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共に歌おう、愛の言葉を

2013年11月3日

コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章
川﨑 公平

主日礼拝

鎌倉雪ノ下教会伝道開始九六年を記念する礼拝のために、特別な思いを込めて、コリントの信徒への手紙一第一三章を読みました。ここに、教会の根源的ないのちが鮮やかに語られていると信じるからです。九六年間、この教会の群れを、よく神が生かしてくださったと思います。その九六年の歴史を導いた原動力が、ここに明らかになっていると信じます。

このコリントの信徒への手紙一第一三章は、〈愛の賛歌〉と呼ばれ、多くの人にそれこそ愛唱されてきました。けれどもこれは、この第一三章だけで独立して読むべきものではなく、少なくとも第一二章から第一四章にかけての文脈において読まなければなりません。そこでパウロはひたすらに、キリストの教会を生かす〈霊の賜物〉、神からの贈り物について語ります。その〈霊の賜物〉の最大のものは、愛である。この教会を生かしているのは、愛である。そう言い切った。心を打たれることではないでしょうか。

「愛がなければ、無に等しい」「愛がなければ、わたしに何の益もない」と言葉を重ねます。その愛とはしかし、第一二章からの話の続き方からすると、教会を作るための賜物でしかないのです。「愛がなければ、教会は無に等しい」。第一三章八節では「愛は決して滅びない」とも言います。九六年の鎌倉雪ノ下教会の歴史を導き、生かしてきたのは、この決して滅びない愛!

この愛とは、しかし、何でしょうか。私どもにとってひとつ忘れがたいことは、この章が「愛がない言葉」「愛がない行い」から始まっていることだと思います。「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル」。銅鑼にしてもシンバルにしても、そもそも最初からやかましい存在であるわけではありません。時と場所をわきまえて正しく打ち鳴らされるならば、その音はむしろ聴く者の心を深く打つでしょう。けれども、無意味・無秩序に、耳元でガシャンガシャンやられたら、これはたまったものではない。私どもの愛のわざ、愛の言葉と呼ばれるものにも、そういう面がある、ということだと思います。どんな立派なわざも言葉も、そこに愛がないことがある。そうすると、こんなに耐えがたいものはない。

「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」。驚くべき言葉です。これを愛と呼ばずに、何をもって愛とするのかと思うところで、しかしパウロは、「いや、そこに愛がないことがあるのだ」と言います。そうすると、むしろそれは、耳を覆いたくなるようなものでしかなくなる。

ある人が説教の中で、自分の出会ったある教会青年のことを報告していました。小さい時から、親との関係において幸せな育ち方をしなかったと言います。けれども、この人は教会に来て生まれ変わりました。水を得た魚のようになりました。心を込めて、誰かのために献身する喜びを知りました。歳をとった教会員が困っている。そうすると、朝から出かけて行って、一日中草取りをする。家じゅうの掃除をする。引越しの手伝いまでする。……けれどもそこで、この説教者は言います。結局彼が求めていたのは、彼の激しい献身に答えてくれる、激しい愛だったのだ。

そして言うのです。彼は、最初はいつも最高。最後はいつも最低。そして、最後はいつもすぐにやってきた。彼は、自分の全生活をあげて、特定の人に献身していく。しかし、自分の激しい愛の欠乏症をこの人は癒してくれないと分かると、ある日突然、プイといなくなる。そして、今度はまた別の家に出かけて行って、激しい奉仕の生活を始める。……「彼は、今も繰り返しています」と、この説教者は言います。私は言いようのない悲しみを覚えました。人間はここまで罪深くなれるのかと、ほとんど絶望的な恐れを抱きました。しかもこれは、誰もが他人事としては聞き得ない話だと思うのです。私どもは、愛がなくても、献身と奉仕の生活に励むことができるのです。たとえばここでパウロがはっきりと言っているように、「誇ろうとして」大きな愛のわざをすることができるのです。

「誇ろうとして」。私どもの心を見透かすような言葉です。しかしこれはむしろ、パウロ自身の心の内をそっと打ち明けたような言葉として読むべきだと思います。なぜかと言うと、この第一三章の最初の部分の特質は、主語がすべて「わたし」であることなのです。新共同訳は、その「わたし」を大部分省略してしまったのが残念です。三節をその点から訳し直すと、「貧しい人々のために、わたしの全財産をわたしが使い尽くそうとも、わたしの体を、わたしが誇ろうとしてわたしが死に引き渡そうとも、わたしが愛を持っていなければ、わたしに何の益もない」。もしわたしが誇ることさえできれば、殉教くらいいつだってしてみせると言っているのかもしれません。けれども、この誇りがなかったら、殉教どころか、ほんの小さな奉仕にも耐えることができないのです。そこに愛はない。自分を誇ることと、愛することとは決して相容れないのです。だから四節では、「愛は自慢せず、高ぶらず」と言うのです。

そして、ここで何度でも、最初にお話ししたことに帰らなければならないのであって、ここでパウロは、教会の話しかしていない。ここで何よりも深刻なことは、愛がなければ、教会を作ることができないのです。愛がなければ、私どもは、人と共に生きることができないのです。

「愛がなければ、無に等しい」。愛がなければ、鎌倉雪ノ下教会は存在しない。ここに立派な建物が建ち、何百人という数の人が集まっても、愛がなければ、神の目には存在しないのと同じ。このことを、私どもは正直に受け止めなければならないと思うのです。しかし、どう受け止めるのでしょうか。

いったい、〈愛〉とは何でしょうか。私は、改めてこの第一三章を読み直して、ひとつ新しい思いで気づかされたことは、これが、〈愛の賛歌〉と呼ばれてきたということです。愛を教えているのではない。愛を勧めているのでもない。愛を、賛美しているのです。たとえば、「愛は忍耐強い」と言います。「忍耐強くなりなさい」などと命令しているのではない。事実を述べる言葉です。「愛は忍耐強いのだ。愛は情け深いのだ」。そういう愛が、ここにあるのだと、愛の事実を賛美している。だから、愛の賛歌なのです。

