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神が成し遂げてくださるから

2022年1月16日

川崎 公平
フィリピの信徒への手紙 第1章1-11節(I)

主日礼拝

■今日からしばらく、私がここで説教をするときには、フィリピの信徒への手紙を読みながら礼拝をしていきたいと思います。パウロという伝道者の書いた手紙が、新約聖書の中にはたくさんありますが、パウロが直接筆を執って書いた手紙の中で、このフィリピの信徒への手紙はほとんど最後に書かれたものだと言われます。パウロにとって、フィリピの教会というのは、その名を思い出すだけでも胸が熱くなるようなものがあったようです。それは、今日読みました手紙の最初の部分だけ取り出しても、すぐに分かることです。3節以下で、「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています」と言うのです。

そこでもうひとつ、この手紙を読み始めるにあたり知っておいてよいことは、パウロはこの手紙を牢獄の中で書いているということです。今日読みました7節でも、「というのは、監禁されているときも」という表現がありましたし、さらに12節以下を読みますと、「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り」と書いてあります。理由が何であれ、政治権力の手によって逮捕・監禁されるということは、並大抵の試練ではありません。私どものほとんどの者が、実際には経験していないことです。けれども、その牢獄の中にいるパウロが、いつも喜んでいた。いつも慰められていた。それはなぜかと言うと、フィリピの教会の仲間たちよ、あなたがたがいるからだ。

わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています(3~6節)。

牢獄に監禁された生活の中で、パウロはいつも祈っていました。フィリピの教会の仲間たちのために。そしてその祈りのたびに、パウロの心は感謝で満たされていた、喜びで満たされていたというのです。それはなぜかと言うと、「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」(5節)と言います。そして6節では、「あなたがたの中で善い業を始められた方が」と言います。神が善いわざを始めてくださったのだ。その善いわざを完成してくださるのも神だ。パウロは牢獄の中で、繰り返し、神がフィリピで始めてくださった「善いわざ」を、その最初の出来事を思い起こしたことだろうと思います。自分が初めてフィリピの町を訪れた時。その時のことを思い起こすたびに、感謝が生まれ、祈りが生まれ、喜びが生まれる。

フィリピの信徒への手紙は、パウロの書いたほとんど最後の手紙だと申しましたが、逆に新約聖書に残っているパウロの手紙の中で最も古いものは、テサロニケの信徒への手紙Ⅰであります。その第5章16節に、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」という、たいへん有名な言葉があります。この言葉に、無数の人が励まされ、慰められてきたと思います。パウロは、かつて最初の手紙で書いた通りのことを、最後の手紙においても最後まで実践している。「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています」。しかしここで興味深いことは、その喜びと祈りと感謝の源泉がどこにあるかというと、もう一度申します。フィリピの教会の仲間たちよ、あなたがたがいるからだ。「あなたがたの中で善い業を始められた方が」、必ずその善いわざを最後まで完成させてくださる。

■先ほど、フィリピの信徒への手紙の最初の部分と合わせて、使徒言行録の第16章を読みました。パウロたちが初めてフィリピの町で伝道したときの様子が伝えられています。

わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した(11、12節)。

改めて驚かされることは、パウロたちがフィリピに滞在したのは、僅か「数日間」であったというのです。その数日のうちに、パウロたちの伝道が原因でフィリピの町に騒動が起こり、パウロたちは逮捕されて、遂にフィリピの町を出て行かなければならなくなります。そのような僅か数日間の滞在がパウロにとって忘れがたいものになったのは、それだけ幸せな出会いに恵まれたということかもしれませんが、おそらくそれだけではないと思います。パウロたちがフィリピを訪ねることになった、その経緯については、使徒言行録第16章の6節以下にこういうことが書いてあります。

さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった(6、7節)。

馴染みのない地名がたくさん出てきてぴんと来ないという方が多いかもしれませんが、それにしても不思議な表現で、「聖霊から禁じられた」とか、「イエスの霊がそれを許さなかった」とか、いったい何が起こったのでしょうか。残念ながら聖書は何も伝えてくれません。けれども当事者であるパウロたちにとっては、ずいぶんつらい経験が次から次へと重なったのだろうと思います。私はこう思うのですが、「聖霊から禁じれて」というものの言い方は、あとから振り返って初めて口にすることができた表現だと思います。その場にいた人間からしたら、どうしてこんなに何もかもうまくいかないのか。もしかしたら、神なんかいないんじゃないか。われわれのしている伝道なんて、実は何の意味もないんじゃないか。ただ得体の知れない運命の力に振り回されているだけなんじゃないか。けれどもそのようなときに、パウロは夢の中で不思議な幻を見ます。

その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである(9、10節)。

それでパウロたちの一行が最初に導かれたのが、このフィリピという町でした。他のあらゆることを聖霊に禁じられて、遂に導かれたのがフィリピであったのです。しかもそこで、パウロたちは意気揚々とフィリピの町に入って行ったわけではなかったと思います。自分たちの計画はことごとく挫折させられて、しかもその町に滞在することが許されたのは僅か数日であり、そこでパウロたちの言葉に耳を傾けてくれた人もやはり僅かであったようです。その数日間の滞在期間の中で、おそらくただ一度だけ、安息日の礼拝をした場所は、川岸であったといいます。それ以外にパウロたちが伝道できそうな場所はひとつも見つからなかったということだと思います。その川岸に集まっていたのは、婦人たちだけであった。男性はいなかった。女性の皆さんには申し訳ありませんが、それはパウロにとっては、人間的に言えば、心細いことであったに違いないのです。本当にこの町に来てよかったんだろうか。けれどもそこで、神が善いわざを始めてくださいました。

ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けた……(14、15節)

リディアという女性の名前がわざわざ記録されているということは、パウロの言葉に耳を傾けた人は、リディアひとりしかいなかったのかもしれません。リディアとその家族が洗礼を受けた以外には、目立った成果はなかったのかもしれません。けれどもここで使徒言行録は、「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」と書いています。伝道者パウロの力量なんかじゃない。主がリディアの心を開いてくださって、そのようにして、「あなたがたは最初の日から今日まで、福音にあずかっている」。主が、あなたがたの中で善いわざを始めてくださったし、そのお方が、最後まで、その善いわざを完成に至らせてくださる。そのことを確信させていただいたとき、パウロは初めて、「あの時は、聖霊から禁じられたのだ」「そうだ、あれは、イエスの霊がそれをお許しにならなかったのだ」と、感謝をもってそのときのことを振り返ることができただろうと思うのです。

■そののち、フィリピの教会は、見事な成長を見せたようです。あまり皆さんの心には留まっていないかもしれませんが、フィリピの信徒への手紙の第1章1節に、こういう表現がありました。「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ」。この「監督たちと奉仕者たち」という表現が、多くの学者を悩ませました。「監督たち」というのは私どもの教会で言えば牧師や長老にあたるでしょうか。「奉仕者たち」とはそのまま「執事」と翻訳することのできる言葉です。しかし多くの学者は、そのころのフィリピの教会にそれほど整った制度はまだなかったはずだと考えます。何となく教会の中で役割分担が生まれ始めた程度のことだ。それにしてもリディアとその家族から始まったフィリピの教会の群れが、しかも数日のうちに伝道者たちが町から追い出されるような試練を経験したことを考えると、パウロはどんなにうれしかっただろうかと思います。監督とか奉仕者とか、そのような名で呼ばれる人たちを軸にしながら、教会の仲間たちが互いに助け合い、励まし合いながら、あの最初の日から今日まで、神の福音を共にいただきながら、教会が生き生きと生きている。

