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神の望みは、この方によって実現される

2024年8月11日

マルコによる福音書 第14章43-52節
川崎 公平

主日礼拝

 

■礼拝という場所で、いきなりこういう話をするのは不適切だということは重々承知の上で……一昨日の金曜日、晴れて50歳の誕生日を迎えました。今このように、神さまが私の命を生かしてくださり、用いてくださることを改めて感謝しています。神さま、本当にありがとうございます。そして鎌倉雪ノ下教会の皆さまにも、心からの感謝を申し上げたいと思います。

そのようなときに、このような聖書の言葉を与えられました。50節に、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」と書いてあります。51節以下はさらに輪をかけて生々しい話です。「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスに付いて来ていた」。何という格好かと思いますが、われわれ日本人の感覚で言えば、下着もつけずに浴衣一枚で、という雰囲気を考えていただければ、それほど間違いはないだろうと思います。ところがそんな格好でうろうろしていたひとりの若者が、他の弟子たちと一緒に捕まりそうになって、「亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」というのです。個人的な感想で重ねて恐縮ですが、このような言葉を50歳という年の刻みに与えられたことの重みを思わされます。大げさでも何でもなく、まるで神さまが、このような聖書の言葉をもって、私の50歳の誕生日を祝福してくださったのかな、と思うほどです。

「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」。こういう聖書の言葉こそ、他人事として読んだらすべてがわからなくなると思います。「いいえ、うちの教会の牧師先生さまは、こんなみっともないことはなさいませんよ」というのは、聖書の正しい読み方ではありません。「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」。「ああ、ここに、自分の話が書いてある」。「一人の若者が、捕らえられそうになって、慌てて素っ裸で逃げてしまった」。「あ、これ、うちの教会の牧師の話だ」。福音書を書いたマルコ自身、深い思いを込めてこれらの物語を書き記したと思います。これらの物語をまさしく〈福音〉として、〈喜びの知らせ〉として書き記したに違いないのです。

しかし考えてみますと、こういう記事が堂々と聖書に載っているということ自体が、不思議なことだと思います。人間的に考えれば、こんなに恥ずかしいことはほかにないかもしれません。たとえば、もし私が本当にこういう体験をしていたとしたら、どうでしょうか。もし私がかつて若者だったときに、イエスさまを見捨てて真っ暗な夜の道を――しかし過越の祭りのときですから、満月は出ていたかもしれません――素っ裸ではあはあ言いながら逃げ続けたとしたら、そしてそういう人間が、のちに教会の指導者になったりしたら、もう少しうまい具合に物語に色を着けて、少しでも自分の責任が軽くなるような操作をしたくなるかもしれません。本当に自分のこととして考えればすぐにわかることだと思いますが、そういう誘惑は誰にだってあるだろうと思います。

「しかし、これは聖書の言葉が実現するためである」。49節で主イエスはそう言われました。これは、今日読みました福音書の記事を理解するための決定的な発言だと思います。すべては、神のみ心が実現するためなのだ。もしもこの主イエスの宣言がなかったら、弟子たちはこの出来事を公にする勇気を持てなかったと思います。こんな恥ずかしい事件を、文字に残すことを許さなかっただろうと思います。しかし、すべては「聖書の言葉が実現するため」だから。だから弟子たちは、そして51節以下に出てくる素っ裸で逃げた若者も、自分たちが主イエスを見捨てて逃げたことを、福音として伝えたのです。

私どもがここで読んでいるのは、「福音書」であります。福音書を書いたマルコは、自分が今ここに書くのは、福音である。この一言一句すべては、喜びの知らせである。すべては、聖書の言葉、神のみ旨が実現したのだ。そう信じて、これらの出来事を書きました。

■この聖書の記事について、ある人がこういうことを書いています。「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」。それは、第14章27節で主イエスが預言されたとおり、羊飼いが打たれたら、羊の群れは散らされるという神のみ旨の実現であった。ここで羊の群れは散った。教会は、一度死んだのだと、そう言うのです。29節では「たとえ、皆がつまずいても、私はつまずきません」と言ったり、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは決して申しません」と豪語した弟子たちですが、そのような教会は、一度死ななければならなりませんでした。そこでこの人は言うのです。主イエス・キリストの死は、すなわち教会の死を意味した。けれども、今現実として、教会は生きている。主イエスが復活されたからだ。教会とは、主イエスの死と共に一度死に、主イエスの復活と共に甦った集団である。これは、非常に興味深い考察だと思いました。