そうすると、どういうことになるのでしょうか。いったいパウロはここで、何を賛美しているのでしょうか。ここでパウロが賛美している愛とは、いったい、誰のことなのでしょうか。こう考えてまいります時に、非常に古くから試みられてきたひとつの読み方は、この四節以下の「愛は」という言葉を、すべて「キリストは」と読み替えてみるということです。

「キリストは忍耐強い。キリストは情け深い。ねたまない。キリストは自慢せず、高ぶらない」。

なるほど、確かに正しい読み方だと思います。そうすると、愛の賛歌というのは、実はキリスト賛歌ということになる。そうかもしれません。この「愛」という言葉のところに、私の名前なんかを入れるわけにはいかない。「川﨑公平は忍耐強い。川﨑公平は情け深い。ねたまない。川﨑公平は自慢せず、高ぶらない」。こんなことを言ったら、私の妻なんかは噴き出してしまうかもしれない。「鎌倉雪ノ下教会は忍耐強い。鎌倉雪ノ下教会は情け深い。ねたまず、自慢せず、高ぶらない」。この妥当性については、意見が分かれるかもしれない。けれども、イエスさまの名前をここに置くならば、すっきりする。確かにそうかもしれません。けれども、そこでなお問わなければならないと思います。それならば、なぜパウロはここで、「愛は、忍耐強い」という言い方をしたのでしょうか。いったい、何を賛美しようとしているのでしょうか。

こういうことを考えていただいてもよいかもしれません。先週、私ども夫婦に初めての子が与えられました。長男です。生まれたその日に抱っこさせてもらいました。思ったより早く、目が開いていました。その時に、私はちょっと不思議なことを思った。目が開いて、こっちをじろじろ見ているように見えるけれども、いや、実はまだ何も見えていないんだよな……。

九節以下に、パウロはこう言っています。「わたしたちの知識は一部分」。私どもは、まだ完全な者ではないのです。「完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた」。一方では、幼子のようになりなさいと主イエスもおっしゃいましたけれども、ここでは、「幼子」という言葉は消極的な意味で用いられています。何と言っても、愛において、未熟なのです。幼子は、確かに親を愛し、信頼し切っているかもしれませんが、その幼子の愛は、四節以下の言葉と照らし合わせても、非常に欠けの多いものです。小さな子どもは、忍耐強くなんかありません。情け深くなんかありません。礼儀もわきまえず、自分の利益を求めます。「おなかすいたなあ。おっぱい飲みたいなあ。けれども、お母さんは疲れているようだから、ここはひとつ、しばらく我慢だ」などと考える赤ん坊がいたら、ちょっと気持ち悪い。大人になった今はしかし、そういう未熟な心を捨てたと言います。いつか、捨てなければならない時が来るのです。

そのような比喩を用いながら、さらに一二節でパウロは申します。「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている」。見るべきものを完全には見ていない。それは、今はまだ許されていない。生まれたばかりの幼子が、父親の顔を認識していないのと同じです。けれども、「だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる」。「そのときには」とは、主が再び来てくださる時のこと、いわゆる再臨の時のことでしょう。その時には、「顔と顔とを合わせて見ることになる」。その時に、私どもがようやく完全に知ることがある。「わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」。今、既に、はっきり知られているのです。まだ目も開いていない幼子が、母親の顔も父親の顔も知らなくても、親は子を知っています。子を愛しています。そんな親の愛なんか実は最初から問題にならないほど確かなことは、私どもは、今既に、神に知られ、愛されているということです。私どもの目は、まだ見るべきものをおぼろにしか見ていないかもしれない。けれども、神の目は、完全に私どもを見ておられます。完全な愛で、私どもを包み込んでくださっています。いつか主がもう一度来てくださる時、私どもはそのとき、顔と顔とを合わせるようにして知ります。わたしは神に知られているのだ。神よ、今はわたしも、そのことをはっきりと知ります。

そのとき、私どもは、神にお詫びをしないといけないかもしれません。神よ、申し訳ありません。こんなにあなたに愛されていたのに、わたしはそれを知りませんでした。けれども神さま、あなたは分かってくださると思います。まだ幼かったのです。どうか赦してください。今は分かります。あなたが、どんなにわたしを愛してくださっていたか。神のみ顔の前で、そう言える日が、必ず来る、いつか必ず来るのだと、パウロはここで、憧れのような心でそのことを語るのです。

〈愛の賛歌〉とは、このような、まだ私どもがはっきり見ることができていない神の愛を、しかしなお憧れるようにして、赦される限りの言葉を尽くして、歌い上げたものでしかないのです。あの青年がもがくように求めていたものも、このような愛だったのだと、私は思います。

そのことはしかし、今この地上で、私どもが愛に生きることを不必要とするわけではありません。このような望みを知っているからこそ、私どもはなお「愛を追い求める」(第一四章一節)のです。主が来てくださるその日まで、完全を目指して、キリストの愛に倣う歩みを求め続けるのです。それはしかし、神にはっきりと知られていることを知り続けるための歩みでしかありません。

そのために、私どもはここに集まり続ける。愛の賛歌を歌い続けるのです。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない……」。どんなに確かな神の愛に、今既に捕えられていることか。けれども、神よ、まだおぼろげにしかあなたの愛を見ることができません。もっと、もっとはっきりと、あなたの愛の輪郭を捕えることができるように。わたしも、この愛に生きることができるように。私どももパウロと共に、深い憧れの思いを込めて、〈愛の賛歌〉を歌い続けるのです。