フィリピの教会に、問題がなかったわけではないようです。それは、この手紙を読んでいけば、順次明らかになっていくだろうと思います。たとえば、監督とか奉仕者とか、教会の中にいろいろ役割分担とか人間関係などが作られていくと、それだけ面倒なことも起こるものです。第4章2節を読みますと、そこにふたりの女性の名が名指しで記されていて、「頼むからふたりとも仲良くしてくれ」と、周りの人もこのふたりの女性を助けてくれと、そんなことまで書かなければなりませんでした。あるいは第3章2節を読みますと、「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」と、尋常でない警告の言葉が出てきます。そういう手紙を、けれどもパウロはまず感謝の言葉から書き始めた。いろいろあるけど、それでも感謝すべきこともほかにたくさんあるんだから、そういう感謝の種を見つけて、「わたしはいつも感謝していますよ」と言ったのではないだろうと思います。「いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝せよ」と書いたことのあるパウロであります。感謝することがあるから、感謝の種を見つけて感謝するというのではなくて、パウロの人生そのものが、根本的に感謝の人生になっている。

■考えてみますと、「感謝」という言葉には、不思議なものがあると思います。昔、私がまだ学生だった頃に、こういう主張をする人に出会いました。その人の友人が、「わたしはキリスト者が嫌いだ」と言ったというのです。なぜか。キリスト者たちは、自分たちだけで分かる言葉をお互いに使って、自己満足に酔っている。それはそうかもしれません。そこで、その人の友人というのがやり玉にあげたのは、「感謝」という、この言葉であったというのです。キリスト者は、何かというと感謝、感謝と言うけれども、まったく意味が分からない。はたから見て、気持ち悪い。そういう友人の言葉に触れて、その人が何を言い出したかというと、われわれ教会は、自分たちの使っている言葉が、世間の人びとにこういう印象を与えていることに気付いているか。分かる言葉を使わなければ、伝道もできないではないか。それでその人の言うことは、「だから私はそれ以来、なるべく感謝という言葉は使わないように気をつけている」。

通じる言葉を使わなければ、伝道はできないというのは、その通りだろうと思います。しかし私はそれだけに、教会に生きる私どもが、いつの間にか「感謝」という言葉を自然に使うようになっているということは、実はたいへんな出来事であるということに気づかされました。もちろん私は、感謝という言葉を捨てるのはまったく間違っていると思っています。感謝というのは、感謝すべき相手がいるから初めて成り立つのであって、感謝の相手を明確に見出していなければ、感謝、感謝と何かと口にする人間に違和感を覚えるのはむしろ当然のことであります。

けれども、ひとたび感謝すべき相手を見出したならば、どうでしょうか。それをここでパウロは「わたしの神に感謝し」という印象深い表現で言い表しています。「わたしの神」であります。「わたしの神」と呼ぶほかない、そういう感謝の相手をひとたび見出したならば、私どもの人生は、何があろうと、根本的に感謝の人生になるのであります。思い通りにいかないことは、もちろんいくらでもある。自分のやろうとしたことが、聖霊に妨げられ、イエスの霊がそれを許さず、というようなことがあったとしても、私どもの人生が根本的に感謝の人生になる。神は、〈わたしの神〉だから。もしそうでなかったら、つまり、〈わたしの神〉と呼べる相手を見失ったら、そうやすやすと「感謝」なんてことは言えなくなるのは、当然であります。何かがうまいこといったら、それは自分の才能と努力の賜物であり、あるいは周りの人のおかげでもあるかもしれませんけれども、結局運がよかった、ということにしかならないでしょう。逆に何をやってもうまくいかない、ということになったら、自分の力のなさを嘆いたり、周りの人のせいにしたり、結局運が悪かったのだとあきらめたり。

けれどもパウロは、聖霊に妨げられ、イエスの霊がそれを許さず、という厳しい経験を重ねながらも、なお〈わたしの神〉が共にいてくださるし、ことにフィリピの町を訪ねたときには、その〈わたしの神〉が善いわざを始めてくださり、必ずそのわざを完成に導いてくださるという確信に立つことができたのであります。そこに生まれる感謝の生活というのは、感謝の種を見つけていって、そのたびに感謝するという生活ではありません。なるべくプラス思考でいこうとか、そんなつまらない処世訓とは何の関係もありません。〈わたしの神〉がいてくださるから。そうしたら、当然そこに感謝が生まれ、またそこに祈りが生まれます。