これを言い換えれば、教会は決して自分の力で存在しているのではない、ということです。49節の「しかし、これは聖書の言葉が実現するためである」という言葉が決定的だと申しましたが、教会が死ぬのも、そして教会が生きるのも、すべては神のみ心の実現でしかないのであって、われわれが教会を造りたいと思って教会をやっているわけではないのです。そして、そうであれば、50歳になった私が今ここに生かされているのも、神のみ旨の実現でしかないと信じることができるし、したがって繰り返しになりますが、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」とマルコが書いたとき、それはただひたすらに、一度死んだこの弟子たちを生かしてくださるキリストのみわざを賛美するためでしかなかったのです。

■特にここで際立っているのは、51節以下であります。わざわざ前の段落から分けて、しかも独立した小見出しまで付けています。しかしこの文章を素直に読めば、ひと続きの話だとすぐにわかりますし、福音書を書いたマルコ本人は、別の新しい話を書いたつもりはなかったと思います。「弟子たちは逃げた。ひとりの若者も裸で逃げた」。明らかにひとつの話です。それなのに、なぜわざわざ段落を分けたかというと、皆さんのお持ちの聖書には、ゴシック体で印刷されている小見出しの下に、同じような記事がほかの福音書のどこに出てくるか、ということを教えてくれます。そこを見ていただくと、51節以下は他の福音書に並行記事がないことがわかります。そうすると、この部分はその前の部分とは別の、独立した伝承・言い伝えが入り込んだのだと考えることができます。

そこで、少しややこしい話になって恐縮ですが、現代の聖書学の常識で、最初に書かれた福音書はマルコ、それを土台にしながらマタイとルカがそれぞれ自分の福音書を書いたと言われます。ところがごくまれに、マルコを土台にしたはずなのに、マタイにもルカにも出てこない部分があるのです。その珍しい例のひとつがこの51節と52節です。マタイもルカもこの記事を知っていながら、ふたりそろってこれを無視したとは考えにくい。それなら、どうして。それで、これも現代の聖書学の常識になっていることですが、私どもが読んでいるマルコによる福音書は言ってみれば改訂新版であって、その前に初版のマルコ福音書があったに違いない。マタイとルカはその初版のほうのマルコ福音書を使ったのだけれども、それとは別ルートでマルコ福音書の改訂が行われた。51節以下もそのときに書き加えられた、と考えられるのです。なぜ書き加えたのでしょうか。

そこでまた多くの人がこういうことを想像します。この裸で逃げた若者というのは、当時の教会で、この話を聞けば「ああ、あの人ね」と誰もが知っていた人のことではないか。特に多くの人がそれなりの説得力をもって推測するのは、これは福音書を書いたマルコ本人のことではないか。マルコによる福音書が書かれたのは、主イエスが十字架につけられてから30年後とか40年後とか言われますが、当時15歳だったとしたら45歳とか55歳とか、もしかしたら私と同い年だったかもしれません、そういう年齢のマルコが、ここに自分自身の物語を差しはさんだのだと考えるのです。

使徒言行録を読むと、マルコという名前の人物が出てきます。エルサレムにある自分の家を開放し、そのマルコの家で教会の集会が行われていたと言われるのです。そうであれば、ここでも同じマルコが、主イエスと弟子たちのために過越の食事の場所を提供したのかもしれません。ところが、夜中になって、何だか様子がおかしい。イエスさまと弟子たちが、暗い山道を登って、ゲツセマネに向かう。マルコは、もう寝るつもりだったので、先ほども申しましたように下着もつけずに浴衣一枚であとをつけてみると、そこにたいへんな数の武装集団が現れて、イエスさまが捕まったり、弟子のひとりが剣を振り回したりの大騒ぎ。はらはらしていたら、「おい、こんなところにもうひとり隠れているぞ!」 うっかり見つかってしまって、浴衣を掴まれたけれども、それを振り払って丸裸で山道を全力疾走。そのマルコが、のちに洗礼を受け、もしかすると教会の指導的な立場に立たされて、この福音書を書いたときに、そっと自分の小さな物語を書き込んだ。

それを読んだ教会の人たちは、どんな思いでこの物語を読んだことだろうかと思うのです。きっと皆大笑いしたと思います。「ええ? マルコ先生、本当に丸裸で逃げたんですか? いったい、どんな顔して走ったんだろうね……」。たとえばそれは、50歳の牧師である私が、30年前、40年前の自分の話をするようなものです。「ええ? 川﨑先生、本当に素っ裸で走って逃げたんですか? あの山道を? イエスさまを見捨てて? いやあ、それは、いくら何でも(笑)」。けれどもそれは決して、さげすみの笑いにはならなかったと思うのです。神の恵みの笑い話であります。こんなだらしない若者を、なお主の弟子として生かしてくださったのは、ただイエス・キリストの恵みによるほかなかったのです。一度死んだ者が甦らされたのです。一度死んだ教会が、主の命によって、今ここにも生かされているのです。

