揺るがない生き方
ガラテヤの信徒への手紙 2章1-14節
大澤 みずき
主日礼拝
年度末になり、教会もまた、1年の振り返りをする時となっています。4月に持たれる総会のための資料として、教会の活動を1年振り返って、文章にしてくださっている方がこの中にも何人もいらっしゃいます。この1年どういう歩みを教会がしてきたのかを思う時です。
それと同時に、主のご受難と復活を覚える季節でもあり、2013年度1年と言わず、教会の歩みが主の前にどのようなものであったか、そして、その教会の枝である私たち一人一人が主の前にどのような歩みをしてきたかを振り返る時をも過ごしています。
こういう時、これまでにあった忘れられない出来事が次々と思い浮かぶかもしれません。しかし、結局のところ、やはり、色々なことがあったけれども、満足のいくものであったか、そうでなかったかということを自らに問うのだと思います。
こういうことを考えますと、ついつい私たちは、反省会をはじめてしまって、自分のあそこが悪い、ここが悪い、あのようなところが足りなかった、不十分だったなど、もっと何かできたのではないかという思いに囚われるのです。まだまだ、出せる力があったのではないかと思ったりします。
そうして、段々、やはり満足できない歩みだったという結論に傾いて、何だか空しい思いになるかもしれません。不満な歩みを振り返ることが毎年のように繰り返されていきますと、自分の人生事体が空しく思える。力のない自分がみじめになってくる。空っぽの人生だと思うようになってしまう。
けれども、誰もそんな人生は望んではいないと思います。できれば、いつも私は満たされていますと言えるようでありたい。いつでも人生に満足していると言えたらどんなに素晴らしいことかと思います。
しかし、なんといっても、私たちがいつでも満たされて生きることを誰よりも求めてくださるのは、私たちに命を与えてくださった神様です。神様は私たちが、無駄な人生だったなんて言って欲しくない。そのためならなんだってする。そういう思いをもって、御子キリストを十字架の死に渡してくださいました。私たちは、そのキリストの命によって、意味のある命を生きています。
パウロという伝道者は、この命の意味をしっかり保って生きた人でした。福音に出会って生きる道は、どんな道よりも確かな道であるとの確信に立っていました。
パウロはそれゆえに、身も心も任せきって、真っ直ぐに福音の真理の道を歩いてきました。いつでも、自分の人生が福音によって満足な人生であると思っていたのです。言い換えれば、福音さえあれば、福音を知っていれば十分な人生だと思っていたのです。
それは、実に牢獄にいるときでさえそうでした。牢獄で書かれたフィリピの信徒への手紙を読みますと、これが牢獄にいる人が語ることなのかと耳を疑うほどに、喜びに溢れていることが分かります。
この喜びが失われなかったのは、パウロが福音のために生きている人生に満足していたからにほかなりません。それはまるで、決して手放すことのできない宝を手にしているかのようなのです。
ですから、パウロは、福音を信じて生きる道から外れることなどとても考えられないことでした。神様に続く一本道を真っ直ぐに歩いた。そんな福音の輝きを知るパウロだったからこそ、この道からふらふらと迷い出そうになる人がよく分かったのだと思います。
(この礼拝では時間の関係で読みませんが、後の礼拝で読む予定の旧約聖書)
旧約聖書出エジプト記32章でイスラエルの人々に起きた出来事も、まさにパウロが指摘する信仰のふらつきを物語っています。
厳しい生活を強いられたエジプトの国から神様に救い出されたばかりのイスラエルの人々は、モーセが少し人々から離れている間に、アロンを先頭として、金の子牛をつくり出したのです。
イスラエルの人々のこのような愚かな罪もまた、何かたりないという、思いから不安に駆られて、道に迷ったために起きたのです。目に見えない神様だけに頼ることで、足りるのかと思ったのです。
モーセという指導者の不在にさらに不安は強くなり、そこで、自分たちの力の用い方を誤った。持ち寄った金で子牛を作り、救い出してくださった神様に見立てて拝むことをしてしまったのです。
神様はこのイスラエルの民の過ちを「道からそれた」とおっしゃいました。まっすぐに歩けなかったのです。神様が恵みによって救い出してくださった事実にしっかりと留まっていないと、ふらふらしてしまうということがおこります。
