イエスさまに したがう
ルカによる福音書 第5章1-11節
上野 峻一
教会学校・小礼拝合同礼拝 説教
「すべてを捨ててイエスに従った。」今日、読んだ聖書の最後には、そのように書いてありました。ここにいる皆さんは、何を持っていますか。自分のものってどれくらいありますか。お家に帰ると、たくさんのおもちゃをもっています。お洋服をもっています。大人になれば、お金もあります。お家や車もあります。それだけではありません。お家には飼っているペットがいるかもしれません。あるいは、たくさんの兄弟がいる人もいるでしょう。家族がいます。もっともっと考えれば、自分がこうだと思うことやどこの学校を出たことなど、とにかく「私」「僕」「自分」には、たくさんのものがくっついています。その「すべて」です。全部です。とにかく、何もかもです。その「すべてを捨てる」ということが言われます。そうして、イエスさまのお弟子さんのペトロさんは、イエスさまに従った、イエスさまのお弟子さんとなったという出来事が、今日の聖書には書いてありました。ペトロさんという一人の人の人生が、大きく変わってしまうことが書いてあったのです。
ある日のことです。イエスさまが、ゲネサレトという湖のところに立っていると、イエスさまから神さまの言葉を聞こうとして、ものすごいたくさんの人たちが押し寄せてきました。イエスさまは、この時すでに超有名人でした。もしこの時代にテレビとかあったら、絶対に毎日のようにニュースになっていました。今日はどこどこでこんな癒しをされたとか、こんな話をされたとか、その辺りでは、きっとイエスさまのことを知らない人はいなかったでしょう。だから、その日もたくさんの人が、イエスさまのところへと押し寄せてきました。こんなに、たくさんの人に囲まれていたら、皆に神さまの言葉も伝えることはできない。イエスさまは、二そうの舟が、湖の岸にあるのを見つけられました。そこには、お魚を捕る仕事をする漁師さんが、網を洗っていました。網を洗っていたということは、ちょうどお魚取りから帰ってきたばかりだったのでしょう。イエスさまは、そのうちの一そうの持ち主であったペトロさんの舟に乗って、岸から漕ぎ出すようにと頼みました。ペトロさんは、当然イエスさまを知っていました。それはイエスさまが有名人だからというだけではなく、前にペトロさんの奥さんのお母さんが、高熱を出して苦しんでいた時に、イエスさまに熱を下げて元気にして頂いていたからです。もちろんイエスさまの頼みを断ることなんてできません。ペトロさんは、イエスさまに頼まれたように、自分の舟を漕ぎ出して、イエスさまがそこに腰かけて、たくさんの人たちに神さまの言葉を伝えているのをお手伝いしました。
どれくらい時間が経ったことでしょうか。イエスさまが話を終えられると、イエスさまはペトロさんに、「湖のもっと真ん中まで漕ぎ出して、網を降ろして、魚を捕りなさい」と言われました。イエスさまが舟を見つけた時に、漁師さんたちが網を洗っていたように、さっき漁から帰ってきたばかりです。ペトロさんは言います。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」ペトロさんは、漁師ですから魚を捕るプロです。しかも、ここでの魚を捕るのには、昼間ではなくて、夜です。一晩中、漁師たちがガンバって撮れなかったのに、しかも夜ではなくて昼なのに、心の中で絶対に網を降ろしても無駄だと思っていたでしょう。けれども、まあイエスさまの言われることですし、仕方ないから、「はいはい、わかりましたよ」というくらいの気持ちだったかもしれません。しかし、イエスさまの言われた通りに漁師たちが、そのようにすると、数え切れないくらいの魚が網にかかって、網が破れそうになりました。そこで、「おーい、今すぐ来てくれ!」と、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼みました。その舟が来て、二そうの舟が魚でいっぱいで、舟は沈みそうになったのです。
これを見たペトロさんは、イエスさまの足元にひれ伏しました。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深いものなのです。」ペトロさんは、イエスさまのことを知っていました。ものすごい有名人だし、自分の奥さんのお母さんの病気も治してもらったし、神さまの言葉も聞いていました。けれども、本当は、イエスさまのことを知らなかったのです。本当のイエスさまには出会っていなかったのです。この時ペトロさんは本当に知ったのです。イエスさまが、神さまの言葉を語るだけではなく、神さまご自身であると、私たちの主である真実のイエスさまと出会ったのです。ペトロさんは自分の罪を知らされました。イエスさまのことを本当には信じていなかった自分自身に気づいたのです。イエスさまは、網を降ろせというけれども、自分の方が絶対に正しいと思っていた自分がいたのです。目の前に主なる神さまがおられるのに、神さまに背いていたのです。ペトロさんは、神さまの裁きがあると、心から畏れます。
しかし、イエスさまはペトロさんに言われます。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」ペトロさんは、もうイエスさまに従うしかありません。今度こそイエスさまを心から信じて、その言葉の通りになりますようにと、イエスさまにすべてを委ねるのです。そして、イエスさまの言葉の通りに、ペトロさんは人間をとる漁師となりました。イエスさまと共に過ごし、イエスさまの福音を伝え、一人でも多くの人が、神さまの救いの網に入ることができるようにと、たくさんの人たちを神さまのもとへと導きました。イエスさまの十字架と復活を伝える伝道者となったのです。
ペトロさんは、すべてを捨ててイエスさまに従いました。本当にイエスさまと出会って、神さまの力を知って、自分にあるすべてのものが必要なくなりました。もう、自分が何一つもっていなくても、イエスさまにさえ従っていれば大丈夫なのだと。自分に必要なものはすべて与えられると。それほどまでのお方と、自分は出会い、このお方に付いていけば、絶対に大丈夫と、すべてを捨ててイエスさまに従いました。私たちもイエスさまを知っています。毎週、教会で説教を聞いてイエスさまを伝えられます。聖書にもイエスさまが記されています。けれども、本当のイエスさま、主イエス・キリストと出会っているでしょうか。頭で理解していることと、心と体で受け入れることは別かもしれません。すべてを捨ててイエスさまに従うことを、少し難しい言葉で献身と言います。献身の姿は、それぞれ違うかもしれません。しかし、主イエス・キリストを信じて生きるとは、すべてを捨てて従うことです。ここにいる皆さんが、真実にイエスさまと出会い、心の底からの驚きと喜びのうちに、いつかすべてを捨ててイエスさまに従う歩みがなされることを祈っています。