■ここでパウロは、「あなたがた一同のために……祈っています」と言います。私のような者が、この2年間ひしひしと感じていることは、「あなたがたのために祈っています」「わたしは、あなたのために祈っています」ということが、どんなにたいへんな重みを持っているかということであります。つい何日か前にも、もうずいぶん長くこの礼拝堂に来ることができずにいる教会の仲間と電話で話す機会がありまして、「川﨑牧師のために祈らない日はありませんよ」と言われました。けれども、それはそれこそ世間の常識から言えば、こんなにつまらないことはないかもしれません。本気で人のために祈ったことのない人にとっては、誰かのために祈るなんてことは、いちばん易しいことだと思われるかもしれないのです。なぜかと言うと、口先だけのことですむからです。そうではなくて、実際に体を動かして、誰かのために愛のわざをしてあげることの方が、ずっとたいへんで、しかも意味のあることのように思うのです。

けれどもそうは言いながら、実は私どもの愛のわざなんてものは、いつも罪にまみれている。絶えず嘘にまみれている。どんなことにも偽善が忍び込んでくる。そのことに、実は私ども自身がいちばんよく気付いているものです。けれどもそんな私どもが祈るときには、その祈りがただひとりの神の前になされるものである限り、嘘はあり得ません。神に対しては、嘘は通用しないからです。自分の本心と外面とが違うということは、人は知らなくても、自分にはよく分かっています。何より神はすべてをご存じです。その神の前に、祈りにおいて立つときに、私どもは、人を愛し得ない自分の心が、どんなに扱いにくい、どうしようもないものであるかを知ります。そのような自分の心と、正直に戦わなければならなくなります。

主イエスが山上の説教の中で、ただ「あなたの敵を愛しなさい」とは言われず、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われたことの重大さに、改めて気づかされます。誰かを愛するというときに、その人のために祈ることができなければ、神の前に嘘偽りのない祈りをすることができなければ、どんなに愛しているそぶりを見せたって、結局は自分をも相手をも傷つけるだけで終わるのではないですか。けれども、それでももう一度神の前に立ってみて、「神さま、わたしは、あの人のために祈ります」と、その祈りのうちに、自分の罪の心と戦って、これに勝つことができたならば、そこで初めて私どもも、僅かでも真実の愛に生き始めることができるでしょう。

■そのような祈りの生活は、必ず喜びを生みます。感謝、祈り、そして喜びと、順を追って話してまいりましたが、この喜びということについては、多くのことを語る必要もないだろうと思います。6節にありますように、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると」確信しているから。自分で完成させる必要はないし、そんなことははなから問題にもならない。神が成し遂げてくださるから。だから、私どもは、その神を信じて祈るほかないし、祈ったときには既に確かな喜びの中に立つことができるのです。

このような、神の確かなみわざの中で生まれ、成長していったフィリピの教会の存在は、今ここで教会の生活をしている私どものために、無限の励ましを与えるものがあると思います。人間としてはほとんどすべての自由を奪われたパウロが、それにもかかわらず、揺るがない感謝と、祈りと、喜びの中に立つことができました。神が成し遂げてくださるから。それは、今私どもにも等しく与えられている祝福であります。お祈りをいたします。

 

主イエス・キリストの父なる御神、感謝いたします。今ここに立つ鎌倉雪ノ下教会も、あなたが始めてくださった善いみわざによって作られ、その歩みを導かれてまいりました。今、もう一度あなたに対する信仰を新しくさせてください。喜びと祈りと感謝とをもって、あなたに従い、仕え抜くことができますように。あなたの確かな恵みを信じるがゆえに、隣人のためにも、真実のとりなしの祈りに生きることができますように。感謝して、主のみ名によって祈り願います。アーメン