直訳すると「光に向かって自分を暖めていた」と書いてあるのです。これは一方では不自然な、しかしまた深い含蓄のある表現です。ペトロは「光に向かって自分を暖めていた」。その光がペトロの姿を照らし出し、それを見た召し使いの女が、あれ、この人、と気づいたというのです。

マルコは、最初からペトロは光の中にいたのだということを伝えたかったのではないでしょうか。もちろんそのときのペトロからすれば、こういうふうに人びとの間に紛れていれば見つからないだろう、というくらいの気持ちであったに違いありません。ところがそれが、自分を照らす光であるとは気づかなかったのです。そして私は思うのですが、そのたき火の光に照らされたペトロの顔は、どんなに暗かったことでしょうか。もちろんそのときにも、一所懸命イエスさまについて行こうとしたのでしょう。自分では、主を信じているつもりであった。そのつもりになっていただけで、その心の中には、本当の意味でイエスさまはいませんでした。ところがそんなペトロの暗い顔を、それでもなお、光が照らしていたというのです。

その光の中で、ペトロの正体が明らかになるのです。「あなたは、ナザレのイエスと一緒にいましたね」。こんなに光栄なことはないし、それを否定することほど悲しいことはないのです。けれども事実、ペトロの正体は、主イエスの弟子であったのです。そのことを鮮やかに証しする光の中に、ペトロは最初から立たされていたのだということを、マルコはそっと証ししたかったのだろうと思います。

礼拝の最後に、司式者が祝福を告げます。「主が御顔の光であなたがたを照らし あなたがたに恵みを与えられるように」。今ここでも私どもは、この光の前に立ちます。この光の中で、「そうです、わたしは主イエスに救われた者です」と、自分自身を受け入れることができるし、きっとそのことを、他の人にも証ししていくことができるでしょう。そのために、私も今、心を込めて皆さんに告げたいと思います。「主が御顔の光であなたがたを照らし あなたがたに恵みを与えられるように」。お祈りをいたします。

 

どんなに暗い闇の中に立つことがあったとしても、私どもはあなたの光の中に立ちます。たとえ私どもがあなたを呪い、自分自身を呪うことがあっても、それでもあなたは、私どもを祝福の光の中に置いてくださいます。今、あなたの恵みの中で、あのペトロの涙の意味を、わがこととして知ることができますように。私どもが流さなければならないのは、絶望の涙です。その絶望を覆い包む光の前に、既に立たされている自分自身を、新しく見出す者とさせてください。主のみ名によって祈ります。アーメン