■しかし、今笑い話という言葉を使いましたが、当時の教会の状況は、もしかするともう少し深刻であったかもしれません。そしてもちろん、ここで皆逃げたと言われる弟子たちは、笑う余裕なんかひとつもなかっただろうと思います。なぜ弟子たちは逃げたか。怖かったからです。刃物を持った暴力団に囲まれたら、どんな人だって怖くないわけがありません。そしてそれは、ここで全員逃げたという弟子たちだけの話ではありません。その30年後か40年後か、最初にマルコ福音書を読んだ教会も同じように、教会を殺そうとする力に取り囲まれていたことを忘れるわけにはいかないのです。

先週、特に図書委員会が中心になって、教会堂の玄関の脇に加藤常昭先生の追悼特集コーナーのような場所が用意されました。かつて27年半、この教会の牧師であった先生です。4月に行われた葬儀の礼拝においてもお話ししたことですが、加藤先生が逝去される少し前に、鎌倉雪ノ下教会の方たちが病床を訪ねてくださったときに、加藤先生が正直におっしゃったことがある。「自分の人生の中でいちばん悔やんでいること、今でも主イエスに申し訳なかったと思っていることは、80年前の戦争のとき、2年間も礼拝出席を怠ったことだ」。それこそ加藤先生が10歳台の若者の時の話であります。加藤先生だって怖かったのです。ある意味で、2年間も「イエスを見捨てて逃げてしまった」。しかし人間的に言えば、誰もそのことを敢えて責めようとは思わないでしょう。日本中どこの教会でも、礼拝出席者は激減したのです。日本中を、恐怖が支配したからです。ことにこの8月という季節に、私どもは日本人として、そのことを忘れるわけにはいかないと思うのです。しかし、なぜそういうことになってしまうのでしょうか。

今朝の礼拝に与えられた第14章の43節から52節まで、ここでも恐怖が人びとを支配しています。主イエスを見捨てて逃げた弟子たちも、裸で逃げた若者も、皆恐れの奴隷になっております。けれども、恐怖の奴隷になっているのは弟子たちだけではありません。主イエスを捕らえに来た人びとだって、怖かったのです。怖かったから、夜の闇に紛れて、こそこそ捕まえに来たのです。怖かったから、たくさんの人間と武器を集めたのです。もし怖くなかったら、武器を持つ必要なんかないでしょう。しかし考えてみますと、いったい彼らは何をそんなに怖がったのでしょうか。第14章の最初に、こういうことが書いてあります。

さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、どのようにイエスをだまして捕らえ、殺そうかと謀っていた。彼らは、「祭りの間はやめておこう。民衆が騒ぎ出すといけない」と話していた。

彼らは、民衆を恐れたのです。人の目を恐れたのです。もともと、なぜ彼らが主イエスの死を願ったかというと、実は非常にくだらない動機であって、民衆の人気と尊敬が、自分たちではなく、主イエスの方に向けられるようになったからです。要するに、妬んだのです。しかし、妬みという感情は、他人から見れば非常にくだらないのですけれども、本人からしたら、どんな手を使ってでも、隙あらば引きずりおろしたいのです。主イエスはそういう人びとの心の弱さをよくご存じだったのでしょう。48節以下でこう言われました。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。私は毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたがたは私を捕らえなかった」。毎日神殿に一緒にいたときに、「ちょっと来てくれ」と言えば済んだ話じゃないか。なぜ夜の闇に隠れるのか。なぜ群れをなして、剣を持つ必要があるのか。いったい、あなたがたは、何を恐れているのか。ところがそれに対して47節では、「そばに立っていた者の一人が、剣を抜いて大祭司の僕に打ちかかり、片方の耳を切り落とした」と言われるのですが、それだって、その人がどんなに深刻な恐怖の奴隷になっていたかを表すものでしかありません。

こういう話は、私どもにも本当によくわかるのです。いちばん怖がりな人間ほど、意味もなく他人を怖がらせるものです。ちょっと気に食わないことがあったり、少しでも自分を批判されたりすると、ひどく感情的になって、大きな声を出す人がいます。そういう人を客観的に見ると、「ああ、いちばん弱い人なんだな」「いちばん臆病な人なんだな」と気づくのですが、実は誰もが多かれ少なかれそういう心の傾きを持っているし、そういう人間の本性が見事に暴かれたのが、この主イエス逮捕の場面であったと言うことができるだろうと思うのです。

