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一緒に集うその理由

2022年2月13日

中村 慎太
コリントの信徒への手紙一 第11章17-22節

主日礼拝

教会の群れは、聖餐を囲む群れです。私たちも、そのイエスさまの食卓を目指しつつ歩みます。そして、その聖餐のたびごとに、イエスさまの十字架を告げ知らせます。

私が、信仰告白をしたのは高校生の時でした。赤ちゃんの頃、両親の信仰と教会の支えにより、小児洗礼を授けられました。その私が、高校の頃、信仰告白をしたいと願うようになりました。そのきっかけは、実は礼拝で執り行われる聖餐でした。

家族が、友人が、聖餐に与っていました。喜びをもって、嬉しそうにそれに与っているのが、分かりました。そして、おいしそうだった。

他の者が、信仰告白、洗礼を経て、その仲間に入れられていきました。私自身が、どこか置いてけぼりになっていくのが、いやな思いがしました。私自身は20歳でいいや、などと思っていたのですが、そんなふうに待っているのに何の意味があるのだろう、と思うようになりました。そして、牧師に、「信仰告白の備えの会をお願いします」と伝えたのです。

そこから、聖餐のさらなる意味を知らされていきました。その食卓の中心には、イエスさまがいて下さる。そのイエスさまが、十字架によって、私たちの罪を拭ってくださった。本当は、どうやったって、神さまをないがしろにし、神さまから離れてしまう私たちの罪を、イエスさまが代わりに背負ってくださった。私たちがかかるはずの十字架にイエスさまがかかってくださった。私たちはもう十字架に架からなくてよくなった、罪を背負って死ぬ必要がなくなった。そして、イエスさまを信じ救われる私たちは、天国で、イエスさまと一緒に食卓に連なることが許される。その食卓の先取りとして、イエスさまの十字架と復活を喜ぶ食卓が、聖餐なのだ、と知らされていきました。

教会の聖餐は、そのように、イエスさまの十字架とその救いを喜び、天の御国でのイエスさまと一緒の食卓を先取りするかのように、祝うものです。その食卓そのものが、まさに、イエスさまによる喜ばしい知らせを現すものです。

はじめて教会に集い、聖餐を見た人は、その意味が分からないでしょう。しかし、礼拝をささげつづけるなか、かつての私のように、聖餐によって、さらに主の救いの喜びを、改めて教えられていく者もいるのです。

コリントの信徒への手紙は、その聖餐を、聖餐に示される主の愛を力強く伝える手紙です。この手紙の著者伝道者パウロは、ギリシア文化の中で、偶像に向かいそうになる信徒を、時に叱責するかのように言葉を連ねました。そして、「偶像ではなく、イエスさまの方へ向かおう」と伝えるのです。そのイエスさまの栄光を現すために、生きよう。食べるにも飲むにせよ、生活のあらゆることでも、主の栄光のために、祈っていこう、と。

第11章も、偶像から離れること、また当時の文化において、どう偶像崇拝の習慣から離れ、主に栄光を帰すためのことができるか、伝えていました。

そして、この手紙は、主の聖餐について語ります。

聖餐は、洗礼と共に、イエスさまが命じてくださった礼典です。目に見えるみ言葉です。教会が教会であるために必要なものです。聖餐の卓、テーブルは、かならず教会にある。

しかし、もし聖餐が大切に執り行われなくなったら、教会は弱る、聖餐がなくなってしまったら、それはイエスさまの体である教会が、教会でなくなってしまう、ということです。

さて、コリントの教会では、その聖餐において、仲間割れが起こり、教会が引き裂かれていました。伝道者パウロはそのことを、言葉強く批判するのです。

17節。

教会は、もともとはイエスさまにあって一致する群れでした。老若男女、仕事、立場、様々な人がいる。しかし、皆でイエスさまの救いに入れられて、皆でイエスさまの方を向き、そのイエスさまに従う群れ、それが教会です。主にあって一致する集まり、それが教会です。しかし、その群れが、せっかく一緒になり、集まっているのに、その集まりが、分裂のきっかけになってしまった。特に、その主の食卓が、分裂のきっかけにまでなってしまっていた。そのようなコリント教会の現状をきいて、パウロはひどく嘆き、そのことを批判しているのです。

18節。

パウロは、教会に仲間割れなどが起こることはある程度あると考えています。特に、どの考えがイエスさまの教えに適合しているか、何が異端であるかなどは、教会で議論になるものでした。それは、必要なものであるだろう、神さまのご計画のために、用いられることだろう、とパウロは伝えます。

しかし、主の晩餐において仲間割れが起こっているのは、論外だ、と伝えるのです。

コリントの信徒への手紙を読む際、私たちは当時の教会の様子を思い浮かべることがとても大切なこととなります。今の私たちの教会の様子とは違うところもあるからです。

まず、当時の教会の建物、教会堂はどんなものだったか。何人くらい入るものだったか。教会堂はありません。信徒の家、特に多くの人が集まれる家を何か所か用いていました。食事をするスペースには、当時は寝そべって食事をしましたから、10人弱しか入れなかったと考えられています。その他の者たちは、中庭に立ちながら集っていたそうです。30人くらいでしょうか。