そしてその信仰のふらつきが起こることは、私たちも例外ではありません。だからこそ、今日読んだパウロの手紙は残され、私たちに届けられております。パウロは、人生を無駄にしかねない行いに敏感だったのです。
そういった、信仰のふらつきが、ガラテヤの教会でも起こり、大きな問題となっていきました。ガラテヤの教会で起きた、救われるためには律法で定められた割礼が必要だという主張をする、福音にプラスアルファを求める人々。すなわち、福音では足りないと主張する人々との議論は、とうとう、エルサレムにおいて話し合われることになりました。
エルサレムは、使徒たちが指導する、主にユダヤ人中心のキリスト者が集まっているところです。そこで、パウロが2節にあるように、おもだった人々と呼んでいる使徒たちに対して、「私が異邦人に述べ伝えてきたことが無駄だったのか」と尋ねたのです。
2節で、無駄と訳されている言葉は、元のギリシア語の意味を調べますと、空っぽだとか空しいとか中身のない状態を表します。ですから、キリストの命がかかった福音が空しいなんてことがあってはならないとの強い思いがパウロを突き動かして、主だった人たちと共にキリスト者皆で確認したかったのでしょう。
もちろんパウロは、自分のしてきたことに自信がなかったから、不安だったから使徒にたずねたというのではないのです。自分が異邦人に伝えてきた福音が無駄であるはずがない、自分が福音のために労してきたことが無駄ではないと思っていたからこそ、いえ、もっと言えば、福音さえあれば人間は満たされるのだと確信していたからこそ、ペトロやヤコブに代表される使徒たちに迫ったのです。
ペトロたちが指導していたエルサレムの教会はユダヤ人を中心とした教会です。彼らにとって、神様の民の大切な印として、体の一部に傷をつける割礼を受けることは、習慣として身についているものでした。ですから、その割礼と福音の関係を突きつけられて、何が問題なのかということがすぐにはわからなかったようです。
習慣というのは、生活に密着しているゆえに、見直すことが難しいものです。当たり前にしていることを、これはなんでだ、どうしてだと、いちいち考えて行うことがあまりないように、ユダヤ人にとっての割礼は、生まれてしばらくすれば当たり前に受けることだったし、何より神の民として大切なものでした。
だからこそ、一度は会議で「異邦人には割礼は必要ない」と決定したことが意味する福音の真理を捉えきることができなかった。そのために、11節以下に記された、アンティオキアでの事件が起こりました。
ペトロは、7節-10節に記されたエルサレムでの会議の結果を受けて、アンティオキアの教会でユダヤ人と異邦人が同席する食卓に共につくようになりました。11節でケファと呼ばれているのはペトロのことです。
本来、律法に定められたこととして、ユダヤ人は異邦人と食事をするということはしません。しかし、会議の後、ペトロは、福音は律法から自由であるということを確かめたので、その実現として、異邦人と食事を共にしていたのです。
ところが、そのように始まった新しい交わりの場に、エルサレムの教会から人々がやってきました。エルサレム教会から来た人々は、異邦人に割礼を強要しないことは理解していましたが、そのことが、割礼以外の律法についても同じであるとは思っていなかったのです。
エルサレムの人々の認識の違いに気が付いたペトロは、エルサレムから来た仲間の評判を恐れて、次第に異邦人との食事の席から身を引いていきました。そして、それを見た、アンティオキアの教会のユダヤ人キリスト者も、指導的な立場であるペトロの姿に従うように身を引き、ついにはパウロと一緒にエルサレムにまで行ったバルナバさえも、同じ行いに従ってしまったのです。
パウロはこの一連の対応を見せかけの行いであると厳しく追及しています。見せかけの行いという表現は惹きつけられる表現です。本来の正しい行いがあるはずだとの思いに裏打ちされた言葉であることがわかります。ペトロの心に訴えかけるような語り口です。パウロは、たとえ、ペトロが伝道者の先輩であっても、それほどに物申さずにはいられない気持ちになったのです。
ペトロに代表されるアンティオキアでの行いが全教会にまかり通れば、それこそ自分も、ペトロもバルナバも、教会に連なる全ての人の人生が無駄になることだったのです。とても、黙ってはいられません。
それだけではありません。何よりも、イエス様のご生涯が無駄になりかねないことでもあったのです。大変なことです。5節と14節で2度パウロが口にした、福音の真理に関わることなのです。