先ほど、加藤常昭少年が80年前に2年間も礼拝を休んだことを、人間的には誰も責めようとは思わないでしょう、と申しましたが、それは別に、生ぬるい信仰の姿勢を擁護しようというのではありません。むしろそういう少年の幼い信仰を挫くような恐れを、国が押し付けるようなことがあっては絶対にならないし、けれどもかつて私どもの国は、そのような意味での恐怖の剣を堂々と持つようになってしまったのですが、その剣は、私どもの国がどんなに怖がりであったかというしるしでしかなかったのです。もう一度申します。いちばん怖がりな人間が、いちばん人を怖がらせようとするし、いちばん怖がりな国が、いちばん他国の人を怖がらせようとするものです。けれどもそこで私どもが思いをひとつにして学び取らなければならないことは、そのような怖がりな人びとの中心にただひとり、主イエス・キリストというお方が立っておられる。そのことの意味を、よく考えなければならないと思うのです。

■主イエスはここで、最初に申しましたように、49節で「しかし、これは聖書の言葉が実現するためである」と言われました。「聖書の言葉が」というのはすなわち、「父なる神のみ旨が」と言い換えてもまったく差し支えありません。「しかし、すべては、神のみ旨が実現するためである」。主はこの直前のところで、ゲツセマネという場所で徹夜の祈りをされました。「父よ、どうかできることなら、この苦しみの杯を取りのけてください。十字架だけは、絶対にいやです」と言いながら、「しかし、わたしの願いではなく、ただみ心のままに」と祈られました。必ずご自分を裏切ることになる弟子たちの恐怖を思いながら、あるいはこっそりあとをつけてきたあの若者が、恐怖のあまりどんなにみっともない姿をさらすことになるか、そのことをも思いながら、何より剣を持って自分を取り囲んでいる腰抜けの支配者たちの心を見つめながら、「わたしは、この人たちを救うために死ぬのだ」と、既に思いを定めておられたと思います。

主イエスはもちろん、人びとの剣を怖がられるようなことはありませんでした。だからこそ、主イエスご自身、剣を手にされることもありませんでした。むしろ、人びとの剣で殺される道をお選びになりました。それはなぜかと言えば、ただ神のみ旨だけを信じ、神のみ心だけを恐れておられたからです。そのお姿は、あたかもイザヤ書第53章が預言した通りであるかのようでした。

彼は虐げられ、苦しめられたが
口を開かなかった。
屠り場に引かれて行く小羊のように
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように
口を開かなかった。
不法な裁きにより、彼は取り去られた。
彼の時代の誰が思ったであろうか。
私の民の背きのために彼が打たれ
生ける者の地から絶たれたのだと。(7、8節)

主イエス・キリストは、「屠り場に引かれて行く小羊のように……口を開かなかった」。そうであれば、剣を振り回すようなことも絶対になさらなかったのです。死の恐れの奴隷になっていた私どもを救うために、「主は彼を打ち砕くことを望まれ、病にかからせた」(10節)と言うのであります。

細かい話ですが、今朝繰り返し引用している50節に、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」とあるのですが、実は原文には「弟子たち」という言葉はありません。原文を直訳すると、「すべての者は、このお方を捨てて逃げた」と書いてあるのです。もちろん文脈から言えば、「弟子たちは皆」と訳しても間違いではないのですが、もしかしたらマルコは、この文章に深い思いを込めたかもしれません。すべての人に捨てられ、すべての人に「虐げられ、苦しめられた」神の小羊を打たれたのは、実は神ご自身であった。そして主イエスは、決して人の顔を恐れるようなことはありませんでしたが、それだけに、最後まで神の裁きだけを怖がっておられました。十字架の上で最後に、「わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたのは、その表れであります。そのお方が三日目にお甦りになったとき、私どもの恐れがどんなに深いところで贖われているか、そのことを知ります。このお方の復活によって、私どもの絶望が慰められていることを知ります。だからこそ最初に申しました通り、主イエスのお甦りと共に、教会が復活させていただくのです。今ここに、主の命の証しそのものとして、教会が生かされ、私どもひとりひとりが生かされていることを、私どもの幸いとして受け入れ直したいと願います。お祈りをいたします。

 

いろんなものを怖がっている私どもであります。神を恐れることを知らず、人の顔色ばかり恐れている私どもが、時にどんなに深刻な罪を犯してしまうことか、福音書の記事を学びながら、そのことに戦慄さえ覚えます。そのような私どもを、あなたの弟子として選び、み子キリストの命の内に生かしていてくださいます。私ども教会は、主と共に死に、主と共に甦らされた集まりです。どうかこの教会が、この国にあって、この世界にあって、恐れから解き放たれた人間の自由のすばらしさを証ししていくことができますように。主のみ名によって祈り願います。アーメン