そして、みんなで食事を一緒にしながら、礼拝をささげていました。聖餐のある礼拝と共に、教会の愛餐会が合わさったようなものでしょうか。使徒言行録などを読むと、日曜の朝から、晩まで、聖餐を祝いつつ、聖書の御言葉を聴き、礼拝をささげていた様子などが記されています。

ところが、コリントの教会には、その晩餐で問題があった。

聖書。

貧しい者、つまりは、日曜、週の第一の日、働かなければならない者たちが、やっと仕事を終えて集まった時には、食事が残されていなかったそうです。裕福な者たちが、先に集まり、おいしい食事はもう平らげてしまっていた。そして、貧しい人たちのための食事が残っていなかった、というのです。

これは貧しい者をちゃんと守れ、とかそういうことだけを言っているのではありません。一緒の食事を囲むはずが、なぜ、自分の腹を満たすための時間になっているのか。と問うているのです。食欲を満たすなら、各自の家ですればいい。貧しい者に自分の裕福さを見せつけるなら、他ですればいい。教会が共に集まり、聖餐を執り行うのは、何のためか。イエスさまの十字架と復活を心に抱き、その救いの御業を喜ぶためではないか。イエスさまの喜びに、共に与るためではないか。

パウロは、このようなコリント教会の現状に対して、手紙の中でも特に厳しい調子で批判をしています。

では、私たちはコリント教会をただ半面教師とするか、ただ、コリント教会は沢山問題があったな、私たちはそうならないようにしよう、と考えるだろうか。

私たちもまた、不完全な教会です。教会は不完全な罪びとの群れです。私たち鎌倉雪ノ下教会の、主の聖餐に向かう姿勢も、問われるのです。

もちろん、私たちの教会で執り行う聖餐は、礼拝に集っている信仰者皆にいきわたるようにと心がけられています。さらには、それこそ、日曜の朝に集えない人のためにも、夕の礼拝、週日の礼拝、または訪問しての礼拝で聖餐を執り行う形も、できるだけの形をしています。

しかし、今は、疫病の問題があり、聖餐の回数が以前より減っているのは事実です。これは忍耐がいることです。そして、教会の仲間が疫病から守られるようにと、長老会を中心に、慎重に祈りを合わせています。

そのうえで、私たちは神さまの前にへりくだり、今日の御言葉を思い巡らしたいのです。

私たちは、イエスさまと一緒に救いを喜ぶことを第一にしているか、疫病を偶像としていないか。

自分が満足するための聖餐になっていないか。イエスさまの喜びのための聖餐をささげているか。

考えてみれば、この二年のあいだに受洗、信仰告白をした友は、数えるほどしか聖餐を共に祝っていない。疫病の問題が大きくなる前の時期からずっと聖餐にあずかっている者との間に、差が生まれていないだろうか。そんなことも思ったりします。

ただし、聖餐は回数ではありません。何回あずかったから、それでいい、というわけでもないし、教会では必ず聖餐を執り行うことはイエスさまから定められていても、その回数は、聖書に記されていません。時代によって、教会によってそれぞれに定められていくのです。

だとしたら、私たち皆が、今、貧しいものの立場にあるのではありませんか。聖餐を慕い求めつつ、飢えている。このように聖餐をいつもの回数執り行えないからこそ、私たちは主の食卓を慕い求める思いを新たに見出すのです。

ああ、私は主の食卓に与った、なんと嬉しいのだろう。さあ、この喜びにさらに連なる人がいる、その人たちのためにも祈ろう。主イエスの十字架の死を告げ知らせよう。

主の食卓に与る時、私たちはどうしても主の恵みだけに心向けられない時もあるかもしれません。疫病が心配だ、といったように。

しかし、その時だからこそ、私たちを苦難から、困難から救い出すために十字架にお係になったイエスさまを、聖餐で心に刻み、その主に信頼したいと私たちは願います。

かつて旧約では、過ぎ越しの祝いを大切にしました。国中の初子が皆撃たれて命を取られるという、神さまの裁きがくだるはずの中、選ばれた民は過ぎ越されて、その裁きをうけずに守られたという出来事です。死が満ちる困難の中、イスラエルの民は過ぎ越しの食事を祝いました。また、それは主なる神がイスラエルの民をエジプトから救い、葦の海で死をもたらす水を退けて、その民をエジプトの軍勢から救ってくださった御業を思い起こす食事でした。

そして、イスラエルの民は、主の救いを喜びつつ、ささげものをして、共に食事をし、主の救いを喜び祝ったのです。

イエスさまの聖餐も、まさに、私たちが罪の中で死に引き渡されるはずだった、大きな危機を覆すためのものでした。それほどの危機を覆してくださった、イエスさまの御業を、私たちは困難の中にある時こそ、切に祈り求めます。

鎌倉雪ノ下教会は、どのような困難の中にあっても、イエスさまの命じられた聖餐を大切に執り行います。その回数は減ってしまうことがあっても、かならずその時を持ちます。それを心待ちにしましょう。また、この主の日の礼拝の聖餐から始まり、聖餐が信仰の仲間にさらに行き渡るように、心を砕きましょう。そして、あらたにその聖餐の食卓に集う家族が与えられるように、イエスさまの十字架を告げ知らせましょう。