エルサレムの会議で、パウロが確認したことは、異邦人キリスト者のみに割礼はいらないということだけを確認したのではありませんでした。そもそも福音によって救われることは、ユダヤ人にとっても異邦人にとっても、他に何の条件もいらないものなのだということだったのです。
だから、割礼を含む律法全体からも自由であり、それこそが、福音だった。ユダヤ人であろうが、異邦人であろうが、誰にとっても良い知らせだったのです。それは、私たちももちろん含まれます。
ここでよく知らなければならないのは、問題になっているのは、律法そのものの否定ではないということです。パウロは、その証拠に、エルサレム会議で、ユダヤ人が割礼を受けることに反対したりはしませんでした。割礼の有無がキリストの救いには関係ないと思っていたからです。
それどころか、3節でテトスという異邦人キリスト者が割礼を強要されなかったと報告していますけれども、その一方で、テモテという同労者には、割礼を受けさせたということが、使徒言行録に記されています。パウロが、律法に縛られていなかったことがよく分かる出来事です。律法から自由だったのです。
ここで、パウロが最も主張したかったことは、救われるために、律法に定められた行いをしなければならないと律法を救いの条件として考えることが福音の意味を無駄にすると考えていたのです。
つまり、人間が何かよいことをしたからとか、何か努力をしたから、その結果救われるということはないのです。福音は、ただ神様の恵みによって与えられるものだからです。
そもそも、福音に出会うことは、自分で自分を救おうとする苦しい戦いから救い出されることです。人間の力を一番のものとする生き方から自由にされることだからです。パウロは、このことが伝えたかった。
どうしてもこの福音の真理を伝えたかった。この真理なくして、しっかり歩むことなど一歩もできないのだから、語らずにはいられなかったのです。それがたとえ、伝道者の先輩であるペトロであろうとも、いいにくいことであったでしょうが、はっきり面とむかって言ったのです。
せっかく命をかけてキリストが救い出してくださったキリスト者の人生が無駄になってはいけない。むしろ、満ち足りた生き方がここにとどまることで得られる、だから真っ直ぐに歩こうと歩くべき道を示したのです。
繰り返すようですが、福音に生きることは、福音に何かを付け加えていくことではありません。福音をそのまま頂いて受け入れることです。どんなときもそうなのです。全く神様に依存した生き方です。神様は私たちが生きるために必要なものを持っておられ、惜しまずくださいます。
私たちの人生を満ち足りたものにしたいと神様は、実に、御子までもくださったのです。それも、私たちがまだ、生まれる前から、準備してくださっていました。神様はイエス様を十字架にかけてくださり、復活させてくださったのは、神様が神様の力で私たちを救うということをお示しになるためでした。
イエス様の生涯において、人間がしたことと言えば、せいぜい神の子であるイエス様を苦しめることしかできませんでした。罪ない神の子を罪に定める、過ちしか犯せない。しかし、そんな惨めなものであることは、神様はご存知です。百も承知です。所詮、道を踏み外すことしかできないようなものだからこそ、徹底的に神様が先に働いてくださったのです。そして、哀れなままで放っておくことなどできないと、神様は今も休むことなく手をさしのべて下さっています。
自分の歩みを点検する季節、私たちは何を置いても、福音の真理にのっとって歩いているかを確かめながら、神様が私たちにどれほどのことを既にしてくださっているのかを数えて、感謝をしたいと思います。
出来なかったこと、失ったものを数える人生ではなく、神様がくださったものを数えるとき、私たちは数えきれない恵みに出会うでしょう。神様に与えられてある人生にこそ、喜びがあります。そこには無駄なものなどないのです。
福音によって無駄のない人生であることに気が付くとき、私たちが自己反省会で振り返ったような、何も出来なかった人生も、失ったものを数える人生をも、愛してくださる神様の姿を知ることができます。パウロは、伝道者として、生涯、福音の真理にしっかり留まり語り続け、神様に与えられた命を喜び続けました。私たちもこの歩みを共にしていることを、改めて覚えたいと思います。
祈りましょう。
あなたの者とされた私たちが、あなたの者として相応しく生きるための道を歩かせてください。ふらつくことなく、ただ、福音によって足取りをしっかりと支えられて、新しい一歩を踏み出させてください。 主の御名によって祈ります。アーメン